捨てる怪異あれば拾う怪異あり
イ・箱の中身を雌の動物の血で満たし、一週間放置する。
ロ・間引いた子供の身体の一部を入れる。産まれた直後なら臍の緒と人差し指の先、そして内蔵を絞った血。七つまでの子なら人差し指と血。十までの子なら、人差し指。
ハ・憎き者の家に送り付ける。
子供の数が多い程その呪は力を増す。中でも八………
「ここからは破れていて読めないな。」
カビの生えた臭いが鼻をつく。この家の住民も今は居らず、この不気味な伝承の記された本以外は家財も売り払われている。
一つ咳払いをすると鞄の中に滑り込ませ、新鮮な空気を求め外に出る。この村はもう人など一人も住んでいない。野犬の声すら聞こえないその様は不気味さを助長した。
「どうしてこんな依頼を受けてしまったかな。都市伝説程度の呪いすら祓った事がないのに……」
小石を蹴飛ばし、沈む夕日を背に二日前の無茶な依頼を思い出しては溜め息を吐いた。
✕✕✕✕
「廃村で漏れ出す呪いの源を突き止めて欲しい……?」
「はい、村に近付くだけで女子供は謎の腹痛を訴えて入院する者もいる始末。年々その範囲も広がっておるのですよ。」
事務所に駆け込んで来るや否や、長く白い髭を蓄えた長老のような風貌の男はそう言った。
私の職業は所謂、退魔師。当然このような依頼は拒む理由などない。寧ろ飯の種として有難い話だ。しかし、一つの懸念があった。
私は何一つ除霊に成功した事などない。つい最近一人で仕事をすることを許されたばかりの新人だ。
だがその長老の困り果てたような表情を見ると使命感からか、
「任せて下さい。必ず除霊してみせます。」
と口を滑らせた。
✕✕✕✕
「さて、この村の伝承を粗方調べ終えたが……コトリバコで十中八九間違いないな。しかし肝心のそれ自体が何処にあるのか……」
ぶつぶつと呟きながら舗装もされていない道を歩く。もう太陽は地平線に接し、空気も冷たく肌を撫でた。
「ああ、それなら二軒先の山田さんの家にあるけれど……?」
「親切にどうも。二軒先の山田さん……か。」
ふと、艶のある聞き慣れない声が響いた。軽く返事をしてから、違和感に襲われたのか振り返る。
そこには艶やかな黒髪を腰まで伸ばした、着物姿の娘が立っていた。齢は二十歳付近だろうか、大人びていて何処か幼さも感じさせた。
「だから、二軒先の山田さんの家よ。表札を見れば分かると思うわ。」
何がそこまで不思議なのか、と彼女は首を傾げた。しかし先程まで人間が居るような村にはとても見えなかった。
「君は、何者なんだ……?」
「私……?」
恐る恐る問い掛ける私を、面白そうな目で見つめると彼女はまた口を開いた。
「コトリバコ、よ。」
怪しく笑みを浮かべると一歩、また一歩と此方に近付いて来る。一方私は初めて目の当たりにした怪異、そして迫ってくる彼女の雰囲気に気圧され……
「うーん……」
情けなくも、気を失った。
✕✕✕✕
次に目を覚ますと、見慣れない天井が目に入った。自らの身体には布団がかけられ、横で看病していたらしい彼女と目が合った。
「貴方の名刺、見せてもらったけど……退魔師が怪異見て気絶するなんて、よっぽどよ?」
半ば呆れたように溜め息を漏らす。面目ない、と私は肩を竦めた。
「しかし……本当に君はコトリバコなのかい?」
そう問い掛けると彼女の表情はまた闇を孕んだ。
「ええ。何なら貴方の腸を捩じ切って殺してあげようか?」
唯ならぬ殺気に身じろぐ。しかし直ぐに彼女は表情を和らげた。
「私、女子供以外は滅多に殺すつもりはあまり無いの。そういう風に設計された訳じゃないもの。身の危険が迫ればその限りでもないけど。」
彼女は少し躊躇いながら事のあらましを説明し始めた。
「私は、元々厳重に封印されていたのよ。人を呪う為に作られたけれど、全てを滅ぼしかねない。そう考えた村人が呪いを漏れ出さないように複雑な術式を組んだわ。」
すらすらと彼女は言葉を紡ぐ。
「然し、その術式も永遠ではないわ。いつしか効力も弱まり、村にその術式を書き直せる者も居なかった。そしてつい最近……」
一旦彼女の言葉が途切れる。そして怒りと悲しみを含んだような声で吐き出した。
「肝試し、かしら。若い男がふざけ半分で押し入ってきて……私の本体、コトリバコを見つけたの。そしてそれを斧で叩き壊したわ。当然、依代を失った私は呪いを更に強く吐き出し始めたって訳。もうコントロールが効かないの。」
それを聞くと彼女は天井を指差した。どうやらこの住居には二階があるらしい。
「退魔師さんでしょう?大丈夫よ、私は呪いを吐き出し終えたら消えてしまうもの。あと一ヶ月程でこの村もまた住めるようになるわ。」
それでも壊れたコトリバコに興味があるならば見てきて良いわよ。と付け加え、今度は彼女が畳に身を預けた。その横顔はやはり、人と同じように見えた。
✕✕✕✕
軋む階段を一段ずつ踏みしめ、慎重に足を進める。二階は空気が重く、素人からしても異様な雰囲気を感じ取れるように思えた。
部屋のドアが一つだけ、半開きになっている。どうやら板で打ち付けられたものを強引に剥がした形跡もあった。
恐る恐る、そのドアを開く。血の匂いが漏れ出てきた。
異様な程内装は赤かった。血の色か、それとも呪いが染み付いた色なのか。判別は出来なかった。
ふと足元を見ると、箱だったであろう木片が散り散りに落ちている。これが彼女の言う、コトリバコなのだろう。私はそれを残さずに拾い集め、瘴気を放つ部屋を飛び出した。
✕✕✕✕
「あら、早いお帰りね。まあ長居すると身体が腐り落ちるから正解ではあるけれど。」
呑気に恐ろしい事を呟く彼女は、私の手に乗ったものを見て少し驚いた表情をした。
「放っておけば消える私を、わざわざ除霊するの?悪趣味ね。少しくらい最後の時を楽しませて欲しかったのに。」
ちゃぶ台の上にそれらを乗せると、今度は特殊な接着剤を取り出す。すると彼女は意図が読めないと言った様子でまたボヤいた。
「そんな面倒な事しなくとも、清めて燃やすだけじゃない。貴方ってよく分からないわ。」
「箱をきちんと修復すれば、君は呪いをコントロール出来るのだろう?」
彼女の言葉を遮る。彼女はますます訝しげに質問を投げかけた。
「貴方が得する事なんてあるかしら。一応出来るけれど……貴方、もしかしてフルパワーの私に勝ってから除霊しないと気が済まないの?」
また呆れたように溜め息を吐き、ごろんと畳に寝転がる。しかし私の手元が気になるらしく、時折私と目が合う。
人の都合で作られ、そして人の都合で消されようとする彼女を放ってはおけない気がした。
「貴方、退魔師にしては甘過ぎよ。怪異を助ける退魔師が何処にいる訳?」
「人だろうと怪異だろうと、困っているならば助けたいのでね。」
少しキザな台詞だっただろうか。本心だったのだが、恐る恐る彼女の方を見やるとそっぽを向いてしまっていた。
きっと箱を修繕したならばフルパワーの彼女と真っ向からぶつからねばならないと思うと気が引けたが、彼女は意外にも黙って私の作業を手伝った。
✕✕✕✕
「完成ね……!」
「ああ、パズルのようで頭が疲れてしまったよ。」
丑三つ時まで悪戦苦闘しただろうか、ついに箱は元の形を取り戻した。
これで彼女が消えるようなことは無い。また安らかに眠ってもらうだけで良いのだ。
「貴方、本当に長生き出来ないわよ。こんな風に怪異に利用されたら真っ先に死んでしまうわ。」
彼女からの指摘に、また肩を竦める。正論ほど耳に痛いことはない。
「ああ、これで君を安らかに眠らせる事が出来る。少し待っていてくれ。」
一通り除霊の準備を終えると、彼女はそれを突っぱねた。
「嫌よ。ふふ……折角力を取り戻せたのだもの。また箱の中に押し込められて長い時間退屈するのは飽き飽きよ。」
彼女の威圧感が増す。まるで金縛りのように私の手元は凍りついた。
まずい。彼女がこれ程上位の怪異だとは思っても見なかった。精々、生贄にした子供の数も一人か二人……その程度だと甘く見ていた。
しかし目の前の彼女は私の想像を遥かに超える化物であった。少し睨まれただけで自分の身体が硬直していくのを感じた。
「礼を言うわ。貴方のお陰で良い気分なの。ふふ……」
そして彼女は私の肩に手を掛けると……
抱き寄せ、頬に接吻をした。
「はい?」
素っ頓狂な声が私の口をついて出た。彼女は私の背中に手を回すとそのまま囁いた。
「貴方は幾つ命があっても足りないわ。だから特別に……私がその仕事を手伝ってあげる。この箱の恩もあるし。」
突然の事で頭の回転がとても追い付かない。
「あ、私以外の女に鼻の下伸ばすような事があれば……その女の内蔵をミキサーにして殺すわ。何と言っても、私はハッカイのコトリバコ。最強よ。」
そして再び私の頬に接吻する。まさか八人の子供を犠牲に創られたコトリバコだとは。
その情報量に付いていけず、私はもう一度意識を手放した。
「うーん……」
そんな、情けない声を出して。