バッキンガム邸の存在しない住人たち
図書同好会のみんなに送ります。
ボロボロの家の前に黒田 瑠璃は立っていた。まさかここまでひどいとは思っていなかったのだろう。諦めた目でバッキンガム邸と書かれたボロイ表札を見ている。もともとイギリス人が住んでいたこの家は一か月九千円という驚きの家賃に惑わされひょっこり人が住むことがある。彼女もその被害者の一人だろう。十一月の風が瑠璃の髪を乱れさせた。我に返った瑠璃は寒さに身を震わせながら新しい我が家へと向かった。まず、目についたのは山のように積みあがっつた生活用品の壁だった。瑠璃は心の中で舌打ちした。なんて雑な引っ越し業者だろう。しかし、怒りよりも先に眠気が襲ってきた。ほっぽりだされたマットレスの上に瑠璃は倒れこんだ。しばらくすると瑠璃の寝息だけが暗い廊下に響いていた。
五つの影が瑠璃を囲んでいた。興味深そうにひそひそと話をしている。「誰だろう?」「神のみぞ知る」「神など人間の作り出した想像だ」「はいはい。黙って堅物。」一つの影が廊下に置いてあったチラシを踏み滑って頭を打ってしまった。「いたっ!」「シー!うるさい!」「あんたのほうがうるさい!」「うるさい黙れ」瑠璃が寝返りを打った。「おきるぞ!」五つの影は慌てふためき、夜の闇に消えた。あたりは何事もなかったかのように静かになった。
次の日は雨だった。雨粒が容赦なく窓を鳴らした。瑠璃は傘を差し、強風にあおられ、右に左によろめきながら車に向かった。車を全速力で走らせると、次第に雨音は弱まり、代わりにエンジン音が響いた。しかし車を止めるとエンジン音は小さくなり雨音が喜んでいるかのようになり始めた。まるで二重奏のようだ、と瑠璃は思った。耳をすませばこんなにも音があふれている世界はとても美しかった。まるで世界が一つの交響曲で世界中の人々がそれを奏でているような、そんな気がした。大きな学校が見え始めた。瑠璃は中学校の理科教師だった。車を止めると瑠璃は校舎のなかにはいっていった。「おはようございます!黒田先生!」「おはよう百戸さん。」小橋川 百戸は瑠璃の一番気に入っている生徒だった。黒く、長い髪が特徴的な瑠璃のクラスの生徒だ。「黒田先生。引っ越しなさったんですよね!」「何で知ってるの?」瑠璃は不思議に思った。「有名になってますよ。黒田先生の新しい家ってバッキンガム邸ですよね?」「そうだけど…」「あの家お化けが出るらしいですよ。」「ハハッ。百戸さんでもお化けを信じるんだ。お化けが出たら友達になってみるよ。」「ほんとなんですよ。何でも、暗い男の人だったり、猫好きの若者だったり!」「ふーん。そうなんだ。」「あ、ごめんなさい。つい長話をしてしまいました。職員室に入りますよね?」「ああ、うん。じゃあ、あとでね。」瑠璃は職員室のドアを開けた。「黒田先生。雨、大丈夫でしたか?」「あ、朝比奈先生。」朝比奈 美鈴は今年入ってきた教師だ。はっきり言って瑠璃はこの先生が大嫌いだった。同じ27歳なのにチャラチャラしてるし、何かと困ったときは「えー。だってぇ黒田先生が。」なのだ。今日も瑠璃には無関係な自分の彼氏について話し始めた。「たっくんが最近冷たいんですよ。」「へー。」「昨日だって美鈴を三分も待たせておいてゴメンしかいってないんですよ。ありえなくないですか!」この人おかしいんじゃないか。と瑠璃は思い、いつもの癖が出てしまった。「ありえないのは朝比奈先生じゃないですか?」あ!と思った時には遅かった。周りの先生方の「ナイス!黒田先生。」というような顔と、朝比奈先生の「え?」というような顔が目についた。シーンとした空気が職員室を取り巻いていた。その時都合よくびしょ濡れの校長が入ってきた。「皆さん!生徒を家に帰してください!大雨警報と土砂崩れ注意報が出されました!」「こりゃ大変だ。」三年三組の町田先生が言った。瑠璃は二年二組に急いだ。「皆さん警報が出されました。急いで帰ってください。」「イエーイ!だから言っただろ!」「武人さん黙ってください。」喜ぶ生徒が多かったが百戸はよろこんでいなかった。最後に残った生徒を返すと、瑠璃は急いでバッキンガム邸に向かった。雨漏りしていないかが心配だった。バッキンガム邸の中に駆け込んだ瑠璃はふー、とため息をついた。雨漏りはしていないようだ。が、瑠璃は奇妙なことに気が付いた。荷物の壁がなくなっているのだ。山の用に重なっていた見苦しい荷物がひとつもないのだ。まさか泥棒、そんなことを考えていると、カタンととなりの部屋から音がした。瑠璃がドアを開けると・・・瑠璃の荷物が綺麗に配置されている。「ええ!」予想もしなかったことに瑠璃は驚いた。まさかと思いキッチンに入ると、きれいに並べられたテーブル、食器棚。料理道具だってフックにかけられている。一階のすべての部屋を見て回ったがすべて家具がきちんと置かれていた。二階に続く階段を上がろうとすると一番最初に入った部屋から物音がした。中をのぞくと人が宙に浮きながらバミューダートライアングルのポスターを眺めているではないか!!「ギャーーーーーーーー!!!」瑠璃は大声で叫んでいた。「ゆ、幽霊が‐!」瑠璃ががくがくする膝でドアに向かって逃げるとドアの前にポンッと現れた四人にぶつかりそうになった。「ひっ!」瑠璃はへなへなと床に崩れた。「リヒャルトのまけー!」「…うるさい…」「ポスターを観るんだったら浮かばなければいいのに。」「ああ、生きてる人間の方ですね?」一人の茶色い髪の幽霊がニコリと瑠璃に笑いかけた。「こわがらせてすいません。私の日本語わかりますか?」「・・・ええ。」その幽霊が緑色の目を輝かせてわらった。「よかった。日本人としゃべったのは七十四年前のことでしたから」なんだか予想していた幽霊と違った。「私、幽霊って足が無くて黒い髪の人かと・・・」「それは思い込みというものだ。固定概念が人間をダメにするのだ。」黒い髪の眼鏡をかけた幽霊が言った。「私たちは限りなく人間に近い状態の幽霊なのです。」茶色っぽい金髪の幽霊が言った。「私たちはここに住んでました。でも死んでしまった。だけどその時、ある人が私たちを生き返らそうとした。」「しかし失敗した。だから私たちはこんな中途半端な姿なのです。」「実体もあるし、姿もある。人にも見える。だけど生きていない。そういうことです。」そこで一人の幽霊が言った。「自己紹介しましょう。私メアリー・パーキンソン。アメリカ人です。」茶色っぽい金髪の幽霊が言った。「私はローズ・ブラッドフォード。アイルランド人だよ。」「うちはヘンリー・フォードや。イギリス人やで。仲良くしいや。」瑠璃は外国の幽霊って大阪弁をしゃべるんだなと思った。次に黒い髪の眼鏡をかけた幽霊が言った。「僕は、ルイ・ローラン。フランス人。」次にポスターを見ていた幽霊が言った。「・・僕は、リヒャルト・リヒテンスタイン。・・ポーランド人。」「で?君の名前は?」ヘンリーが言った。「え?大阪弁じゃないんですか?」「癖なんだよ。」「早くしろ我々は待つことが嫌いなのだ。」ルイがせかした。「私は黒田 瑠璃。27歳。日本人。」「じゃあ私たちと同い年だ!」「え?」ローズが言った。「限りなく人間と近くなると年も取るし、死んじゃうこともあるんだよね。私はみんなより5歳年下の22歳。」まさか、まさか幽霊と一緒に生活するとは思いもしなかった。しかし、すぐに六人は打ち解けた。なんと六人は仕事までしていた。「ええー!じゃあリヒャルトってゲームプログラマーだったの?」「・・外に出るといじめられそうで・・」晩御飯の時ローズの作ったビーフシチューを食べながら六人は談笑していた。「そもそも、みんなはどうして死んだの?」瑠璃が聞いた。メアリーが言った。「私は、破傷風。」ローズは「ロシア軍に撃たれた。私はスパイだったんだ。」ヘンリーは「馬から落ちた。」リヒャルトは「孤独死。」ルイはというと「僕は言いたくない。」と言った。「ああこいつは、」メアリーが話した。「かわいい猫がいて道に飛び出したら馬車にひかれたんだ。変だよね。」すると、ローズが思い出したように話した。「そういえば、ロージーは・・」ルイが怒ったように遮った。「ロージーはどこかで死んでるんじゃないか?ロージーのことは話さないでくれ。」瑠璃はきょとんとした。「ロージーって誰?幽霊?」メアリーが答えた。「私たちの友達の幽霊。」ルイが言った。「昔のことさ。」気まずい雰囲気が流れた。「あー。もう・・。寝るね。」ローズが気まずさから逃げるために自分の部屋に駆け込んでいった。続けてほかの幽霊も逃げ出した。「おやすみ」瑠璃はキッチンに一人、取り残された。
しばらくしたある日のこと、瑠璃は教室でプリントを配っていた。「冬休みも宿題はやれよー。」そう明日から冬休みなのだ。「せんせい。サヨナラ!」学校に来ることが好きな百戸も、声が弾んでいた。瑠璃は学校から帰る途中、ピザを二枚買うと家に帰っていった。「ただいまー!」返事はない。まだみんな仕事に行っているのだ。きっと、ジュースやチキンなどごちそうを買って帰ってくるだろう。今日は㋋㏸。クリスマスもかねて忘年会をやるのだ。「ただいまー」ルイとローズが帰ってきた。続けてヘンリーとローズも帰ってきた。リヒャルトも通販サイトで買っていたお菓子を持って下に降りてきた。テーブルの上にごちそうが並んだ。「よーし。そろそろ始めようか。」そう言って瑠璃がグラスを掲げたとき、コンコンと音がした。「もう。誰‐?こんな時に。」瑠璃は立ち上がると玄関に向かった。「ハイ‐?」玄関のポーチにいたのは一人の外国人だった。「皆はどこにいますか?」黒い髪の綺麗な目をした女の人だった。背が小さく瑠璃の方までの大きさだった。「みんなって・・メアリーとか?」「ハイ!」何が何だかわからぬままその女の人を家の中に入れると、瑠璃はキッチンのドアを開けた。もうみんなピザをほおばっている。「あー!インチキ!」「我々は待つことが嫌いなのだ。」ルイが言った。「で誰だったの?」メアリーが言った。「あー。この人が・・」瑠璃が説明するよりも早くその人が飛び出した。「ただいまーー!」きっちり三秒、ほんとに三秒だった。静かになった。そして三秒後、メアリーは椅子から転げ落ち、ルイはジュースを吹き出し、ローズはひっくり返り、ヘンリーは叫んだ。ただリヒャルトが何もなかったかのように、ピザをほおばっていた。「ロージー!!!」
皆むすっとしていた。その中で一人だけピザをおいしそうにほおばるものがいた。時は少しさかのぼる。
「ロージー!!!」メアリーがよろよろと立ち上がった。「えへへ、びっくりした?」「びっくりしたどころじゃない!」ルイが言った。非常に怒っている。「死ぬところだったじゃないか!」「あ!我輩ロージー・マックリーというものです。」「あ。私は黒田 瑠璃。よろしく。」「話しを聞け!」ルイとロージーは仲が、悪いらしい。ロージーが何か言うとすぐに突っかかてくる「我輩に会えてうれしくないの?」ロージーが悲しそうにした。「嬉しいけど怒ってる!」ローズが言った。「十年間もどこに行ってたんだ!君がいないと誰と口論すればいいんだ!」ルイが言った。「は?ルイのせいで我輩は出ていったのに何なの!?我輩だってさ!誰と口論すればいいのかわからなかったんだよ!」そのうちローズは泣き出しメアリーは取り乱しの大混乱になった。瑠璃は叫んだ。「説明して‐‐!!!」
そして今に至るわけだ。メアリーが言った。「この子はロージー・マックリー。十年前に出ていった。これで満足!?」「いや、だめだよ。」「なんていうか言葉にしにくいんだよね。」メアリーが言った。「記憶を見せれば?」「そっか。一番近くで見てた人誰?」「…僕。」リヒャルトが手を挙げた。「瑠璃に見せて。」リヒャルトは瑠璃に近づくと手をつかんだ。そのとき、なんだかエレベーターに乗っているような不思議な感覚に瑠璃は落ちた。次の瞬間瑠璃はリヒャルトになっていた。
目の前で少し若いルイとロージーが大喧嘩を繰り広げていた。「魔法なんて存在しないんだ!」「そんなことはない!人間は魔法なんてものを考えるほど想像力がないんだ!」どうやらルイが魔法を否定し、ロージーがそれに反撃しているようだ。「想像力がある人ならいるじゃないか!君のことだよ!」「我輩は魔法を思いつくほど想像力はない。」「そもそも魔法なんて・・」「じゃあないっていう証拠はあるの?」「あるっていう証拠はあるのか?」二人はにらみ合った。「君は逃げてるだけなんだ。現実から目を背けたい。ただそれだけ。君の頭の中は嘘と現実逃避だけが詰まってるんだ!」ルイの言葉が過ぎたようだ。ロージーの目から涙があふれた。「あ・・・・。ごめん・・・。」ルイが言った。ロージーがルイをにらんだ。「我輩は出ていく!魔法はあるんだって証明してやる!」びりびりと空気が揺れた。パリーント窓ガラスが割れロージーはそこから飛んで出て行ってしまった。
「なるほどね。理論上の乱闘ということね。」「んだ。こいつが悪いんだ。」『んだ。』『我輩』口癖だろうか。随分と個性的な人だ。「まあ、ロージーが生きててよかったじゃない。」メアリーが言った。「そうだ、今思い出した。重大な発表があるんだよ。」ロージーが神妙な顔をした。ルイは無視を決め込んでいる。「何?」「・・・・実は、・・アンナ・レジーノールドが生きていたんだ。」「は!?」無視していたルイもこちらを振り返った。「よかったじゃない!」メアリーが満面の笑みを浮かべた。リヒャルトでさえ微笑んでいる。しかし、ルイとロージーだけが心配な顔をしている。「恐れていたことが起きた。」「ロージー。ほんとなのか?」ヘンリーが顔をしかめた。「二人とも喜ばないのかい?」「そうよ!喜ぶべきことでしょ。」メアリーも口を尖らせた。「・・我輩ルイよりもほかの人に気付いてほしかったのだ。」ロージーが残念そうに言った。「ロージーが死んだ理由を覚えているかい?」ルイが聞いた。ローズが憤慨したように言った。「忘れもしないわ。おぞましい日だったもの。担架に横たわったアンナの死体を見たときショックで倒れそうだったのよ。」「ちょ、ちょっと待ってよ。」瑠璃が慌てて聞いた。「他にも幽霊がいるってこと?」「ああ。僕たちは知らなかったけどね。僕たちの物心がついた時にはアンナはいなかった。」「アンナはなぜかチベットにいた。ウィニフレッドがそうしたんだ。」ロージーが話し始めた。「我輩たちと一緒に生き返らせると危険極まりないと思ったんじゃないかな?」「何で!?」ヘンリーが言った。「アンナが死んだのは山ではぐれたからだろ?どうして僕たちに危険があるっていうんだ。」「我輩たちが置き去りにしたと思い込んでるんだ。」メアリーが小さな悲鳴を上げた。「実際我輩はチベットでアンナに殺されかけた。不幸なことに、魔力をあやっつてるんだ。」リヒャルトがピザを食べる手を止めた。「だからってここにアンナが来るとは限らない。」ルイが安心させるように言った。ダイニングの中に安心したようなため息が広がった。「・・じゃあ・・魔法は実在するんだね!?」瑠璃が目をキラキラさせた。「そうだけど‥その分私たちに危険が迫っているってことだよ。」メアリーが肩を落とした。ダイニングが静まり返った。「さてと‥」ヘンリーが立ち上がった。「今日はせっかくの冬休みの初めなんだ!楽しもう!」歓声が上がった。仲間といる楽しさが瑠璃を包んだ。くじ引きを引くロージー。楽しそうに手をたたくメアリー。ピザを黙々とほおばるリヒャルト。何もかも忘れられない思い出になるだろう。窓の外には真っ白い雪がこのありえないクリスマスを祝福するようにしんしんと降りつもっていた。このときは、まさかあんなことになるなんて思いもしなかっただろう。
『その時』は、突然やってきた。いつもと変わらぬ日常だった。バッキンガム邸の朝は音であふれている。下に降りるメアリーの足音。リヒャルトの部屋から聞こえてくる、キーボードの音。ロージーとルイの討論の声。ベーコンを焼いているローズのフライパンの音。何もかもいつもと変わらなかった。次第にみんなキッチンに集まり朝食を食べ始めた。「ねぇ、メアリー。今日は美術館に行くんだ。一緒に行かない?」「うん。行く。」「絶対に我輩のバミューダートライアングルに関する説は正しい!」「あんなばかばかしい説あるわけない!」みんなのしゃべり声が耳に心地よかった。相変わらずルイとロージーは喧嘩してばっかりだが、二人とも仲がいい時だってあるのだ。瑠璃はにこにこしながら皆を眺めていた。「・・瑠璃何にやにやしてるの。気持ち悪い。」最近はリヒャルトが瑠璃に話しかけるようにもなってきた。「別に~。」瑠璃がごまかすように言い二枚目のベーコンに手を伸ばしかけた時だった。大きな音がし、家が揺れた。爆風でみんなは吹き飛んだ。メアリーの叫び声が空気を切り裂いた。あたりが真っ暗になった。
最初におきたのはヘンリーだった。傷がずきずきと痛む。「みんな~!どこにいるの~!」どこにも見当たらない。「私はここよ‥」メアリーが傷をかばうように起きた。あたり一面がれきでいっぱいだった。ロージーの叫び声が響いた。「誰か!ルイが!誰か助けて!」ルイはガラスの破片で腕を切っていた。血がルイの袖を赤く染めている。「騒がないでロージー。」「でも血がこんなに出てる‥」「大丈夫。僕のことは心配しないで。ロージー、ハナハッカのエキス持ってたよね。」「あ・・もってる、もってる。」完全に気が動転しているロージーを落ち着かせるようにルイが話し続けた。ローズががれきの下から立ち上がった。「リヒャルロ!ロコにいる炉!」慌てていて噛みまくっている。「・・いたい・・。」リヒャルトは擦り傷が足にできていた。「何が起こったの?」瑠璃が壁にできた大きな穴から外をのぞいた。いつもと違う風景が外に広がっていた。カラスは宙に止まり、コーヒーをこぼした人はものすごい表情で静止している。少年が投げたボールはいぬがくわえたまま映画の一コマのように浮き上がっていた。「止まってる…」瑠璃はおどろいたような顔であとずさりした。「こんなことが・・」「あるわけない…」ロージーがルイの言葉を引き継いだ。「わお!お菓子盗み放題の食べ放題じゃん!」ヘンリーだけが喜んでいた。「まずい。アンナがやったんだ。」メアリーが言った。「逃げよう。」ローズが慌てて言った。「アンナが来る前に…」「もう遅い。」ルイが言った。「どうしてそんなことが言えるのよ!間に合うかもしれないじゃん。」ローズが喚いた。「その本人がここにきている。」ルイが緊張気味に言った。茶色い巻き毛の女性が悠々と歩いてくる。綺麗な深緑色の目は、邪悪に光っている。アンナ・レジーノールドだ。「久しぶりじゃないか。」唐突にアンナが話し始めた。「アンナ!意味は勘違いしている!」ヘンリーが言った。「黙れ!お前たちが私を置き去りにしたことに勘違いなどない!」「我輩たちは置き去りなどしていない!アンナ・・・信じてくれないかな。」「おや、ロージー。生きてたのか。誰よりも屈辱を嫌う者だったが私の前から這って逃げたのには屈辱は感じなかったようだな。」アンナが気味の悪い笑みを浮かべた。ロージーはアンナに歩み寄ろうとしたがルイに止められた。「ロージー。落ち着いて。」アンナは続けて言った。「あの一撃で死んだと思ったのだが。傷はまだ残っているようだな。隠していてもわかる。足を引きずって歩いているだろう。隠していたのは自分が私と戦っても大丈夫だったと思わせたいからだろう?それに気づいていないお前の仲間はそれほど大切なのか?お前のことなどこれっぽちもわかってくれない。」ロージーがルイを突き飛ばしてアンナに近づいて行った。「あんたに我輩の何がわかるっていうんだ!」ロージーの右手がアンナの頬につく前にアンナはロージーを吹き飛ばしていた。アンナは軽く右手を振っただけだった。ロージーは庭の垣根に突っ込んで止まった。「ロージー!」ローズとルイがロージーに駆け寄っていった。「『気圧の魔術』風、雲などを操ることができる。私はある魔法使いから魔力を奪った。魔法使いや魔女は死亡すると魔力が抜ける。私はその哀れな魔法使いを谷に突き落とし魔力を吸い取った。魔法呪文集も一緒に。」アンナが甲高い笑い声で笑った。「君は僕たちを殺すつもりなのか!」ルイが言った。「ああ、今気づいたのか。お前はもうちょっと頭がいいと思っていたが。」瑠璃が叫んだ。「あなたはこの世界の素晴らしさが分かっていないだけだ!・・仲間と一緒にいる喜びと、仲間に会えた時の嬉しさが分かっていない!」「おや。新しいお友達かい?私の代わりということか。」アンナが手を振った。青白い閃光が瑠璃に向かって走った。「危ない!」ローズが瑠璃を伏せさせた。アンナの目が邪悪に光った。瑠璃を倒し損ねたのに怒ったのだろう。がむしゃらに呪文を投げ続けた。「みんな逃げて!!!」メアリーの叫び声がとぎれとぎれに聞こえた。
大人が八人暗い地下室にうずくまっていたら奇妙だと思うだろうが今はそれどころではなかった。上ではアンナが暴れまわっていてコンクリートの粉が時折パラパラと落ちてきた。「…無理」リヒャルトがあきらめたように言った。「勝てるわけがない…」メアリーが怒ったように言った。「そんなこと言ってるぐらいなら会議に参加してよ。アンナを倒す方法ない!?」「待って!」瑠璃が言った。「何が何だかわからない。何であなたたちがここにいるのかも、アンナがどうして生きているのかも。」ローズが口を開いた。「ウィニフレッド・ブラウン。私たちの親友だった。このバッキンガム邸を立てて私たちと一緒に暮らしてた。ウィニフレッドは魔法使いだったんだ。だけどウィニフレッドより先に私たちは死んだ。だからある日ウィニフレッドは人生最大の魔術を使った。『闇の魔術』の一つの蘇りの魔法。使うと自分が死んでしまうという魔術だったけれど自ら氏の道を歩んだ。そして私たちを生き返らそうとしたけど、呪文のどこかが間違っていて私たちはこんな姿になっているの。」地下室が静かになった。その時リヒャルトが息をのんだ。「ルイ!あの機械ならアンナにも効くんじゃないのかな?」「ああああああああ!」リヒャルトとルイが笑顔になったがそれは束の間だった。「あの機械は僕の部屋にあるんだ。一階にはアンナがいる。見つかっちゃうよ。」「ちょっとお二人さん」メアリーが話しに割り込んだ。「あの機械ってどの機械ですか?」「ああ、僕が作った電動プラズマ発生装置。アンナに実態があるなら感電するはずだよ。」「だけど一階にはアンナがいる。」ため息がみんなを取り巻いた。「ねぇ。アンナが気付かなければいいんだね?」ロージーが聞いた。「そうだけど…」ロージーが立ち上がると奇声を上げながら階段を駆け上がっていった。「そ、そうか!」ルイがロージーに続いた。みんなもわけが分からぬままついて行った。メアリーが廊下の突き当りにいたルイにぶつかった。「ロージーは何をしているの?」「アンナの気を僕たちからそらしているんだ。」そういうとルイは自分の部屋に走っていた。爆風が部屋を包んだ。「ロージーを助けに行かないと!」リヒャルトが煙の中に飛び込んでいった。そしてその数秒後、二度目の爆発が起き、リヒャルトとロージーが部屋から飛び出してきた。ルイが大きな機会を抱えて階段を駆け下りてきた。「早く!支えて!」みんなはその機会を担いでへやのなかにはいった。アンナが鋭くこちらをにらんだ。ちょうどリヒャルトがスイッチを押したのとアンナが呪文を放ったのが同時だった。二つの電光は部屋の中で押し合い、バチバチと火花を散らせた。「リヒャルト!出力を最大にして!」メアリーが言った。カチッという小さな音がした。あたりはパァッと明るくなり眼が眩むほどになった。そして大きな音とともに何も聞こえなくなった。
目が覚めるとそこにアンナはいなかった。「やったーーー!僕たちはやったんだーー!」完全にキャラの壊れたルイが叫んだ。がれきと化した部屋には笑顔が広がっていた。「怖かった!強いし勝てないと思ったよ。」瑠璃が汗を拭きながら言った。みんなが笑いあう中リヒャルトだけが浮かない顔をしていた。「…ねぇ、なんか低音波が聞こえない?」みんなが耳を澄ませた。「まって・・・外が元に戻ってない!」ローズが恐れたような声を出した。「・・・・まだ終わってないんだ‥!」がれきの下に半透明のアンナがいた。「実体を自由に操れるようになってたんだ…!」「え・・じゃ、もう勝てないよ‥。」あきらめかけた顔で
メアリーが気絶しているアンナを見た。リヒャルトがアンナの額に触れ、目を閉じた。「‥!リヒャルト!ダメ!」遅かった。光がパァッと包み消えたころにはアンナがいなかった。苦しそうなリヒャルトがいるだけだった。アンナを自らの体に閉じ込めたのだ。「さぁ…早く!僕は死んだってかまわないから!アンナを閉じ込められるうちに!」「いやだ!」ルイの金切り声が響いた。「早く!」「いやだ!できないよ…」次の瞬間リヒャルトはリヒャルトではなくなった。「馬鹿な奴だ。」目がアンナのように邪悪に光った。アンナに体を乗っ取られたのだ。「みんな早く逃げて!」
悲しみがみんなを取り巻いていた。リヒャルトがいなくなった悲しみが降り切れないのだ。「なぁ、僕たち本気で話し合いをしたことないけれど。今、やるべきじゃないかな。リヒャルトを取るか世界を取るか。」ルイが立ち上がってヘンリーを鋭くにらみつけた。「リヒャルトの運命を話し合いで決めろっていうのか!」瑠璃がうつむいた。「君たちは仲間を見捨てるのか!?」ルイはそう言い残すと科学倉庫にとじこもってしまった。「私は、アンナを倒してからリヒャルトを生き返らす方法がいいと思う。」瑠璃が言った。みんながうなずいた。「ねぇ、リヒャルトには実体があるからあの機械は効くよね」メアリーが言った。「あの作戦にルイが賛成するとは思わない。」ロージーが言った。「私たちはルイなしでもやるよ。」
メアリーはゴム製のかっぱを着てアンナと戦っていた。その間に後ろで装置をのこりのみんなでよういするというものだ。「わたしをまたひとりにするのか!自分たちのした罪を認めないのだな!」ヘンリーがぶっと笑った。「リヒャルトがわ、私?」「黙れヘンリー」ロージーが言った。「できたよ!」ローズが叫んだ。メアリーはかっぱをアンナに投げつけると装置を担いだ。アンナがかっぱをどけたときには、もう遅かった、リヒャルトの格好をしたアンナに電光が走った。甲高い悲鳴が部屋に響いた。バチバチと、交響曲のフィナーレのように鳴っていた。アンナが倒れた。気絶している。「ヘンリー!スイッチを入れて!」メアリーがそう叫んだ時横をルイが走っていった。そして止める間もなく。リヒャルトからアンナを引き出し自分の中に取り入れた。リヒャルトが目を開けた。「…!ルイ!」「さよなら。僕は自分で選んだんだ。」ルイは手に持っていた白い粒を飲み込んだ。そしてルイは倒れた。「ルイ!」みんながかけよった。「いい人生だった…・」そしてルイは動かなくなった。
アンナがいなくなったのですべて元に戻っていた。しかし、いなくなった仲間は戻らなかった。リヒャルトはそれきり外に出てこなかった。メアリーは、地下室でぼぅっとしていた。ルイはどうして死ななければならなかったのだろう。そもそも世界はルイの命ほど価値があったのだろうか。ロージーはルイが死んでから口も利かない。リヒャルトは自分のせいでルイが死んだと考えていて、無気力な毎日を送っている。もうあの日から三日間立った。メアリーは小さな肩を震わせながら泣き始めた。
瑠璃は変な気分だった。何の面識もなかったすごく昔のフランス人が死んだことで泣いているのだ。悲しんでいるのだ。ルイは神を信じていなかったため葬式はどうしようかとみんな迷っていたのだが実は熱心なキリスト教信者だったことが分かった。フ、と瑠璃は微笑んだ。あとからあとから涙があふれてくる。「馬鹿じゃないの…」埃っぽい、暗い部屋に瑠璃の泣き声が響いていた。
ロージーはいつも太陽の光を浴びるのが日課なのだがそんな気にはなれなかった。いつもなら今頃ルイと討論をしているはずなのだが今そのルイはいない。いつも眺めながらにやにやしている大好きなハリーポッターのスネイプ先生のイラストも今は輝きを失っていた。今ならスネイプ先生の気持ちがよく分かった。いい友人に死なれた気持ちは世界共通なのだ。胸が張り裂けんばかりに、ロージーは泣いた。「我輩も、我輩も死にたい・・・」『お前の死が何の役に立つというのだ?』とルイなら言うだろうが本気でロージーはそう考えていた。『ロージー、前を向くのだ。』「いやだ。いやだ。…我輩は信じない・・」前も落ち込んだ時はそんな風に、ルイが慰めてくれたが、そのルイはいなかった。
リヒャルトは死んだ魚のような眼をしてウィニフレッドの部屋にいた。ウィニフレッドがアンナを生き返らさなければ、そうすれば、ルイは…。リヒャルトは苦々しげにどこかをにらんだ。どこかにルイとウィニフレッドがいた気がしたのだ。しかしそれは気のせいだったらしい。ただのビンだった。リヒャルトは眉間にしわを寄せた。ビンの中に何かが入っているのだ。リヒャルトはビンに手紙が付いているのに気が付いた。その手紙はこのようなことが書かれていた。
拝啓僕たちの友人の誰かへ
この手紙を読んでいるということは誰かが死んだということです。ごめんなさい。アンナを生き返らせたのは僕です。アンナが僕たちを恨んでいるかもしれないと感じたのはみんなを生き返らせる前でした。だけどちょっと照れくさいけど僕にとってアンナは友達以上の人だった。もしかしたら恨んでないかもしれない。そんなことを考えていました。だから僕は生きていなくてもみんなが生きていればいいと思って、僕の分の魂をこのビンの中に入れました。死んだ誰かにこれを心臓の上にのせてください。そうすれば生き返るはずです。 さようなら
ウィニフレッド・ロッドワイラー・ブラウン
リヒャルトは目を見張った。「ウィニフレッドの字だ。」リヒャルトは喜びに満ちた声でそういうと赤い光の入った瓶を持って階段を駆け下りていった。
それからまたしばらくたった。「さあ皆さん」校長が生徒の前で言った。「この人は今回朝比奈先生の代わりに入った先生方です。」生徒の歓声が体育館を包んだ。「右から英語のローズ・ブラットフォード先生。国語のロージー・マックリー先生。そして理科のあー、一年の理科を担当するルイ・ローラン先生です。拍手!イヤー皆外国の方で驚きましたねー」大きな拍手の中で瑠璃の拍手がひと際大きく目立った。
バッキンガム邸には『存在しない』はずの住人たちがいる。