7.
浅い眠りを繰り返して、気付けば朝の4時頃になっていた。
その、浅い眠りの中でぼうっと考えていた事があった。
名前は……よっこいしょういち、だから横井正一、だろうか。その人ともう一人、ネットのニュースでちょっと見た記憶で、行方不明になっていた一人の男性がヨーロッパの森林で発見されて、発見した人と一言二言言葉を交わしてからまた森のどこかへ消えていったという、厭世のままに生きている人。
横井正一。東南アジアの森の中で、二十年位だっけ、その位の間、日本は戦争し続けていると思いながらずっと孤独に生きていた人。
その人は、どうしてそんな長い間、孤独に生き続けていられたんだろう。
何がその人を生き続けさせたんだろう。何が、ずっと、森の中で孤独に耐え忍ばせたのだろう。
戦時中の日本は狂っていたのだと、はだしのゲンやら、色んな漫画やら、教科書やら、小説やらが言っている。その狂いを、僕は身をもって知る事は出来ない。知識として知っているだけだ。
体の隅々まで、その僕には理解出来そうにもない狂いが根付いていたからか。それとも、この現代日本に、情報化社会で情報に埋もれて、偏見が偏見でなくなる事や、偏見でなかった事が偏見になるような、そんな事にも慣れ親しんでいる僕にもあり得るような事なんだろうか。
後、確か、横井正一は、生きて帰って来て申し訳ないとか、そんな言葉を言っていたらしい。それは、何から出た言葉なんだろう。本当に、本心から出た言葉なんだろうか。狂いから出た言葉なんだろうか。それとも、そうしなければならないとか、そういう打算から出た言葉なんだろうか。
僕には、分からない。
もう一つの方、ヨーロッパでの厭世して、森の中で誰とも会わずに暮らし続ける人。
厭世していたからこそそうして生きているのか、という記憶も定かではないけれど、そうなった理由はどこかしらあった筈だ。社会で苦しい事があったからそうして生きているのか、厭世していなかったら、元からそういう暮らしを望んでいたのか。
横井正一は、ヨーロッパのその人は、孤独だったのだろうか。本当の意味で、孤独だったんだろうか。
僕が今体感しているものこそが、孤独なのではないか。
そんな事を、思った。
孤独という意味に関して、僕はうとうととした、浅い眠りの中で、考えていた。
孤独という言葉からは、寂しさが感じられる。孤独という言葉からは、とても高い、とても狭い岩場の上でぽつんと立ち、そして寒い風をただただ受けているような感覚がある。
僕の少しの記憶から感じられる横井正一の孤独は、使命感だった。少しの記憶しかない、殆どでっち上げたような人物像だけれど、そこから思う事は、吹雪の中でも、ただ只管に前を睨み付けて歩いているような人だと思った。
それは間違っているかもしれない。いや、間違っているだろう。
でも、その感覚は、今の僕の助けになると思った。
また、ヨーロッパのその人から感じられるものは、とても高い、とても狭い岩場の上でぽつんと立ち、そして寒い風をただただ受けているような感覚だ。でも、その人は、自らそこに立って、風を受けている。他の場所より、そこが良いと思い、自らの意志でその岩場まで登って来た。
そういうイメージが出来て、その人は、孤独じゃないと思った。ただの、一人だ。独りじゃない。
僕は、独りだ。
僕の、僕自身のイメージは、何もない真っ白な箱の隅で、ただしくしくと泣いている子供だった。
箱には扉はある。でも、その扉の先も、ただの真っ白な空間。
僕だけが、色を持っている。
僕だけが。
それは、ずっと。吹雪の中を歩き続けても何かが待っている訳でもない。自らの意志で岩場から降りる事も出来ない。
その空間に居続けるしか出来ない。
自分で思って、中々合っていると思った。
そして、クッションに顔を埋めた。
5時頃に、体を起こした。筋肉痛は未だにある。腹筋をいきなりやった時の筋肉痛が数日続くように、この筋肉痛も数日続くんだろう。でも、もう歩くのも辛い程じゃないし、疲れもほぼほぼ取れている。
感情も、落ち着いた。ここに着く前よりも、一段階低い所に落ち着いたような感覚だ。
元から冷めているような人間だったと思うけど、更に冷めている。
独り言の頻度も、自分で分かる程に減っている。
自分の中の気力というものが、薄まりつつあるのが感じられる。
それでも、僕は前を向く。まだ、向ける。
おにぎりを食べて、サンドイッチを食べた。最初、暖かいものを食べる気にはならなかったけれど、おにぎりとかを食べている内に、食べたくなっていった。フライドチキンを食べて、コロッケを食べた。
そして、背伸びをして、少し屈伸をして、身体をコキコキと言わせ、筋肉痛に痛みを感じながら、少ない荷物を纏めてコンビニから外に出た。
変わらない朝日の中、自転車に乗った。
大学の中を見ようとは思わなかった。どうせ何も無いに違い無いし、この大学のすぐ近くのコンビニも入る前はガラスも破られていなかった。全く変わらなかった。
それだけで、分かるもんだ。
自転車をゆっくりとこいで、朝日の中、前へ進む。地図を多少確認して、半ば無心になりながら、半ば纏まらない思考を闇雲に重ねながら、僕は前へ進む。
時々、スマホの時間を確認する。
時間の感覚は、もう消え失せ始めていた。スマホの時間だけが、僕の絶対の時間だった。
充電器と繋げ忘れたりして、スマホの電池が切れたら、僕の続いて来た時間を確認する術は、何一つなくなる。
それは、恐ろしい事だった。
僕の人生は、いや、現代社会に住むかなりの人々の人生は、時間に支配された人生だ。そして、支配されている事に慣れている。慣れ過ぎている。
このスマホは、気付けば、僕の数少ない拠り所の一つだった。
SNSやら、ソシャゲやら、メールやら電話やらが出来なくなろうとも、スマホはとても役に立っている。もしかしたら、時間が動いている時以上に。
変なものだと思った。
11時頃までゆっくりと自転車をこいで、結構疲れた。
この地方都市を離れ始めて、そこで大きなスーパーを見つけて、そこに入る事にした。
毎度よろしくガラスを叩き割って、中に入り、適当に食材を手に入れる。パンが良いな、と思った。時間が止まった時は、5時47分。詳しく言えば、5時47分32秒だ。コンビニに入って、すぐさまバックルームに入って寝てから、体調を崩して、そして初めてそのデジタル時計の近くに行った時の時刻だ。それは間違いない。良く覚えている。
とにかく、その時間は、パンが焼き上がったりする時間じゃないか、と思った。
そして、スーパーにはパン屋が良くついているものだった。
パン屋は当たり前のようにそこにあって、そして当たり前のように止まっていた。僕は当たり前のように調理場へ入った。
「お」
焼きたてのパンが、そこにあった。レーズンパン。クリームパン。食パン。ドーナツっぽいの。チョココルネとかも。
気分はちょっと、良くなった。いや、結構良くなった。
とても美味しい。
うん、美味しい。
美味しい。
何か、感動した。美味しくて。ほかほかで、モチモチで、中にあるレーズンが美味しくて。クリームがほくほくで、暖かくて、丁度良い甘さで。ただの食パンが、食い千切る度に音もなく引き千切れて、ちょっと弾力を持ってからぶちっと千切れて。
口の中でも、程良い弾力を持っている。そして、その感触を味わいながら、舌でほくほくの小麦の味を、涎で引き出されたデンプンの甘さを感じながら、何度か噛んで飲み込んで行く。
ハーモニーとか、そういうグルメ番組とかマンガであるような誇張された表現が、正に合致していた。
そう、美味しい。涙が出そうになるほどに。冷め続けている僕の心までが温まるように。
ホットドッグもあった。日本の、惣菜パンのようなホットドッグだけど、はふはふと言わなければいけない程熱いソーセージ、つぶつぶで、なめらかな辛さのマスタード、シャキシャキなレタス、そしてホカホカなパン。ソーセージから出る油が、小麦と、レタスと、マスタードと、ソーセージそのものととても合っている。
粉砂糖がふんだんに駆けられたツイストドーナツは、半額のシールが貼ってあるようなそんな売れ残りになってしまうような時が良くあるそんなみすぼらしさは全く無かった。甘くて、美味しくて、甘くて、美味しかった。
焼きたてのフランスパンは、冷めたフランスパンとは全くの別ものだ。外のカリカリと中のモチモチが、とてもマッチしている。
ジャムとか、何も要らない。パンだけで、とても、とても、美味しい。
僕は、心から、温まったような気がした。
そして、心から満足して、スーパーから出ようと思った時、ふと、時計コーナーに目が入った。
そこに行って、時間を再確認したら、5時47分33秒だった。
「…………あれ?」
…………これは、どういう事だ?




