表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/16

13.

 道路から外れた草の生い茂った川べりで、止まった川をじっと眺めている犬。その体は僅かに動いていた。動いていた。

 止まった景色の中で。風も何も無く、草は揺れず、水は変わらない輝きを保ったまま。そんな光景の中で、その犬は、動いていた。

 目の先に、生物が居る。人間じゃないけれど、互いに警戒心とか抜きにまで親しくなれる生物が居る。

 それがどれだけ嬉しい事か。それが、本当に、どれだけ、嬉しい事か。

 この嬉しさは、本当に、今まで生きて来た20年間の中で一番の嬉しさだった。断言出来る。

 声を抑えきれなかった。自転車から降りて、そして、どうしたら良いのか僕は、分からなかった。

 野良犬と仲良くなる方法なんて、知らない。

 どうすれば良いんだろう。間違える訳にはいかない。誤る訳にはいかない。そうしたら僕は、このまま川を渡らなければいけない。実家まで行って、そして、そのまま何も無いまま、僕は終わる。

 そんなのは嫌だ。とても、とても。

 今から戻って図書館とかを探して情報を集めようか。いや、そんな事をしたくなかった。もう、実家まで近い中、寄り道なんてしたくなかった。一歩たりとも、戻るという行為をしたくなかった。

 僕の精神は、今、幾ら昂ろうとも、頭の中の海が一気に消え去る程にとても楽になろうとも、余裕が無い事には変わりなかった。視界は狭く、やりたい事しか、やるべき事しか、それらに対して一直線にしか進めなかった。それを確実にする行為であろうとも、外れるのならばやる気は全く出なかった。体が動こうとしなかった。

 絶対に誤ってはいけないと思っているけれども、それを確実にする為であっても、戻るという事はしたくなかった。それなら、僕は、ここで自分の思う最善に任せる事にする。

 僕はその一直線にしか進みたくない頭で少しだけ考えて、座る事にした。

 待つだけなら、まだ、耐えられる。犬が僅かに動くのを見ているだけで、僕の心はとても癒される。熊のように、見つかったら命の危険がある、という事も無い。


 犬は、僕に中々気付かない。そんなに動く事もなく、ただ、止まった川を見ている。僕が叫ぼうとも音は犬の方までいかないから気付かない。届くのは光だけ。どういう原理かは知らないけれど。

 その原理を僕は知れる事も無いだろうし、そもそも知ろうとも余り思わない。

 犬は適応しているんだろうか。それとも、出来ていないんだろうか。あの姿からだけじゃ、余り想像出来なかった。痩せこけている訳でもなく、太っている訳でもない。

 あのスーパーに居た熊のように、無限大の食糧を手に入れてもう何もしないニートのようには見えなかった。

 かと言って、僕のように寂しさに溺れてどうにかなってしまいそうな脆さも無かった。

 寂しいという感情は、何が持つんだろうか? 寂しいという感情を持つ生物は、何を持っているんだろうか?

 寂しさという感情を持っていなければ、僕は大学の方で黙々と生き続けていたんだろうか。

 寂しさを持つ事の利点は何だ。欠点は何だ。

 僕は、それを知らない。

 でも、それを考えようとは思わなかった。そんな疑問を追及したいほど、僕の頭はこの世界でアクティブを保っていなかった。

 うと、うと、と眠気が次第に襲って来る。僕の体は、精神はともかく、肉体も海に支配されていた時から回復している訳でも無かった。

 眠ってもいいか、と少しずつ思って来る。

 犬が自分に興味を持って顔を舐められて起こされたら、最高だ。ただ、そこから居なくなって、もう探しても見つからなくなったら最悪だけれど。

 でも、動いている人間、というものがここに居る事は分かるだろうし、犬がその自分に対して何もしないで去るとも思わなかった。

 犬には、寂しさがあるだろう。それは、犬という生物に対してテレビやら史実やらから知れる事だし、あの犬を見ても思う事だった。

 うとうととしてきて、草むらに寝っ転がって、近い内に目を閉じた。

 犬はまだ、気付いていない。心地良い眠りが意識を塗りつぶしていく。

 僕が、こんな心地良い眠りを出来るのは、後何回なんだろうか。これから、僕は、どれだけ生きるんだろうか。


 目が覚めて、一度、寝転がった。

 目を擦って、犬の居た方を見た。居なかった。周りを見た。道路の、自分と、自分の自転車ともちょっと離れた場所にその白い犬が居た。座って、そこに居た。

 犬種は、まあ、多分雑種だろう。首輪は無く、野良犬のようだった。

 起き上がって、目を合わせた。

「……」

 犬は、何を思っているんだろう。いや、僕は、何を思っているんだろう。

 緊張のある空間がそこにあった。時が止まってからの時間以上に、とても久々な気がした。

 熊を見た時の緊張とはまた別の、互いに認識している、落ち着いた緊張。

 そして、僕はここからどうしたら良いのか分からなかった。今、僕は荷物を何も持っていなかった。犬にあげられるような食べ物も全く。自転車と、着ているこのコンビニの制服。後、水位だ。

 いや、そもそも、餌付けも役に立つか分からない。犬がこうして生きているって事は、食い物には困っていないって言う事でもあった。

 そして、戻りたくはなかった。それは、犬が付いて来るかどうかを天秤に乗せても、揺らぎはあるけれど、戻りたくない方が強かった。

 これ程にまで強い事に、自分でも驚くほどに。

 僕は、自転車に乗った。犬は立ち上がった。

 軽くこぎ始めて、橋の方に向かうと、躊躇うように数瞬そのままだった。前を向いて、もう少し走る。

 犬は、ついて来た。

 とても、とても嬉しかった。

 付いて来なかったら、僕の方が立ち止っていたのか、それは分からないけれど。まあ、良いように進んだのは、とても嬉しい。


 自転車でゆっくりと走りながら、川と、その先の太陽を眺めた。全く動かない川と、眩しい太陽。

 今は、それを見ても何とも思わなかった。幾ら見ようが、頭の中で何か悪いものが出来てしまうような事は無かった。

 あの時、海を見てしまって僕がおかしくなったのは、僕の中の色んな要素が交り合っての、偶然だったのだと、今になって分かる。

 認めたくなくとも、僕の体は、頭は、この世界を受け入れる準備をしつつあった。海を見る前までは、準備が出来ていなかった。おかしくなって、戻れて、そして、受け入れつつあった。

 人という複雑な思考を持つ、社会的な生物だからこそ、そうして紆余曲折を経る必要があったのだと思う。

 けれど、僕として、この世界を受け入れたくないとも強く思う。

 こんな世界で生きていきたくない。この世界そのものがストレスにならなくなる事を、僕は受け入れたくない。

 そして、もうすぐ実家だ。

 野良犬を連れて、僕は、川を越えた。

 コンビニを複数経て、スーパーが見えて来た。

 そこで、自転車を止めた。

 スーパーに無理矢理入って、ミネラルウォーターと、適当に皿を見繕う。

 ついて来た犬に、皿に水を入れて、渡した。

 ぴちゃ、ぴちゃ、と音を立てながら、美味しそうに飲んでいた。

 僕は、それを暫く眺めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ