1.
連載するにあたり、SFからローファンタジーに変更しました。よろしくお願いします。
連載は不定期になると思います。
……。帰ろう。僅かだけど、僕の都合の良い考えだけど、ほんの塵にも満たない可能性だけれども、それでも、僕は、それに縋りたい。いや、縋らなきゃ帰れない。
僕は、それだけが、もう、生きる為の目的だった。
―――――
目が覚めた時、まだ、そこには何の変哲も無いように思えた。
僕は、いつものようにすぐ近くにある目覚ましのスヌーズと睨めっこしながら、そして眠気にギリギリまで身を任せるか、朝飯を食べるか、という事を天秤に掛けながら、布団の中で浅い眠りを繰り返していた。
ただ、二度目位のスヌーズで気付いた。
全く、自分以外の音がしない。
人の音、車の音、鳥の声、風の音。外は、普通に晴れていた。
大した事じゃないとは思えなかったけれど、でも、大それた事でも無いだろうと、まあ、偶然ある事だろうと思いながら、僕は体を起こして窓を開けた。
同じアパートに住む大学の友人の車が駐車場にあった。
電柱が立っていた。太陽の日差しが眩しかった。駐車場の先にはいつも通りに家が建っている。人は居ないが、まあ、この裏道に建つアパートの窓から見える広くない視界ではおかしくない。
ただ。
どうもおかしかった。
その視界が訴えるおかしさに、僕の体は一気に覚めていく。
そして、気付く。
……死んで、いる?
生物でないそれらの建物に対して、その表現はおかしいとも思ったけれど、それでも、その表現が一番合っていた。
それに、妙に薄暗かった。
太陽は? ……今、八時だよな。どうしてまだ半分程度しか顔を出してないんだ?
……何だこれ。何なんだこれ。
おい。
時計と太陽を何度も見比べた。自分が今見ている方向が南である事なんて、疑いようもない。ここから見える景色は、全くいつもと変わらない。家々も、駅前に建つホテルや銭湯も、遠くに見える山脈も、全く変わらない。変わらなさ過ぎる。
原子そのものが止まってしまったような、絶対零度の世界に彷徨いこんでしまったような。某漫画のキャラのような能力がいきなり身に備わったみたいな。
……いや、でも、これはそんなものじゃない、と直感した。喜べるようなものじゃない。
充電に差していたスマホを手に取った。
電源は点いた。でも、圏外だった。
背筋が凍る。今まで、体感しなかった程の、恐怖。襲い掛かる、絶望。
……ふと、また目覚まし時計を見た。動いている。
どくどくと、心臓が早打ちを始める。頼むから、そうならないでくれ、と僕は、何よりも、本当に、一生のお願いだから、と強く願った。
僕は、時計を置いた。
時計はまだ、動いている。
そして、ゆっくり、ゆっくり、離れた。
――漫画の中で、時間を止めるという能力を持ったキャラクターが出て来る事があった。
しかし、厳密に時を止めるという事は、周りの空気さえも止まってしまうと言う事だ。だから、都合良く、自分だけが動けるように、自分の周囲だけは動くようになっている。
そんな考察を見た事があった。他にも、時を止めるのではなく、自分だけが物凄い早送りで動けるようになっている、とか。
でも、自分だけ物凄い早送りで動ける、という事は無い。体を起こした時、布団は普通に僕の体からずり落ちた。
そして、少しだけ離れただけで、時計は、止まった。
時計は止まった。
「……」
なんだ、これは。
なんで、こんな事が起きている?
靴を履いて、鍵を開けて、隣の部屋をノックする。返事はない。
「すいませーん! 誰か居ませんかー!」
この部屋だけじゃなくて、それ以上の遠くにも伝わるように、僕は大声で叫んだ。でも、返事は無かった。
片っ端からノックしてみる。全部、返事は無い。
何度も叫んだ。返事は無い。
途中からドアノブも回した。二階から一階へ降りてから、三部屋目で、ドアが開いた。
「あ……」
中に人が居たらどうしよう、と開けてから思った。中には生活臭があった。
雑多に散らばる雑貨。余り使われていないキッチン。しわくちゃな万年床。けれど、そこに人は居なかった。
「……え?」
下を見た。靴はあった。仕事用に履いているような革靴と、休暇用のスニーカー。両方ともある。
今日は水曜日。昨日は火曜日だから、仕事用の靴がある事は、二足以上持っている可能性もある。
そんな事思うのは気休めだと思っていても、そう思わざるを得なかった。
靴を脱ぐ手間さえも煩わしくて、そのまま部屋へ入り込む。
玄関から見えない場所に、会社用の鞄があった。財布があった。鍵があった。
人だけが、居なかった。
「……おいおい…………」
なんだよ、これ。
なんなんだよ、これ。
何がどうなったんだよ。
逆に、何で、僕だけが取り残されたんだよ。
本当に、取り残されたという表現が合っている気がしてならなかった。
でも、まだ望みを捨ててはいけない、と僕は自分に言い聞かせた。
僕だけが、本当に僕だけが、取り残されたのか?
それは、千人に一人単位か、万人に一人単位か。世界中で僕だけなんて、あり得るだろうか?
「……学校に、行こう」
そこまで規模は大きくない大学だけれども、避難場所にも確か指定されていた場所でもあるし、それにここ辺りのランドマークでもある。
僕は最低限の準備だけをした。ふと思って、物を遠くに投げてみたら、途中で宙に止まった。
「本当に、止まってるんだな……」
人が消えた事と、時が止まった事。どちらも、僕を混乱させるには大き過ぎる出来事で、準備をする内に落ち着き始めているような気がした。
それは、一線を越えてしまった、おかしくなってしまった、とも取れるかもしれないけども。
自転車に乗り、走り出す。自転車は動いてくれた。
車だったら、動いてはくれないだろうな、と思う。
自分の周りだけでしか、時は動かない。どういう原理なのかは分からないし、超常的な何かが起こったのだとしか思えないけれど。その、自分の周りの範囲は、結構狭かった。車の全体が動くまで大きくは無い。
とても小さい車なら動くかな、と思ったけど。
鈴を頻繁に鳴らしながら、ママチャリをゆっくりと走らせる。
町には人はおろか、動物も見当たらない。犬や猫、鳥もいない。植物はそのままあったけれど、虫さえもが見当たらなかった。
多分、物も腐らないだろう。食べるのには苦労しない。飢える心配はない。でも、それと生きていけるかどうかは別だ。
徐々に学校が近付いて来る。誰も、今の所は、見つからない。
チェーン店。コンビニ。
誰かが時が止まった後に何かをしたような痕跡も、何も見当たらない。
自然と足が遅くなる。
それでも、学校には着いてしまう。
僕は、好き好んで人間関係を広めたりとか、良く遊びに行こうとかする方の人間じゃない。でも、全く必要としてない訳でもない。
一人でずっとアパートでゲームをしていたゴールデンウィーク、一週間にも満たないその時間で僕の心はとても枯れたものになっていた。
僕は、僕は。
全く動かない木々の先に大学の看板が見えて来た。
涼しい空気。全く風の無い空気。
自転車のベルをチャリチャリと鳴らした。その音は遠くにも行っていないように思えた。
実際そうなのだろうと思った。音は振動だ。空気が動いてなきゃ、音も伝わらない。
大学の正面に着いた。規模としてはとても小さい大学。でかい高校よりも小さい大学。
その正面には誰も居なかった。いつものように煉瓦作りの道路があり、その先に建物がある。偶に近くの幼稚園から園児達が来て遊んでいる広場の遠くに山が見える。
ただ、それだけ。
ただ、それだけ。
何も動いていない。僕以外の何もが動いていない。
「何だよ、これ。嫌だ……夢だよな……」
自転車のまま中へ入った。
「誰か居ませんかー!?」
返事は無い。そもそも声が届かない。僕はまず先に研究棟へ向かった。そこなら、まだ寝て、この現象に気付いていない人が居るかもしれないと思ったから。
でも、その前には電気がもう通ってない、自動ドアがあった。ガラスのドアだ。
僕は、太く乾いた木を持ってきて、そして布を被って躊躇無く叩き壊した。
「ああ! おらあ!」
こんな時に、この東北の大学の二重扉はウザかった。二度も扉を壊して僕はまた叫びながら研究棟の中を歩いた。
そして、誰も居なかった。
売店のガラスを叩き割り、カロリーメイトとか適当な物を食って腹を膨らませた。飲み物も、冷蔵庫の電気は消えてたが冷たいままだった。
ガラスを何度も叩き割る物は、木から鉄の棒に変わっていた。我慢出来ずにその鉄の棒でレジを叩き壊した。本棚を蹴り飛ばした。
叫んだ。僕は、どうしたら良いのだろう。
何度も叫んだ。何度も何度も。いつ以来になるか分からない、涙さえ流した。疲れて倒れた。適当に飯を食った。誰も来ない。外に様子を見に行くも誰も来ない。
空は薄暗いまま。太陽はいつまで経っても日の出の場所にあるまま。
鉄棒を投げ飛ばした。すぐ近くで止まった。掴んで叩き下ろした。何度も叩き下ろした。叫んだ。スマホを見れば、まだ正午だった。まだ五時間も経っていなかった。
僕は、どうすれば。でも、一回、待ってみよう。それが一番、誰かに会える可能性が高い。
夜の時間になった。太陽はそのままそこにあった。誰も来なかった。
起きても誰も居ない。屋上に向かった。窓ガラスを割り、屋上に出て、縁でオナニーをした。虚しかった。精液は宙で朝日を浴びていた。これからずっと浴びているのだろう。
何も動かないトイレでトイレットペーパーで手を拭って荷物を纏めて学校を去った。自転車で古本屋やら食い物屋やらがある場所まで来る。誰も居ない。
衝動に任せてガラスを割った。ソファに穴を開けた。テーブルをボロボロにした。椅子が折れた。冷蔵庫が傷だらけになった。包丁が肉に突き刺さったままになった。肉が無意味に切り裂かれた。野菜が無意味に散らばった。古本屋でまだ完結してない本を破り捨てた。興味の無い本を破り捨てた。興味のある本を破り捨てた。全く聞かないCDを叩き割った。全く見ないDVDを、全く見ないブルーレイを叩き割った。見たことのある映画を叩き割った。中古のゲームを叩き割った。中古のゲーム機を叩き割った。レジの先の高級な物があるラックを倒した。崩れた物を何度も踏みつけた。小便をぶっ掛けた。ウンチをぶっ掛けた。唾を垂らした。叫んだ。泣いた。
泣きながらもう一つのランドマークに行った。学校と自分の家の反対側にある城に。
けれど誰も居なかった。誰も居なかった。誰も居なかった。
叫んだ。叫んだ。叫んだ。泣いた。叫んだ。泣いた。泣いた。叫んだ。声にならない叫びを、意味のない涙を、心が崩れていく涙を、心をそのまま出しているような叫びを。
僕は、僕は。僕は、僕は。
アパートに帰った。寝た。起きた。腹が減って、でも、死にたくないと思った。まだ。
まだ。
僕は。帰りたいと思った。帰りたいと。
こんなどうにもいかなくなった世界でも。
僕は、帰りたいと思った。帰りたいと思った。
僕は、スーパーに歩いて向かう。涙の痕を、鼻水の痕を、枯れた喉を、ひきずりながら。
僕はスーパーのガラスを割る。割って中に入って、薄暗いそのスーパーの中で、適当にものを食べる。
僕は、実家に帰りたいと思った。
別に他人に比べて特別な思い入れがある訳でも無いだろうけれど、それでも。
僅かだけど、僕の都合の良い考えだけど、ほんの塵にも満たない可能性だけれども、それでも、僕は、それに縋りたい。いや、縋らなきゃ帰れない。
僕が、居るのだ。
家族の誰かが居ても、おかしくないだろう。おかしくない。絶対。きっと、いや、絶対。でも、多分、いや。
絶対。
大した準備は要らない。物は沢山転がっている。どこにでも。
必要なのは、一番必要なのは、この時が止まった世界で、この誰も居なくなった世界で、僕が、一人で、車も使えずに、電車も使えずに、自転車だけで、その遠い実家まで帰るという事。何日必要だろう。ママチャリで学校との往復しかして来なかった僕に、何日必要だろう。その何日、僕は孤独でずっと、SNSも勿論、現実世界でも、コンビニの店員とも、銭湯とかでも、何も会話をせずに、帰らなければいけない。この、朝日の時間に。時が止まった世界で。狂った世界で。壊れた世界で。
僕は、それでも帰りたい。それが、僕の、唯一残った、望みだ。




