4話
「助かったよ少年、君がいなかったら死んでいた」
目玉の消滅を確認した後、肩の治療を終えたおじさんが助かったと礼を言いに来た。
「いえ、放っておくわけにもいかなかったので。おじさんも無事でよかったです」
ギリギリまで逃げようと考えていたことは言わぬが花というものだろう。
「見た感じまだ幼いのに立派だな。俺のことはグレンと呼んでくれ」
そう言うとグレンさんは手を差しだしてきたので、僕もその手を握り返す。
「ハルです、よろしくお願いします。……あの、ところでさっきの魔物について何か知っていることってありますか?」
ここは普段狩りをしている場所のすぐそこだ。
そんな場所で見覚えのない魔物が出たとなると、近くで暮らしている僕としても放っておくわけにはいかない。
「私達もあんな魔物初めてみたの……。ギルドで配っているこの辺りの魔物情報にもあんなのはのっていなかったわ」
リズと呼ばれていた魔法使いの少女が、少し怯えたような口調で僕の質問に答える。
戦いが終わって安心したせいか、じわじわとさっきまでの恐怖を実感し始めたようだった。
「……あいつは多分、エビルアイって魔物だ」
グレンさんはそう呟いた後、確信はないから一度ギルドに確認する必要はあるがな、と付け加える。
「エビルアイ? そんな魔物きいたことないぞ」
それまで黙って話を聞いていたレイスさんが、いぶかしげにグレンさんの言葉に反応した。
僕もそんな魔物は聞いた覚えがないし、やはりこのあたりには生息していない魔物のようだ。
「そうだろうな。あの魔物はまだ魔族軍との戦争をやっていた頃、最前線の方でよく見られた魔物だ。戦争終結後は全くみなくなったんだが、なんで今更になって」
魔族軍、という言葉を聞いて全員の顔がさっと青くなった。
十年たった今でも、その言葉には多くの恐怖が含まれている。
僕も例外ではなく、背筋に冷たいものが走った。
「今の魔物が本当にエビルアイであるかどうかはともかく、一度ギルドに戻って報告をする必要はありそうですね」
さきほどまでグレンさんの治療をしていたニアさんが、暗くなる空気を払拭するようにそう提案した。
グレンさんもその提案に頷いて賛成する。
「そうだな、俺たちが思い悩んだところでどうなるわけでもない。ハルもできれば一緒にギルドまで付いてきて欲しいんだが、大丈夫か?」
「この後すぐ、ですか。うーん、師匠をほったらかしにして街に行くのは……」
お腹を空かせて待っているであろう師匠を思い浮かべ、返答に詰まる。
事が事なのでこのままグレンさんと一緒にギルドに向かいたいところだけど、師匠は僕がいないと本当に何もしないからなぁ……。
「いや、助けてもらった上、急に無理をいってすまなかった。ただ、俺たち討伐者全員にとって大事なことだから、今度時間があるときにでも一度ギルドに来てくれないか」
僕がしぶっている雰囲気を感じ取ったのか、グレンさんがそう申し出てくれた。
「そう言ってもらえると助かります。明日には僕も一度ギルドに報告しに行こうと思うので」
「わかった。それじゃあ俺たちは一度街に戻る。明日また、ギルドで改めて礼を言わせてくれ」
明日ギルドで落ち合う約束をした後、四人全員からお礼と挨拶をされ、街へと向かったグレンさんたちと別れた。
すでに日は暮れ始め、木の影も随分と長くなってきている。
遅くなって心配させるわけにはいかないと、師匠が待っている家に向かって駆け足で走り出した。
***
「本当に反省しているの」
「反省してます……。ごめんなさい……」
目の前で気まずそうに目をそらすハルの頬を、両手でぐっと押し上げて、強引にこちらへ向かせる。
額が触れそうなほど近くに顔を寄せ、じっとハルの目を覗き込む。
「私、心配したんだよ。言ったよね、無理はしちゃダメだって」
日が完全に落ち、外が真っ暗になってから帰ってきたハルを玄関でとっ捕まえた私は、どうしてこんなに遅くなったのかを問い詰めていた。
もちろん、感知魔法でハルが何をしていたか、何と戦っていたのかは知っている。
けれどあえて知らないふりをしてハルに迫ると、すぐに自分が何をしてきたのかを話し始めた。
そして一部始終を聞き終えた私は、ハルを正座させてお説教をはじめ、今に至る。
「ごめんなさい……。人が襲われてるのを見てたら、体が勝手に動いちゃって」
目線をそらすこともできなくなったハルは、観念したようにそう呟いた。
その言葉を聞いて、私は思わず大きくため息をついてしまう。
『だって目の前で困ってる奴がいたら普通たすけるだろ?』
そんな懐かしい言葉が、ふと脳裏によぎった。
育ててきたのが私とはいえ、どうやら血は争えないらしい。
「ハルがしたことは立派だと思う。でも、自分が危ない目にあったら本末転倒だよ。次は気をつけなさい」
そこまで言った後、私はハルの頬から手を離して、彼の体をゆっくり抱きしめる。
ついこの間まで私より一回りも小さいくらいだったはずなのに、いつのまにか大きくなったなぁとそんな思いが胸を占めた。
「ちょっ、師匠なにをして」
慌てた声をあげるハルを横目で見ると、耳まで真っ赤になっている。
そんな初々しい反応にくすりと頬を緩ませながらも、そっとハルの髪をなでた。
「怖かったでしょ」
ハルは強い。
そんじょそこらの冒険者なんかでは相手にならないくらいの強さは持っているはずだ。
親譲りの才能、小さい頃から私に鍛えられてきた経験があるから。
だからこそ、いままで死を意識したことはなかったはずだ。
だけど今日の相手は違う。
エビルアイはまだ、ハルの手には余る相手だ。
危なくなったらすぐに助けに出られるよう待機はしていたけれど、それを知らないハルは生まれて初めて、死の気配を感じた戦いだっただろう。
「あ……」
私のその言葉に、ハルはようやく自分の中の恐怖を自覚したように、ポロポロと涙を流す。
そんな彼を優しく抱きながら、遠い過去、ハルの母親が私にしてくれたように泣き止むまでそっと髪を撫で続けた。