2話
「はっ、ふっ、やぁっ!」
汗を飛び散らせながら、眼前の師匠へ向けて必死に剣戟を繰り出す。
息も上がり、体の重さが無視できなくなってきた僕とは対照的に、師匠は武器すら持たず軽やかに僕の攻撃をかわしていく。
「剣の速さが落ちてきた。今日はもう終わりにする?」
「まだまだぁっ!」
汗ひとつかいていない師匠にそう言われて、引き下がるわけにはいかない。
残り少ない体力を振り絞って、勝負を仕掛けにいく。
木剣を振りかぶりながら強く地面を蹴り、急速に師匠との距離を詰める。
いつもの師匠なら僕の踏み込みと同時に同じ分だけ身を引いて距離をとるが、今日は予想を裏切り逆にこちらへ向かってきた。
剣が振り下ろされるより早く、僕の懐に潜りこんだ師匠は腕を掴んで軽くひねる。
次の瞬間、僕の視界はグルンと一回転した。
あの細腕のどこにそんな力があるのかわからないが、どうやら腕一本で投げ飛ばされたらしい。
逆さまになった師匠の顔を見ながら、戦闘中の凛々しい顔も可愛いなぁ、なんて呑気なことをおもいつつ、頭から地面に突っ込んだ。
「ぐへえっ」
「はい、おしまい」
ぱんぱんと乾いた音を鳴らして手についたホコリを払いつつ、師匠がすました顔で訓練の終わりを告げる。
もはや数えるのも馬鹿らしい敗戦記録を、今日もまた積み重ねてしまったようだ。
「……いつになったら、僕は師匠に勝てるんでしょうね」
「当分は無理じゃないかな」
地面に突っ伏したままぼやく僕の言葉に、笑顔で辛辣な言葉を返してくる師匠。
「いつか絶対、師匠を越えて見せますから」
「期待してる」
そう言うと師匠は倒れたままの僕に優しく手を差し伸べてくれる。
その手を掴んで、疲労と体を打ち付けた痛みで軋む体をゆっくりと起き上がらせた。
「さて、それじゃあ私はもうひと眠り」
「ダメです。今日こそ部屋を片付けてもらいますからね」
戦闘中はあんなにかっこいいのに、どうしてその他のところはダメなんだろうかこの人は。
まぁそのだらしないところも可愛いんだけれど。
「僕は街で受けた依頼の続きがあるのでこの後森にいきますけど、帰ってくるまでにちゃんとやっておいてくださいね?」
僕がもう一度釘をさすと、師匠はわかってるよと唇を尖らせて不満そうに答える。
「この辺の魔物なら大丈夫だと思うけど、無理はしちゃダメだよ」
「大丈夫です。あなたの弟子はそんなにヤワじゃないですから」
力強く返した僕の答えに師匠はそうかと頷くと、じゃあ部屋の片付けをしてくると肩を落としてとぼとぼと家の方へと踵を返していった。
「……ちゃんと帰ってくるまでに終わってたら、夕飯は師匠の好きなものにしてあげよう」
心なしか普段より小さく見える師匠の背中を眺めながら、師匠の喜ぶ顔を思い浮かべて頬をゆるませた。
戦争が終結して十年。
莫大な爪痕を残した戦争の影響はいまだ健在で、人間界が復興したとはまだまだ言えない。
特に、最前線に位置するヒュリアス王国は、戦争後も様々な問題を抱えていた。
その一つが、魔族軍が尖兵として大量に放った魔物達の被害だ。
魔族軍が壊走し、統率を失った魔物達は野生化して王国周辺へ住みついた。
厄介なことに繁殖能力を持つ魔物達は、十年たった今もその数を減らすことなく人間に被害を与えている。
とはいえ、人間側もその状況を眺めているだけでなく、対処法を編み出していた。
討伐者と呼ばれる魔物退治の専門家と、その討伐者を統率する討伐ギルド。
討伐ギルドの管理下の元、討伐者の実力に応じて適切な魔物退治の依頼を割り振り、効率的に魔物の脅威と戦える体制を整えた。
戦争終結によって職を失った元傭兵を抱え込んだりと、人々の生活基盤を支えるのにも役立っている。
「依頼の残りはキラーラビット五体か。日が暮れるまでには終わらせたいな」
明日は街に行く用事があるし、今日中に討伐ギルドからの依頼は片付けておきたい。
師匠と訓練をしていたこともあって、日が落ちるまで残り数時間。
てきぱき終わらせないと師匠がお腹を空かせてしまう。
「あいつら小さいから見つけるのが大変なんだよなぁ」
キラーラビットは、討伐難易度自体は難しくないが、手で抱えられるほどの大きさのせいで発見するのが難しい。
そのくせ、一撃必殺の習性から戦闘に携わらない人への被害は多いという厄介な魔物だ。
「五感強化発動」
視覚に頼っていては拉致があかないので、魔力を使って五感を研ぎ澄まし周囲の索敵を始める。
普段の何倍もの情報量が流れこんでくるが、もう慣れたもので膨大な情報の中から必要なものだけを選択していく。
「……みつけた」
強化した聴覚が、特徴的な音を捉えた。
小動物ががさがさと草をかき分ける音が、一定の間隔で鳴っている。
気づかれないようにキラーラビットとの距離を詰めると、草陰ちらりと白い影を確認した。
腰に下げた鞘からすらりと剣を抜いて、拳で剣身を叩く。
金属が震える重い音があたりに響き渡ると、特徴的な長く伸びた耳をぴょこぴょこと動かしながら、キラーラビットが立ち止まった。
音のした方に目を向け、僕の存在に気づいたキラーラビットはその小柄な身体を揺らしながら全速力でこちらへ突っ込んでくる。
「まず一匹目っと」
寸分違わず僕の喉元に狙いを定めて飛びかかってくるキラーラビットを、構えた剣を横に薙いで切り裂いた。
キラーラビットは人を見つけると、脅威的な跳躍力で喉元を食いちぎろうと飛びかかってくる。
そのため、対処する術を持っていないと一瞬で殺されてしまう怖い魔物だ。
とはいえ、逆に言えば喉元しか狙ってこないので攻撃の軌道は読みやすく、討伐者にとっては大した脅威じゃない。
討伐した証である耳を切り裂いて鞄にしまい、近くに他のキラーラビットがいないかと再び五感強化を発動する。
と、すぐさま新しい情報が入ってきた。
「これは……、剣の音と、血の匂い?」
この辺りで珍しい情報に思わず眉をひそめる。
おそらく、他の討伐者が何かと戦っているようだけれど、どうも苦戦をしているようだった。
「師匠には後で怒られそうだけど……。ちょっと様子だけみてこよう」
さすがにこのまま無視をするわけにはいかない。
強化された五感が伝えてくる情報をもとに、討伐者がいると思われる場所へと急いで駆け出した。