1話
『こんな事、アイラに頼むのは間違っていると思うわ。でもお願い、私の代わりに、あの子の事を助けてあげてほしいの』
私の手を弱々しく掴む彼女の手を力強く握り返しながら、私はこくりと頷く。
「あの子は、私のすべてをかけても守り抜く。それが私が唯一できる、あなた達への恩返しだから」
『ありがとう』
そんな私の反応を見て、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
『そして、ごめんなさい』
そう付け加えると同時に、彼女の口から鮮血が溢れ出す。
彼女の腹には漆黒の大剣が突き刺さり、回復妨害と傷口拡大の呪いが、今も彼女の身体を蝕んでいるのがわかる。
死にゆく彼女を前にして、私はこみ上げる悲しみと嗚咽を抑えこんで、慣れない笑顔を精一杯作り出した。
「ハルは必ず幸せにする。だから、安心して」
私の言葉に満足したように、彼女はふぅと大きく息を吐き、そしてゆっくりと私の手を握っていた手から力が抜け落ちていく。
最愛の仲間の、最後の一人が息をひきとるのを見届けた後、私以外の命が消え去った静かな空間で、私は溢れ出る情動のままに泣き叫んだ。
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うららかな陽気、耳触りの良い小鳥のさえずり、頬を撫でる心地の良い風、そして身体を優しく包み込む特注品の毛布。
これ以上の幸せはないんじゃないかと思えるほどの至極の時間を、こみ上げる欠伸と一緒に噛みしめる。
「いつまで寝てるんですか師匠!もう一日が半分終わっちゃいましたよ!」
そんな私の幸せは、うるさい弟子の大声でぶち壊された。
「私の一日は布団からでたところから始まるから、まだ始まってもいない。嘘ついて私をひきずりだそうとしても無駄」
「何アホなこと言ってるんですか。食器が片付かないのでさっさと起きてお昼ご飯たべてください」
ゴミでもみるかのような冷たい目でそう吐き捨てられた。
もっと親思いで師匠思いな優しい子に育ててきたはずなのに、どこで教育を間違ってしまったんだろうか。
「……最近のハルは冷たい」
恨めしげな目で愛弟子を軽く睨むと、ふいとそっぽを向かれてしまった。
「師匠がいつまでたっても自立してくれないからですよ! 師匠の世話をしている時間でどれだけ修行ができるとおもってるんだか」
これ以上わがままを言っていると本当に怒られそうなので、名残おしさを噛み潰し毛布からもぞもぞと這い出る。
寝ている間は気がつかなかったが、部屋の外からは美味しそうな匂いが漂ってきていた。
どうやら私が惰眠を貪っている間にしっかりと昼食を作ってくれていたらしい。
なんだかんだ文句を言いつつもしっかり世話をしてくれるあたり、ハルは良い子に育ったと思う。
「何ニヤニヤしてるんですか。気持ち悪い顔してますよ」
「師匠に向かって気持ち悪いなんて失礼。罰として今日の訓練は厳しめにするから」
そんな私のささやかな反撃も、ハルに望むところですよと軽く流されてしまった。
「……これが噂の反抗期か」
ししょーししょーといっつも後ろをついてきた時は可愛かったのになぁと昔の記憶に想いをはせつつ、ハルが待つ食卓へと寝起きで重い身体をひきずっていった。
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一回、二回、三回。
振り慣れた木剣を手に黙々と素振りを続ける。
目に焼き付けた師匠の動きを脳裏で浮かべながら、一回一回心をこめて木剣で空気を切り裂いた。
「ふぅ。こんなもんかな」
物心ついた頃からの日課で、もう生活の一部となった朝の素振りを終え、汗だらけの身体を拭く。
ついでに水浴びもすませさっぱりした僕は、師匠の部屋へと向かった。
剣を教え、衣食住を保証してくれる代わりに、師匠は家事を僕に任せっきりにしているため、基本的に訓練の時以外は自室でぐうたらしている。
ろくに仕事もしていない気がするのだけど、どうやって僕と師匠二人分の生活費を稼いでいるのかは未だに謎だ。
今の時期は寝やすい気候ということもあり、この時間はまちがいなくまだ寝ているだろう。
それでも油断はできないと慎重に師匠の部屋をあけると、案の定師匠はすぅすぅと寝息をたてていた。
起こさないようにゆっくりと部屋に入り込み、静かに椅子へと座る。
「今日も師匠は可愛いなぁ……」
思わずため息とともに溢れた言葉に、慌てて口をふさぐ。
寝ているはずとはいえ、こんな言葉を聞かれたら恥ずかしくて三日は家に帰れない。
しかし、口元を押さえているにもかかわらず、にへらと頬が緩んでくるのがわかる。
それくらい、目の前で幸せそうに寝ている師匠は可愛かった。
寝癖でくしゃっと崩れた綺麗な黒髪、目をつむっていてもわかる程長い睫毛、形の良い薄い唇、倍近い年にもかかわらず、僕とあまり変わらない小柄な身長。
どこをとっても申し分のない彼女の可愛らしさに、思わずまたため息が出た。
幸せそうな寝顔をみていると、こっちまで幸せになってくるからたまらない。
何を隠そう、僕は師匠が大好きだ。
十年前の戦争で両親のいない僕を育ててくれた恩人であり、憧れの剣士でもあるアイラ師匠に、僕はずっと惚れ込んでいる。
最近では朝の訓練を終えた後、こうして師匠の寝顔を眺めるのが日課になっているくらいだ。
我ながら病気だと思う。
満足いくまで寝顔を眺めた後、起こさないようにゆっくりと部屋をでる。
起きるまで見つめていたいところだけれど、家事をしなくては師匠が困ってしまう。
弟子として、寝起きの師匠を空腹に苦しませるわけにはいかない。
「さて、今日も張り切って師匠のお世話をしますか!」