表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

うちゅうひこう

作者: 奏木 犀

「ええ、と……それじゃ、あたしたち、行くね」

「ん、しょーがないよ、気にしないで。おみやげ、期待してるからねー?」

 そうやっておどけて、笑顔で見送りはしたけども。


「──あーあ。今回も、留守番かぁ」

「またこういうことになっちゃったね」

 私と彼と、ふたり。また今回もか、という感想が出てくる程度には、ふたりとも、こういう状況に慣れている。

 ホテルのロビーで、自販機に千円札を飲み込ませた私。その隣、せめて気分だけでもと言った彼は、たしかシークヮーサーのジュースを選んでいたっけ。私は、少し迷って、結局いつもの缶コーヒーにした。がたん、と落ちてきた缶を取り出し、プルタブを引く。ぷしゅ、と気の抜ける音。 

 雨が、窓を叩く。朝方はガラス一面に叩きつけるかのようだったその音は、いまはぱたぱたと穏やかなものに変わりつつあった。

 沖縄で過ごす修学旅行、二日め。本日は自由行動の日──と、旅のしおりではそのようになっている。だが、私たち二名はホテルで待機。なんだってこんなことになっているのか、というと。

 彼は、初日の夜に過呼吸の発作を起こしたため。私は、行きの飛行機ときょうの明け方とで二回、ひどい頭痛に襲われたため。この激しい雨の中に送り出すことはできないと、沈痛な面持ちの先生方から言われてしまった。──またこうなっちゃったか。というのは、きっと一同の総意だと思う。そのくらいに、「いつものこと」なのだ。

 そんなわけで私たちは今回も、ぐだぐだとふたりで駄弁っている。ホテルのロビーの一角、ふかふかのソファーに陣取って、徐々に弱まっていく雨模様を眺めながら。

「今朝も頭痛来たんだって? 大変だったって聞いたけど」

 質問と一緒に、もはや恒例となった飴玉を差し出された。私はそれを受け取って、天井のシャンデリアに透かす。カフェオレ味のこのキャンディ、縞模様とか、ところどころの小さな渦巻きが、木星みたいなんだよね。そんなことを思いながら、ぽい、と口に放り込んだ。

「来たよ、頭痛。それも最近じゃ滅多にないようなレベルの、きっついの。ひさびさに、まったく身動き取れなくなった。やっぱり、気圧の変化がよくないのか……」

 へたな薬よりよほどよく効く、これが、私の特効薬。わずかに残っていた鈍い痛みが、遠のいていくようだ。はー、とゆっくり長く息を吐いて、ちらりと彼に目をやって。

「で、そっちは? 慣れない環境がストレスになったのかな」

「たぶん、そうだと思う。いまはもう平気」

「なら、よかった」

 ふっと会話が途切れた。顔を見合わせ、揃って口元を綻ばせる。いつものことだ。──ここまでは。

「……まあ、うん。おとなしくしてなさい、っていうのも、至極当然かつまっとうな意見ではあるんだけども」

 うん?

 からころ、飴玉を口の中で転がしつつ、彼の言葉に少し首を傾ける。と、彼はにっと笑みを浮かべた。悪戯を思いついた子供みたいに。

「せっかくの修学旅行、せっかくの沖縄。で、せっかくの自由行動の日。なのに、ホテルの中だけで過ごす、っていうのも、なんだよね」

 ことん、と彼はジュースの紙パックをローテーブルに置く。その軽い音から察するに、中身はもう空のようだ。

「というわけなので。──ちょっと、抜け出してみない?」

「……え。怒られる、よ?」

「気づかれなければ平気じゃないかなぁ」

 ぱちり、私はひとつ瞬いて。

「まさか、あなたがそんなこと言う日が来ようとは……!」

 わざとらしくわなわな震える私に、彼もまたわざとらしくむくれた。それがおかしくて、けらけら笑い声を上げる。しばらくして双方落ち着いたところで、私は缶コーヒーを軽くたぷんと揺らした。ふむ、あと数口ぶんかな。残りを、一気に飲み干す。

「──いいよ、乗った。……いざってときは、一緒に怒られてあげる」

 飴玉は、とうに溶けてなくなっていた。



 雨具はきっちり整えて、あとは必要なものだけを小さな鞄に詰め込んで。私たちはふたり、雨中へと飛び出していく。

「どうしよ、ほんとに抜け出してきちゃったね!」

「やっぱり怒られるかなぁ」

「いまさらもう遅いじゃん!」

「それもそっか。うん、もう考えないことにする!」

 雨風の音に負けないように、傘越しでも届くように。自然と声が大きくなる。

「で、どうする? なんか考えあるの?」

「どうしようか、考えてなかった。迷子になっても大変だよね」

「ちょっと!?」

「ごめん」

 右も左もわからない、知らない街にぽつんとふたり。

 短い議論の結果、とりあえず、標識にしたがって大きな通りを目指すことに。

「ふたりっきりの修学旅行だねー」

「ざーざー降りの雨の中、ではあるけどね」

「雨の中の旅行……あ、ああ! あはは、私たちだけ『うちゅうりょこう』だ! すごい、贅沢!」

「うちゅうりょこう? ……あ、『雨中旅行』で、『宇宙旅行』か。めざせ月面」

「月か、いいね! でも私は火星がいいかなー」

「どっちも行けばいいんじゃないかな、ふたりしかいないんだから」

「そっか、そだね。思いっきり欲張ろ、せっかくの旅なんだし!」

 風に導かれるように、どちらからともなく走り出す。人のまばらな通りを、ふたりで駆け抜けていく。

 クラスメイトと鉢合わせになったらどうするのか、なんて、もう頭になかった。強まり始めた雨と風とが、なにもかも洗い流して吹き飛ばすかのようだった。

 ──そうやって、どのくらい走っただろう。ふたりして息を切らせて、疲れきって、でもそれさえも笑えてくる。

 呼吸と鼓動とをちょっと落ち着かせてから、道を折り返す。適当にお店の軒先を冷やかしつつ、まっすぐ伸びる大通りをゆっくりのんびり辿っていく。

 紅型染と琉球ガラスに見とれ、その値札に目を丸くして、お店の人に笑われたり。途中のお店で、ちゅら玉のキーホルダーと星の砂を揃いで買ってみたり。

「こちら、月面から採取したサンプルです、なんて」

「まあ実際は海洋性堆積物、ようするに──」

「言わなくていい!」

「ごめんって」

 また懲りずにひとしきり、呼吸が苦しくなるまでからから笑って。はあ、と息をつき、そっと小瓶とキーホルダーを鞄のポケットにしまって、顔を上げる。

 目に入るのは、街の景色。電柱が鈍色の空へ伸びていて、車は水しぶきを上げながら走っていく。色とりどりの傘をさした人たちが行き交う。

 その景色に、ふと、思う。

「……なーんか、さー」

「うん?」

「普通の街、だよね。意外と」

「だね。考えてみれば当然なんだけど」

 そう、当然の話。ここは、私たちにとっては観光地で、非日常そのもの。けれど、ここに住む人たちにとっては、いつもの街の、いつもの風景なのだ。

 それはもしかしたら、観光地だとはしゃぐ私たちの姿さえも含めて、なのかもしれない。そう、ぼーっと考えを巡らせたところで、あれ。なにか引っかかって、首をひねる。

「……前にもこんな話、しなかった、っけ?」

「ああ、そっか、もう一年か」

「一年? ──あ、去年の勉強合宿」

「そう。もう一年も前の話か」

「まだ一年だよ? それに、来年も一緒じゃん、クラスは持ち上がりなんだから」

 彼は優しく微笑んで、──けれど。

 ざあっ、とひときわ強く風が吹いた。なにか呟いた彼の声が、聞き取れない。いま、なんて言ったの。そう尋ねようとして、しかしそれは唐突に妨げられる。

 ポケットに突っ込んであるスマートフォンが震えた。あ、と声を上げたのは、私が先か、彼が先か。

 これってつまり。ようするに?

 鋭い視線を感じて道の先に目をやれば、真っ赤な傘の下、満面の笑顔の担任が、かつかつと近づいてきていて。

 あーあ。


 私たちの修学旅行、二日めの日程は、これにて終了。




 ──ふたりのうちゅうひこうしは、こえをひそめてわらいあう。


 小瓶のなかみは、月面の砂。

 キーホルダーは、火星の氷。


 次はどこまでいけるかな。

 どこまでだって、いけるはず。


 ふたりでならば、どこまでも。

奥附


2015年12月13日 第一稿完成

2015年12月17日 本ページを公開

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ