床へ倣え
鈴木セメレは美しい女であった。齢十八にして完成されたその美貌は周囲も息を呑むほどで、均整のとれたその身体と共に眩い芸術品を彷彿とさせるものであった。産まれた家こそ裕福ではなかったが、慈悲深いその思想と気品の溢れる言動は、女の神聖さをより強くさせていた。
そんな、時代が時代ならば国が傾くような美貌を持つ女は、ある日、何かの揺り戻しが来たかのように意識を失い、病院へ運ばれた。
医者からは、原因は不明であること、内臓機能の衰弱度から計算して余命は一年であることが告げられた。両親は医者の言葉を信じられず錯乱し、友人や親戚達は嘆き悲しんだ。彼女は残りの人生を病院のベッドで過ごすことになるのだ。
余命宣告を受けてからも、女は笑顔を絶やさなかった。まるで周囲の人間を安心させるようで、また、死を受け入れているようで、女が浮かべる笑顔はそれほど穏やかなものであった。その精神性に感情を動かされた者達は、女に望むことを聞いた。
家に帰りたい。
彼女の願いを叶えよう。三日後、女は生まれ育った我が家へ戻った。今まで通りの生活、両親はそれを意識し、ぎこちなくも明るく振舞った。
その夜、自身の部屋で女は泣いた。ああ神よ!どうして私にこのような試練を与えるのか!あなたは女神へーラーよりも嫉妬深いというのか!私は清廉潔白に生きてきた!貴方がこのような仕打ちをするならば、力を与え給え!変えることのできないものを受け入れる平静さも、変えるべきものを変えられるだけの勇気もいらない!私の願いを叶えることのできる力を!
女は翌日から行動を起こした。
内臓機能が低下している?筋肉が足りないのだ。
骨密度が減少している?筋肉が足りないのだ。
血圧が危険域に達している?筋肉が足りないのだ。
自身の状況は筋肉の不足と結論づけた脳筋女は、平滑筋、骨格筋、心筋を鍛え始めた。そう筋肉の祭典がここに開幕したのである。日に日に引き締まっていく身体を眺めながら脳筋女は考える。筋肉が足りないと。脳と筋肉が一体化したため次の行動は早かった。負荷を用いた筋力トレーニングの導入である。通販サイトでバーベルを購入し、自身の部屋に設置する。しかし一度絞った身体では筋肉がつきにくい。筋肉に囚われし女は身体を大きくするため食事量を増やすことにした。日々マッシブになっていく女の身体。日々引き攣っていく両親の顔。筋肉は加速していった。
それから一年後。女の両親は愛する娘の部屋から鳴り響いた大きな物音を耳にし、顔を見合わせ、悲痛な顔を浮かべた。いずれ時が来るのは分かっていたことなのだ。あれから一年、逞しくなった娘だが、耐えることの出来ない限界というものがある。娘の笑顔が、筋肉の増量と共に晴れやかになっていたのは見守ってきた。しかし、筋肉がすべてを解決してくれるなんて都合のいいことはないのだ。まるで糸が切れたかのように、足元に空いた穴に落ちるかのように、抜けてしまったのだ。家の床が。
鈴木セメレは美しい女であった。齢十九にして完成されたその美貌は周囲も息を呑むほどで、筋肉のついたその身体と共に稚拙なコラ画像を彷彿とさせるものであった。産まれた家こそ裕福ではなかったが、脳筋の思想と漢気溢れる言動は、女の漢らしさをより強くさせていた。