黒:リナ×ミサ
唇が、触れる。
おずおずとためらいがちに、何度も、何度も。
突然わたしが目を開けたりしたら、ミサはどうするだろう?
きっと、跳び上がるくらいびっくりするんだろうな。
その時のミサの顔を想像すると、にやにやしてしまいそうになる。
一見ツンツンしてるミサだけど、実はすごく照れ屋なのよね。
陽に当たっても全然焼けない真っ白な肌に、睫毛が影を落とす切れ長の目。背中の真ん中まで届く髪は真っ直ぐで真っ黒なのに、信じられないくらいさらさらしてるの。夏とか、切ろうかなって言い出したりするたびに、わたしは猛反対する。
すっごく綺麗な、わたしのミサ。
他の子たちは、憧れを込めて『氷の女王』とか言ってたりするけど、中身はすっごく可愛いの。
今だって、わたしが眠ってると思ってキスなんかしてるけど、眠ってなんかないって教えてあげたら……
目を丸くして、顔を真っ赤にしているミサ。
口をパクパクして、わたしを凝視するミサ。
――簡単に想像できちゃう。
いつも、ミサがこっそりキスしてくるたびに、わたしは物足りなくて仕方がない。
彼女がしているようなのじゃなくて、もっとちゃんとしたキスを返してあげたら、たぶん気絶しちゃうだろうな。
あ、いけない。
なんだかうずうずしてきちゃった。
狸寝入りがばれないうちに、やめさせなくちゃ。
「うぅん……」
わざと声をあげて、起きますよアピール。
思った通り、わたしの頭をのせてるミサの膝が、ビクッと動いた。
なんかアレだね、餌を拾おうとした子リスが、いつの間にかすぐ傍に来ていた蛇に気付いて跳び上がったって感じ?
笑い出したいのをこらえて、ミサがちゃんと姿勢を正すのを待ってあげる。
……もういいかな。
目を開けると、真上に文庫本が広げられてた。
まあいいけど、多分それ逆さまだよ、ミサ?
「ごめん、ウトウトしちゃった」
目をこすって見せながら起き上がると、ミサは「ああ」とか「うん」とか小さな声を返した。
ミサの隣に座って、ジッと彼女の顔を見つめる。と、ほんのり紅かったほっぺが、もっと濃くなった。
「あれ、ミサ、顔紅いよ? 熱かな。あ、隣のクラスにインフルエンザの子がいたって言ってた」
リンゴみたいになってるのが熱なんかのせいじゃないってことは、判ってる。けど、ついイジワルしたくなっちゃうんだよね。
「大丈夫、多分、部屋が暑いから……」
「そ?」
文庫から目を放さずに言うミサを、わたしは緩んでしまう口元を引き締めて、いかにも心配そうに眉をひそめて覗き込む。そうしながら手を伸ばして、真っ赤になってるほっぺを両手で包んだ。
「でも、やっぱり紅いし熱いけどなぁ?」
「大丈夫だってば」
そう言うと、ミサはわたしの手から逃げてっちゃった。
残念。
「あ、そうだ、明日の為にチョコ作ったんだよ」
困ってるミサは可愛いけど、あんまり困らせるのも可哀想だから、この辺で話を変えてあげよ。
わたしは鞄を探ってタッパーを取り出した。
ホントは可愛くラッピングしたいんだけど、あくまでも『友達からの試作品』だからね。
「これ、練習作」
うそ。
こっちが本命。
男の子にあげるヤツは、安い板チョコを溶かして固めただけのもの。
ミサのは、ケーキ屋さんで買ってきたチョコにバターと生クリームと水あめ入れた、生チョコレート。我ながら、おいしくできてると思ってる。
「ほら、食べてみて?」
首をかしげて差し出すと、ミサは小さく笑って手を伸ばしてきた。
四角く切ってココアをまぶしただけだから、見た目はちょっと地味だけど、味はいい筈。
ミサはそれを口の中に入れて、指に付いたココアパウダーを舌の先で舐め取った。
――わたしが代わりにキレイにしてあげるのにな。
そんなふうに残念に思ってたら、ミサが驚いたように目を丸くした。
「どう?」
「すごく美味しい!」
言いながら、また一つ口に入れる。
チョコと一緒に蕩けてしまいそうな笑顔を、ミサは浮かべた。けど、ほんの少し、それが曇る。
「ミサ?」
何か変な物でも入っていたかしらと首をかしげると、ミサは取り繕ったように少しぎこちない笑顔になる。
「あ、えっと、このチョコだったら今年の『王子様』もイチコロだろうなって。……誰、なの?」
ちょっとだけ低い声になってそう訊いてきたミサの目の中に、チラチラ悔しそうな色が見える。
ううん、悔しいんじゃないんだよね。
これは、嫉妬。
ミサはわたしに、その男の子に――他の誰にも、チョコレートを渡して欲しくないって思ってる。
こっそり見せるその独占欲が、ぞくぞくするほど嬉しい。
わたしにはミサだけだよって、言ってあげたい。
初めて逢った時から、わたしにはミサしか見えてないよって。
毎年毎年わたしがチョコを上げる男子たち。
本当は、彼らはみんな、ミサのことを狙ってた人たちなんだ。
ミサはとっても綺麗なのに、全然自覚がないから厄介なんだよね。
真っ直ぐに背筋を伸ばして真っ直ぐに前を見て歩くミサに男子の目が注がれてるのに、当の本人は全然気づかない。みんな近寄りがたく感じて告白してくる人はそうそうそういないのだけれど、たまに、ダメでもともと、当たって砕けろ、というチャレンジャーが出現する。特に、ヴァレンタインの時期は要注意。
ヴァレンタインで浮かれた男子が、ミサが誰にもチョコをあげてないことを知ると、どうもやる気を出してしまうらしいの。
ミサに告白しそう、という男子の情報をキャッチして、ヴァレンタインでその芽を潰してしまうというのが、わたしの『王子様捜し』の本当の目的。
まあ、やきもち妬くミサを見るっていうのも、大きな楽しみになってるんだけど。
「リナ?」
呼びかけられて、我に返る。
「あ、ごめんごめん。チョコ渡す相手だよね。ほら、バスケ部の木村くん。二年生でレギュラーの」
もう何度かコナをかけていて、反応はいい感じだったんだよね。
あとは、明日、ニコッと笑ってチョコを渡したら、簡単にミサからわたしに乗り換える。
結局のところ、あの人たちの『想い』なんてそんなもの。
わたしがミサを想うようには、想ってない。
「あの人、カッコいいよね」
うつむいたミサの声には、元気がない。膝の上に置かれた手が、キュッとスカートを握り締めた。
――わたしが好きなのは、ミサだよ。
そう口にしてしまいそうになる。
だけど、まだ、言わない。
言ってしまったら、ミサはわたしに、わたしへの想いに輝く顔しか見せてくれなくなるから。
わたしは、こっそりわたしにキスをして、後ろめたさを覚えているミサをもっともっと見たいから。
こんなふうに、わたしが何とも想ってない男子に嫉妬して顔を曇らせるミサを、もっともっと見たいから。
幸せそうなミサも、つらそうなミサも、もっともっと見ていたいの。
わたしは身体を乗り出してミサに顔を近付けて、唇のすぐそばを舌の先でペロッと舐めた。
ミサはせっかく元に戻ってたほっぺをまた真っ赤にして、目を丸くしてわたしを見てる。
「ごめんね」
こんなわたしで。
わがままで強欲で狭量なわたしで。
だけど、あなたのことを愛してるの。
「口のとこに、ココアのパウダー付いてたよ」
うそ。
わたしの舌は、ココアの苦味なんて全然感じてない。残っているのは、ミサの肌の甘さだけ。
ミサは、自分が女の子だから、わたしが女の子だから、想いを告げてはいけないと思ってる。
だけど、なんで?
わたしは、そんなことどうでもいいのに。
ミサが女の子でも男の子でも、犬でも猫でも鳥でも、他の星の住人でも他の世界の住人でも、きっと一目見ただけで好きになる。
ミサはわたしの『運命の人』。
わたしは、ミサの『運命の人』。
ミサがそれを受け入れるのと、わたしが我慢できなくなるのと、どちらが先かしら?
今だって、ミサに触れたくてたまらない。
友達としてではなくて、恋人として。
ふと視線を感じて目を上げると、ミサがじっとわたしを見てた。
「なに?」
ずっと、そうやってわたしだけを見ていて。
そう言いたくなるのを喉の奥に押し込めて、にっこりと笑ってみせる。無邪気に。
「あの、ね。その……もしも今度の『王子様』が本当にホンモノでも……」
ミサの声は、だんだん小さくなっていって、尻切れトンボで終わっちゃった。
だけど、なんて言いたかったのかはわかるよ。
わたしは膝立ちになってミサに近付いて、彼女の頭をギュッと抱き締めた。
「もちろん、ミサはいつでもわたしの一番――わたしの友達、だよ。一番、大事な」
心の底からの気持ちを込めてそう言うと、わたしの腕の中で硬くなってたミサの身体がホッと緩んで、胸に押し当ててる頭が小さく頷く。
「私も、リナが一番、だよ」
くぐもった声が愛おしくて愛おしくて、もっとギュッと力を込めた。
ミサは、わたしの、一番大事な人。
わたしの、『運命の人』。
だけど、この想いはもう少しの間だけ、秘密。
――多分、そう遠くない未来に、暴かれてしまうだろうけれど。
そうしたら、もう放さないからね。
わたしは心の中でそう囁きかけながら、そっとミサの頭のてっぺんにキスを落とした。
たまには腹黒美少女もいいよね、ということで。
少々Sっ気のある子を書いてみました。
短いお話でしたが、お付き合いいただきありがとうございました。