表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

うつりうつるよ残虐性

作者: わるなこ

 ある日アリを潰した。只々一心不乱に潰した。

 やり方は様々だ。触覚をちぎりぐるぐる回っているもの。ずっとおんなじところを回っているのが面白くって3匹同じのを作った。最初は面白かったが、やがてつまらなくなり全部足で擦り潰した。足を全部ちぎったもの。これはどんな動きをするのか興味があった。体をぐねぐね動かすのか、はたまた触覚だけ動かすのか。だが予想に反して少しも動かなかった。つまらない。そうか、前脚だけでも残せばとそれを指で潰して前足だけのものを作る。途中何度も頭と胴体がちぎれ、失敗してしまったものが沢山。ちぎれた時、粘性のある綺麗な緑色の液体が流れた。それが手につくと時折雲に隠れた太陽がちらりと表れ、同時にキラリとそれが光った。10匹ほどでようやく完成する。僕は興奮して早速放ったが、予想と違い動きはとても弱々しかった。手に力を入れてたからか、触覚はひしゃげ、また片脚しか動いていなかった。ずりずりと必死に片脚を動かし巣の方へ向かう。途中、仲間は横を通るが助けようとはしなかった。多分助けるという概念がないのだろう。皆、自分の仕事に必死なようだ。僕はそれが気に食わなかったので両方、一気に踏みつぶした。

 今の僕は王様だ。誰も文句は言わない、言えない。アリは僕にとっての一種の教材であり先生だった。時間のある限り、夕日が出て道が橙色になるまで、僕の興味、好奇心はすべてそれに向けられた。

 後ろから僕を呼ぶ声が聞こえる。そうか、もうそんな時間か。振り返ろうとすると、途中に誰かが置いてったプラスチック製のバケツが見えた。僕は後ろの影に、ちょっと待ってて、と声をかけて、そのバケツを手に取り水道へ向かった。蛇口をひねると勢いよく水がはねて、ぴたぴたと手に腕に、点々とつく。熱を持った肌にはとても気持ちが良かった。

 水を汲み終えるとさっきの場所へと戻る。そこには小さな穴が開いていた。もう日も暮れるというのに、黒い小さな市民は忙しく動き続ける。まだまだ仕事はたくさんあるようだ。僕はそれを見下ろす。バケツの底を持つと、僕はそこにめがけて一気に水を流し込んだ。水はうねるように巣に吸い込まれていった。2、3匹外に慌てるように這い出してきたが、そんなことにはかまわずバケツの水が全部なくなるまで流し込んだ。バケツの水がなくなると僕は影の方に走っていく。頭にはアリのことなど、もう微塵も残っていなかった。

______

 ある日地面のアリを見た。じーっと俺は下を見た。

 学校で嫌なことがあった。部活の大会。最後の最後で失敗し、試合に負けたのだ。俺だけが悪いわけじゃない。力不足だった。その場にいる全員、薄々気づいているようだった。だが皆、自分が非難されるのを恐れ、全てを俺に押し付けた。

 「お前が悪い」

 「お前が最後に成功していれば」

うるさい、黙れ。

 自分達の力不足を隠すように、それに気づかないように。次第に非難はエスカレートするようになった。あいつに渡すと失敗するからと、こちらにパスが回ってこなくなった。話しかけても、こちらに憎しみをぶつけるように睨みつけ、言葉を返してくることはなかった。皆、共通の敵をつくり、自分に攻撃が向かないように、必死に守っていた。

 ふと下を見ると、アリがセミの死骸を運んでいた。生きるために運んでいた。足並を揃え、列から離れないように必死になって運んでいた。

 「…本当にやめるのか」

 「はい」

 「そうか、逃げるのか」

 「っ!!」

一気に頭に血が上がり、机に拳を叩きつける。

 「…知ってたんなら、どうしてっ!」

腹に溜まっていたどす黒いものをすべて吐き出すように怒鳴った。

 「どうして助けてくれなかったんですか!!」

白い職員室がしんと静まり返る。周りにいた教師などは豆鉄砲を食らったような顔をしている。

 部活の顧問の先生は手元にある退部届からスッと目を上げた。悲しいような、少しほっとしたような、そんな目をしていた。なんでそんな目をするのか俺にはわからなかった。

 「知っていたよ。…わかっていた」

 「っ!わかっていたんなら!!」

遮るようにポツリ、と先生は言う。

 「…すまなかった」

何を言っている?なぜ謝る?

 「…俺は部活ではお前が一番実力を持っていると思っている。みんなもお前を認めている。俺はお前がみんなの嫉妬を乗り越えた時、チームがより強くなるんじゃないか、そう思ったんだ。だから成り行きをずっと見守っていた。だがお前には一人つらい思いをさせてしまった。お前一人に押し付け、任せてしまった。…本当にすまなかった」

言い終わった後、先生は俺に手を差し出し、こちらに顔を向ける。優しい顔をしていた。俺もゆっくりと手を差し出す。その手は差し出された手をすり抜け、先生の首へと吸い込まれていった。

 力いっぱい締め上げる。手がじんわりと汗ばむ。こいつを殺す。手は首にすっぽりと入っていった。指の先から手のひらにかけ全身の力を込める。呼吸は最初、力強かったが段々と弱まっていくのが分かる。先生の首は太くて、まるで大きな樹の幹を握っているようで、生きようとする力強さのようなものを感じた。

 俺は周りの教師に羽交い締めにされ取り押さえられた。取り押さえられた瞬間、抵抗するというよりも、どこか止められてよかったという感覚が体を包んだ。先生はゲホゲホと咳き込み苦しそうにしていたが、俺の方を見ると

 「すいません。そいつを離してあげてください。…私が…悪いんです」

と言った。先生はとうとう俺を怒らなかった。

 セミの死骸が前を通り過ぎて行く。さっきの首を絞めた感触がまだ手に残っている。先生の呼吸、先生の鼓動。あの瞬間、先生の生死は俺が握っていたのだ。あのまま締め続けていたら殺していたのだろうか。すぐにいや、とかぶりを振る。あの時俺は止められて安心したのだ。なぜ?

 不意に昔のことを思い出す。アリを潰した時のこと。あの時はこんな気持にはならなかった。潰したときも、ちぎったときも、巣に水を流し入れた時も。ならなかったじゃなくて、無かった?どういうことだ、ならこの感情はどこから来た?いくら考えても答えは出なかった。

 部活は結局やめることにした。先生は最後まで俺を責めなかった。…自分に不甲斐なさを感じる。部活もやめてしまった。先生も…殺そうとしたが殺せなくって。結局、自分はなんにもできない。頬にツーっと一筋冷たいものが流れるのが分かった。自分にはもうなんにもない。あそこで運ばれているセミの死骸とおんなじ空洞だ。セミの死骸はもう翅が外れかけている。

 ぴたっと一粒、アスファルトに水が落ちた。同時に。セミの死骸を追いかける。さっきまでの気持ちを消すように。さっきまでの気持ちを断ち切るように。死骸のもとにたどり着く。俺はその上に勢いよく足を振り下ろした。

______

 ある日手のひらにアリをのせた。潰さないようにそっとのせた。

 会社で良いことがあった。今度会社で昇進するのだ。会社に努めて10年。長かったような、短かかったような。入社した当初は辛かった。先輩にしごかれ、同期には抜かれ、後から入った後輩にはうまく教えられなくて、そんなことが毎日毎日、くるくる回って流れるように過ぎてった。皆、必死に生きていた。あるものは自らの野望を叶えるため。あるものは家族を養うため。あるものは会社で一番になるため。皆、アリのように必死に必死に生きていた。

 先輩に理不尽に言われたあの言葉。同期に仕事の評価で抜かれたときのあの悔しさ。後輩に駄目出しされたあの会議。すべての経験が俺を作った。

 時間を確認するため携帯をパカっと開く。あの時の自分がいるようだった。画面には肌の黒く焼けた子供が、Vサインをしてこちらを向いている。もう昼休みの時間も終わりのようだ。携帯を胸ポケットにしまうと、ベンチに置いた生ぬるい缶コーヒを胃に流し込む。うねるように胃の中に落ちていった。

 そういえばと、左手の手のひらに置いたアリを探す。気づかないうちに肩にまで登ってきていた。それをつまむと、また手のひらに置く。アリは手の中央で慌てるように動いていた。必死に必死に生きるために。手を軽く握ってみる。まだもぞもぞとしている。もう少し強く握ってみようかと思った時、フッと懐かしい感覚がした。俺はあれから少しは成長できたのだろうか。

 地面で手を離すと、アリは列に戻るようにささっと走っていった。その後ろ姿を目で追う。さあ俺も仕事に戻らなくては。

 外の暑さに比例するように、セミの声がミンミンと響いていた。

 



 


 

 

 









評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ