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『re:once again』という名前のBLゲームがあった。
両親を事故で失い天涯孤独となった〝叶野トキヤ〟という主人公が、高校生になって、とある男子生徒との出会いを皮切りに周りの人たちに助けられ、成長していく物語。
どちらかといえばオーソドックスなストーリーで、恋愛色よりは学生時代の青春を描くほうに力が入っていた。
あまり有名ではなかったみたいだったけど、私はすごく好きだった。昼夜を問わずのめり込んだ気がする。ファンディスク、ドラマCDも購入して、何度も何度も繰り返しプレイした。パソコンゲームから家庭用ゲーム機に移植したものも購入したかったけれど、お金が無くて断念した。
それは前世、と呼ばれる記憶なのかもしれない。それ以外のことは一切分からないくせに、そのゲームのことは覚えている。
最初から知っていたわけではなくて、高校受験を控える時期になって唐突に思い出した。
それまでもぼんやり「どこかで見たことあるな」という慨視感はあったのだけれど、誰に聞いても答えてくれない、むしろ「気のせいだよ」と笑い飛ばされるから、気にしないようにしていた。
けれど中学二年生の時。ぼちぼち進学する高校を探し始めた頃、トキヤくんに誘われて二駅先の高校見学に行った。見学中、高校の敷地内に桜の木があるのを見かけたトキヤくんがその桜の木の下に立って、ふと空を見上げる仕草をした。
そのさまを少し離れたところから見た瞬間、慨視感を覚え――――唐突に理解したのだ。
季節は秋で、もちろん桜は咲いていなかったし、トキヤくんも中学校の制服を着ていた。
けれど私は、満開の桜の木の下で空を見上げる〝高校の制服を着た〟トキヤくんを見たのだ。その瞬間色鮮やかに。明確な情景で。
――――それは、パッケージにもなったオープニングの一シーン。
ゲームの〝叶野トキヤ〟は〝高校生〟。桜の木の下で空を見上げ、そこからひとつの出会いと共に、物語が始まっていく。
あまりの衝撃に気分が悪くなって、その場で逃げ出した後、寝込んでしまった。それから何日も部屋に引きこもってしまい、トキヤくんをはじめ家族や周りの人にはずいぶん心配をかけてしまったものだ。
自分が今まで生きてきた世界がゲームと酷似していた。これはすべて物語で、決められた筋書きがあって、それに沿って行動していた――私の意志はなかった。そう思い、とてもとても不安になった。
誰かが何処か知らないところで見ているのではないだろうか。
誰か、そう、ユーザーと呼ばれる人たちが私たちを動かして、それを見て笑っているんじゃないか。これは物語だと笑ってるのではないか。
誰かに常に見られているのではないか。
例えば私が一所懸命考えて悩んで選び取った行動が、誰かによって選ばれた〝選択肢〟ではないだろうか。
……――――むしろ、此処に居る私は全部虚像で、夢の中で、これは現実なんかじゃないのでは?
自分自身が分からなくなって、とてもとても〝気持ち悪く〟なった。
そうして考えているにつれ、思い出したことがあった。
ゲームには、私〝橘美弥〟というキャラクターは、いなかったのだ。
叶野トキヤを取り囲む家族関係は概ね同じだ。不幸な事故により両親を失い天涯孤独になってしまって、親戚からも遠巻きにされ、叶野和成に引き取られた。
そして近所の橘一家に助けられ、育ってきた。……そこは一緒なんだけれど。
ゲームでは、橘一家との関係はもう少し淡泊だったはず。和成さんは遠慮気味だし、時々母が夕飯の差し入れをしてくれるだけ。夕飯のお誘いをされることはない。
橘弥白、つまり私の弟なんだけど、実は攻略キャラの一人だった。弥白ルートに入った時、ちょっとだけ家族と絡むぐらいだ。
それは特殊な血の繋がりがあること、和成さんが橘家について警戒心を捨てきれていないことから発生している微妙な人間関係、だったんだけれども。
事実、私は存在している。
そして、ゲームと変わっている。
……――――なら、わたしはなに?
訳が分からなくて、怖くて、自暴自棄になって、どうしようもなくて、食事も咽を通らなくて、誰とも喋りたくなくて、一時期本当に荒れたけれども。
周りの説得と、時間が経つにつれて少しずつ少しずつ落ち着いてきた。
……結論で言えば〝考えても仕方がない〟ということ。
なるようにしかならないさ、と開き直ったともいう。
そして私たちは中学三年生に進学し、受験を控える時期になった。
ゲームとの違いはいくつかある。
先に述べた橘家と叶野家の関係は、ゲームより親密で、良好だ。
その影響からか〝叶野トキヤ〟の性格もゲームよりひねくれていないようだ。
ゲームスタート時はかなりツンツンで、ひねくれていて、冷めた性格だったけれど、今はそこまででもない。クラスメイトに友達もいるみたいだし、女の子が苦手で話しかけないということもないみたい。無表情が多いのはゲームと変わらないけれど、冗談もそれなりに通じるし、ひねくれた考えは持ってるみたいだけれど〝人に心を開かない〟とでも言いたげにツンケンしているほどもない。
私が生きている現実は、ゲームとまったく同じではないらしい。
それでも持って生まれた〝主人公属性〟というやつだろうか。
トキヤくんの周りには格好いい男の人が多い気がする。物語の始まりは〝高校生〟だから攻略対象のキャラではない人たちばかりなんだけれど、やっぱり天性のモテスキルがあるんだろうか。
そしてゲーム開始時期が迫っている。
ゲームは高校の入学式から始まる。ひと悶着あったんだけど、トキヤくんはゲームで通っていた高校を第一希望に決めているようだ。
もしこの世界が私の知っている物語の通りに進むのならトキヤくんは無事に合格し、来年の春はあの場所に立ち、桜の木の下で空を見上げるはずだ。
前世の知識がある私は考えた。
現実がどうなるのか今の私には分からない。もしかしたら土壇場で彼が別の高校を受験するかもしれないし、あるいは高校入試に落ちて、別の高校に進学するかもしれない。……成績を見てればその可能性は低そうだけど。
そして無事に高校へ進学して物語が始まったとして、どういったルートをたどるのか分からない。ゲームにはハーレムルートとか二股ルートとかもある。アレを現実世界でやられては修羅場どころじゃすまされないだろう。
もし、この世界がゲームの通りに進むのであれば。
……何が出来るか分からないけど、どこまでできるのか分からないけど、私の〝家族〟が不幸になるのは嫌だ。それならなるべく平穏な、幸せになれるように主人公を導こう、と。
今の段階ではまだゲームの通りに進むのか分からないけれど、そうでないならなるべく私が知っているゲーム通りに進めるように。先行き不透明な状況を選ぶよりはゲームの通りにさせたほうが、グッドやトゥルーエンドで彼や周りが〝幸せ〟になれることを知っているし、リスクが少ないだろうと踏んだ結果だ。
そのためもしゲームの通りに進んだなら、ハーレムエンド、鬼畜エンド、監禁エンド、ヤンデレエンドとかにいかないように。なるべくバッドエンドが悲惨なキャラを選ばないようにしてあげたい。もちろん最終的には本人の意志を尊重したいけれども。
ちなみに私のお勧めはやっぱりメインキャラの俺様生徒会長か、和成さんか、弟の弥白かな。……うん、身内贔屓があるのは認める。
ゲームのように選択肢があるわけでもない。あるのはただ、目の前の状況だけだ。
実際、意図せずの結果とはいえ今の状況はゲームと食い違ってきている。それが良いことなのか悪いことなのか、今の私には理解できない。
ただトキヤくんが少しずつ笑ってくれるようになったから、良いことなんだと思い込んでいる。
ゲーム開始時は過去の傷もあって、遠くを見るような、孤独を背負った顔をしていた。ゲームならともかく現実の、生身の人間がそんな顔をしていたら、助けてあげたいと思うのが人情だと力説したい。例え、ゲームの通りなら後でちゃんと救われるんだと知っていても、じゃあ救われなかったらどうするんだと反論する。
もう一度言おう。結局、目の前にあるのはやり直しのきかないただの〝現実〟だけだ。
この世界がなにか別の〝神様〟と呼ばれる存在で管理されていて、私が何かしても大きな流れに逆らえないとしても。あるいはこの変化が、意図しない悪い結果を引き起こす可能性に恐怖しながらも。
それでも、少なくとも今の時点ですでに変わってしまっているから。トキヤくんが笑ってくれるから。私は全力で彼を、周りを助けていく。原作知識を前向きに考えて使って行こうと、そう決めたんだ。
※2013年1月16日:本文を少し修正しました。話の流れに変化はありません。