2013バレンタイン小話 2
とっきゅんは、なんだかんだ言いながらも付き合ってくれます。
「……美弥は、」
ボウルの生地をかきまぜながら、トキヤくんが聞いてくる。
「このブラウニー、友達以外の誰かにあげるのか?」
「友達以外?」
「本命とか」
洗い物をしていた水道の水を止めて、私は苦笑いを浮かべた。
「本命の人? 残念ながらいないよ……はー」
「なにため息ついてんの」
「あはは。あのね、友達がそういえばそんなこと言ってたなって」
私の友達の一人が、本命チョコを作って片思いの人に告白するのだと恥ずかしそうに笑っていたのを思い出す。
頬を染めて控えめに笑うその顔に、私たちはガッツポーズをして応援したのだ。
今年は受験の年だけど、それは同時に三月になれば卒業してしまうことも意味している。
高校に行って離れ離れになってしまう人たちにとってみれば、今年のバレンタインは最後のチャンスでもあるのだ。
もちろんTPOも大事だけど、後悔したくないってのも女の子の本音なんじゃないかな。
「恋愛したいってわけじゃないんだけど、なんかそういうのいいなって」
うまくいえないけど、胸が高鳴るようなどきどきとか、眠れないほどのわくわくとか、誰かのことで頭がいっぱいになったりとか、そういう気持ちを体験できるってのは羨ましいなぁと思う。もちろん片想いって良いことばかりでもないんだろうけど。
肩をすくめると、トキヤくんは何故かジト目でこちらを見てきた。
なにその目、と訝しげに睨み返せば、トキヤくんはこれ見よがしにはぁ、と大きなため息。
「……じゃ、俺がもらう」
「え?」
「俺にくれよ、チョコ」
「もちろんあげるよ? お母さんと一緒に作ったやつ」
「……おばさんのやつも有難いけど。美弥からのが欲しい」
「はぁ……」
トキヤくんそんなに甘いもの好きだったっけ? と首を傾げ、ふと気づく。
……気を使ってくれたんだ。
私が今、いいなぁって言ったから。
「……しょーがないなー」
幼馴染の優しさに苦笑する。
ダメだなぁ。今回はこの幼馴染を応援するつもりで誘ったのに。
「トキヤくんの為にちょっとだけ、特別製のブラウニーを焼いてあげよう」
「……おぅ」
友チョコ用ではなくて、トキヤくん用にちょっとナッツの多いものを作ってあげるべく、もうひとつ型を用意することにした。
ナッツやドライフルーツを入れてざっくりかきまぜて、敷紙をしいた型に生地を流し入れる。それから予熱を入れたオーブンにセット。キッチンタイマーを設定。
焼きあがるまでちょっと休憩。余ったナッツやフルーツと紅茶を入れる。
ちなみに本日、私の母はママ友さんとおしゃべりをするためにお出かけ。弥白は友達と遊びに行っている。父は趣味の釣りに出かけていて、トキヤくんの義理父、和成さんは仕事が忙しいらしく休日出勤だ。
そんなわけで、今日は私とトキヤくんの二人だけ。
「つか、陽向にはあげなくていいんじゃないのか?」
「えー、もう約束しちゃったもの」
「……いつの間に……」
そんな感じでだるだる会話をして三十分。
キッチンタイマーが鳴った。
テーブルの上を片づけるのをトキヤくんにお任せして、オーブンを開いて竹串を刺し状態を確認、問題なさそうだと判断してアツアツの鉄板をオーブンから取り出した。キッチンだと少し狭いからダイニングテーブルに移動。
見た感じ、良い感じに焼けてるようだ。芳ばしい香りが辺りに充満する。
「……甘い匂い」
トキヤくんが後ろでちょっと眉を寄せている。あぁ、ごめんね。
「窓開けてきてくれる?」
トキヤくんがテーブル横の窓を開ける間、換気扇のスイッチを入れた。
急激に下がった室温によって、良い感じにブラウニーの粗熱も取れてきた。型から取り出して更に冷やす。それからさくさくと適当な大きさに切り分けて、あとはラッピングだ。……今更だけど、手作りって疲れるよね。
「えーと、何人かなー」
「そんなに配るのかよ」
いいかげん寒くなってきたので、窓を閉めて戻ってきたトキヤくんが呆れたような顔をする。
「だってせっかくだし。高校行ったら離れ離れになっちゃう子もいるんだもん」
せっかくの機会だからちょっと多めに配りたいなぁと思っていた。もちろん女の子ばっかりだけどね。
トキヤくんは「ふぅん」と相槌を打つだけだった。あんまりこういうの、男の子には分からない感情なのかな。
けれどもなんだかんだ最後まで手伝ってくれる気らしい。ラッピングの袋を用意してくれていたから。
「トキヤくん」
仕上げの粉砂糖を降りかけて、横に居るトキヤくんを呼んだ。テーブルに並べられたブラウニーを眺めていたトキヤくんが、くるりとこちらを向く。
「はい、あーん」
その口に、出来たばかりのブラウニーを押し付けてみた。トキヤくん用に作ったやつの切れ端だ。むに、とトキヤくんの口が曲がる。
トキヤくんは最初、目をぱちぱちさせた。
それから大人しく口を開いて、縦長に切ったブラウニーの半分を噛みきる。そのままもぐもぐもぐもぐ。
「……どう?」
見た目は良く出来ているとはいえ、味はどうだろう。どきどきしながら下から覗き込めば、トキヤくんは息が詰まったようだった。
こくん、とトキヤくんの喉が鳴る。
それから何かを言いかけて、口を閉じて、眉を寄せて顔をプイ、と背けた。目元がほんのり赤くなってる。
「…………ま、いいんじゃないか」
「え、ほんと?」
トキヤくんの控えめな賛辞に嬉しくなって、手に持ったままだった残りの欠片を口に放り込む。さく、と香ばしい味が広がって、チョコレートの甘みとナッツの歯ごたえがした。
あ、ちょっと焼きすぎたかな。
「んー、でもこれはこれで」
やっぱりお母さんみたいにはいかないな。しっとり感がない。でもまぁ、食べられないわけじゃないし。トキヤくんも褒めてくれたし。
そんなふうに自分で品評をしていると、ふと、隣のトキヤくんが硬直しているのに気付いた。
「……トキヤくんどうしたの? 顔真っ赤にして、金魚みたいに口パクパクして」
「お、ま、」
「……え?」
「い、いま、たべ、」
「……食べたけど」
なにかおかしいことでもしただろうか。きょとんと首を傾げれば、トキヤくんはがばっと口元を手で覆った。
そして。
「…………~~っっ甘すぎんだよッ!」
「は?」
捨て台詞のようにそう叫んだかと思うと、飛び退くように台所から飛び出していった。
一人残された私は、しばらくトキヤくんの出ていったドアを見つめ。
「………………トキヤくん、ラッピング」
手伝ってくれるんじゃなかったの? と途方に暮れた。
※
バレンタイン当日。
昼休みの時間を使ってわざわざ隣のクラスに顔を出した大西陽向は、窓際の席にまっすぐ近寄ると、これ見よがしにラッピングされた小さな水色の袋を掲げてみせた。
「じゃっじゃーん。これ誰からだと思うー?」
「……知ってるよ」
「あれ?」
窓際の席に座ったままの黒髪の少年――叶野トキヤは、机に頬杖をついたまま呆れたように返した。その反応に、明るい茶色の髪を持つ整った顔立ちの少年は、きょとんと首を傾げる。
「なんで?」
「俺も手伝ったし」
「あ、やっぱり。だからみゃーちゃん言ったんだ、とっきゅんの気持ちも籠ってるって」
「……あいつ、ホントにそう言ったのか」
脱力したようにがっくり肩を落とすトキヤに、陽向はけらけらと笑う。
「いいじゃん、一緒に作ったんでしょ? ありがとねとっきゅん、キミの気持ちはちゃんともらったよ!」
「あぁ、食べてみろ。お前のは特別製にしといた」
「え」
「美弥の目を盗むのに苦労した」
ぎょっとする陽向へ向け、トキヤはふっと笑う。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………まぁ食べてみろ」
「恨みが籠ってる! なんか絶対よく分かんないの入ってるでしょ!?」
怯えたように後ずさる陽向へ向けて、トキヤは肩をすくめた。
※
「……あれ?」
学校指定のカバンを開けると、ひとつ、見慣れないものがあった。
ううん、数日前に見たやつだ。
友チョコ用のピンクの包装紙とは別の、トキヤくん用に包んだ水色の包装紙。
ひとつは陽向くんにあげたから、これはトキヤくんが持っていったやつ。
「まぎれちゃったのかな?」
後で返しに行かなきゃ、と思った。




