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三幕 エセル、剣の行方

三幕 エセル、剣の行方


 空模様で、ヴァンデに拘束されてから七日ぐらい経っていることは把握できていた。

 今の空は、蜜柑色に染まりかけた夕暮れ時だ。視線を先へ伸ばせば、簡素な石壁に囲まれた村が見えた。

 外套に隠れていて分からないが、エセルは手首を縄で縛り上げられていた。その縄をヴァンデが持って先導する。エセルは影のように付いていくだけ。

 ヴァンデの歩調に合わせられず、無様に転ぶことがある。その度、暴言を吐かれて殴られるのだが、今日は暴力を振るってこない。

 おそらく、生気の抜け落ちたエセルが今にも動かなくなるのではと危ぶんでいるのだろう。餌が死んでは意味がない。

 エセルの足元を付いてくるディーは、心配そうに見上げてくる。

 ひっきりなしに励ましてくれていたが、エセルが何の反応も示さないので、もうずっと黙っていた。

「おい、今日こそ何か腹にいれろよ。俺はおまえに死んでもらっちゃ困るんでな、今は」

 背中を向けたまま、ヴァンデは心底面倒そうに言った。

 返事など期待していないヴァンデは、縄を乱暴に引っ張るにとどめた。

 

 

 エセルとヴァンデは村に一つだけあった宿で食事をとっていた。

 食事中は縄を解いてくれてあった。エセルの様子から、逃げ出す心配など微塵もないのだろう。

 湯気を上らせる卵のスープが、エセルの目には色あせて見えた。

 がつがつと酒や魚のフライを食べるヴァンデは、いよいよ怒りを爆発させる。

「おい、いい加減にしろよ。アイツに会う前に冥界に逝きたいのか?」

 襟首を掴まれたエセルは虚な目で、睨みつけてくるヴァンデを見返した。

「ちょ、ちょっとお客さん、喧嘩はやめてくださいな」

 宿の女主人が厨房から顔を覗かせて声を投げてきた。

 舌打ちをして、ヴァンデはエセルを床へ叩き付ける。

 受け身もとろうとしないエセルは当然のように背中や頭を強かに打った。

 わずかに顔を歪めたエセルを再び掴み上げて、無理矢理口をこじ開ける。そこへ熱いままのスープを流し込まれた。

 エセルはスープの器を払い落として激しくむせる。

「だ、大丈夫かい? お兄さん」

 駆け寄ってきた女に、エセルは片手を上げて頷いた。

 袖で顔周りをぬぐって、ゆらりと立ち上がる。

「寝る」

 簡潔にそういって、エセルは奥の部屋へ向かった。

 ディーも後を付いてきた。



(ねぇ、そんなに……ユグノース君がボアース人だったってことが許せない? 嫌いになったの? 裏切り者ーって思った? ねぇ、エセル君。元の君に早く戻ってよ。立ち直って)

 エセルは月光が差し込む床の上にぐったりと座り込んでいた。

 狭い室内には一人分の寝台しかない。

(エセル君ってば。聞いてる? わたしの声届いてるよね? いつまでぼけっとし続けるつもりだい? よたよた歩くだけの人形にでもなるつもりかい? 今のまま立ち止まってて何の解決になる? 動いてよ、動いて)

 ディーは前足をつかってエセルの腕を何度もかき続ける。

「ディー」

 エセルの声がして、ディーはぴたりと静止した。

「何も、考えてない訳じゃないんだ」

 すぐ消えてしまいそうな声だった。

 エセルは俯けていた頭を億劫そうに持ち上げる。月の光に導かれるように、すぐ傍らの窓を眺めた。ほんのりと、笑みを浮かべた。

「ぼけっとしてたようにしか、見えないだろうけど。結構頭の中は動かしていた。寝ても、覚めても、ね」

(……結論は出た?)

「結論?」

 エセルは窓からディーへ視線を移した。

(ユグノース君のことを、許せる? もう会いたくないとか、思わない?)

 エセルとディーは静かに見つめ合っていた。

 かすかにエセルは顔を歪め、手で覆い隠した。唇を噛んで、鋭く息を殺す。

「許しを請うのは僕の方だっ」

 どんどん俯いていくエセルは、顔から頭へ手を移動させた。暗闇に相応しい灰色の髪を力一杯掴んだ。

(エセル君?)

「今までのこと、思い出していたんだ」

(うん)

「俺、ユグーのこと、苦しめていた。もうずっと出会ったときから、ずっとだ。無神経なこと言って、傷つけてきた。俺、初めてこんな風に想像した。もし……俺がボアース人だったらって。ユグーの過去に何があったかは分からない。けど、もし、俺がユグーだったら? 友がボアース人を憎んでいたら? 言えない。隠し続ける。それに、耐えられなくなる日がきっと来る。そしたら、友から俺はきっと、去ろうとする。きっと、そうする」

 エセルは全身を炎であぶられたようだった。閉じた瞼からは、防ぐこともできない涙が音も立てず、闇の中へ消えていく。

「ユグーに会いたい」

 ユグノースの名前を呼ぶだけで、エセルの胸は締め付けられた。

 呼べば、すぐ手の届く場所に居た。場所を縮めていたのは、エセルだ。 

 ラードの問いは、エセルに復讐心を捨て、ユグノースを受け入れるかどうか、だったのだ。

 馬鹿な! そんなつもりじゃなかったのに。復讐心があるからこそだと、思っていた。ユグノースだって同じ気持ちだと思って疑わなかった。だからだ、だからエセルも一緒だと心を寄せ合ったのに。だから……。

 え? 

 ちょっと待て。

 だから?

 エセルは驚く速さで顔を上げた。続けて立ち上がる。しかし、すぐに膝がおれそうになって背中を壁にくっつけた。

(エセル君、どうしたの?)

 エセルは恐ろしいものを目の当たりにしたように、震え上がった。腕をかき寄せて、自身を抱く。

「ち、違う」

(エ、エセル君? どうしたのさ)

 頬を焦がすほどの涙が、次々と零れ落ちていった。

 エセルは涙を拭おうともしない。

「俺は」

 声に出すのは憚られた。

 冥界へ召された家族に聞こえてしまうんじゃないかと思った。

 

 俺と、ユグーは共に復讐心を持つことで、友情が生まれた。

 剣をもつことで、この関係は永遠に固く結ばれると思った。

 だから。

 だから、ユグーとの仲を深めるために、復讐心を利用していたんだ。

 もちろん家族を奪ったボアース人は憎い。その想いは変わらない。

 けど、けれど。

 いつしか俺は、演じてはいなかったか? 

 薄れていく想いをどこかで自覚していたはずだ。

 仕方なかったと、片付けてしまいたくはなかった。しかし、歳を重ねるごとに思い知らされた。

 俺のような身の上は世の中に溢れている。嘆き続ける余裕は、生死を賭けて戦う内に消えてしまう。

 死は、手の届く位置に常にあったのだ。

 それどころか、俺の手は死を生み出していた。

 戦場で殺し合う内に、俺は、家族を殺した側にいるんじゃないかと錯覚することがあった。気づかないふりをするのが賢明だ。でなければ、剣を捨てるしかない。捨ててどうする?   

 剣を持つしか能はない。生きるすべがない。

 それに、ルド傭兵隊以外のどこに俺の居場所がある? 

 気づかないふりをするしかないじゃないか。

 ボアース人が憎いと思う気持ちは変わらないのだから、必死に怒りを燃やし続けるしか居場所を確保できなかった。

 そうまでして、俺はユグーをつなぎ止めておきたいんだから。

 自分は少し異常じゃないだろうか。

 そう思うけれど、ユグーが自分にとってなくてはならない存在だとはっきりしている。朝と夜が移ろうように、空に太陽と月が君臨するように。ひどく、当然なこと。


(ユグノース君が剣を捨てたのなら、エセル君も捨てていいんじゃない?)

 ハッと我に返ったエセルは、肩に乗ってきたディーと眼を合わせた。

 壁に預けたままの背中はもう、凍えていない。指先まで沸騰したての血が行き渡ったように。

 涙にぬれた頬にそよそよと冷たい風が遠慮気味に触れてくる。涙はもう、流れていなかった。

 エセルの秘めた回顧を、ディーはお見通しという風だった。

「ディー、俺はずっと、自分を騙していたみたいだ」

 自覚したことが正しいと証明するように、エセルの腰には剣がなかった。


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