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二幕 二人の追跡者 ~2~

 襲いかかりたい衝動を一晩耐え、翌朝エセルは宿を出た。

 ちょうど宿の裏手からロデンが荷馬車を回してきたところだった。

「よぉ、おはようエセル。今日から頼むな」

 巻き上がってくる砂煙に咳き込みながら、エセルはロデンのそばへ駆け寄って挨拶を返す。

「それと紹介しとくぜ。おーい、ヴァンデ」

 御者に座ったロデンが、エセルの後方に向かって手を振り上げた。誘われるように振り向くと、そこには想像通りの男がいた。

 宿の小さな扉を潜って、ボアース人の特徴をそのまま宿した巨躯の男がのろのろと歩いてくる。肩から剣の柄が見えた。

 外衣の袖を通さず羽織り、中の服は薄汚れた綿のシャツ一枚だけ。腰には紐がお飾り程度にぶら下がり、膝丈まであるブーツにズボンの裾を押し込めてある。逆立つほど短い白髪を手で荒っぽくかき上げると、二の腕まで真っ白な肌が露になった。冬の寒さが和らぎ始めたとはいえ、随分な薄着だ。

 顔のパーツはどこも鋭さがあった。糸のように細い眼、高い鼻梁に尖った顎、締まった頬肉。

 ヴァンデは血色の眼を向けもせず、エセルの前を通り過ぎた。

 エセルは黙ったまま、荷台に乗り込むヴァンデを目で追う。

 家族を殺した人種。復讐の相手だ。たとえ、ヴァンデが執行人ではないとしても、憎悪を向けるのは止められない。

 傭兵仲間にだってボアース人はいる。入隊したての頃など酷いものだった。見かければ、殴りかかるぐらいだ。その度、ルドにこっぴどく叱られた。

 ボアース人を見ると、家族の惨状が否応なしによみがえる。果てしない闇にとらわれ、たかが外れることもあった。理性を保てるようになったのは、一体いつ頃だったろうか。

(エセル君、とっとと乗りなよ)

 肩にのったディーが、抑制してくれたような気がした。だから。

「ありがとう」

 と言って、荷台に乗り込んだ。

 木箱や樽を積み込んだ荷台に、エセルとヴァンデは向かい合うように両端に座った。

 車輪が滑り出すと、ゆるい風が頬を撫でてきた。

 少し顔を上げれば、水を浴びたばかりのようなうるうるした空が広がっていた。雲は消えてしまいそうなほど薄く伸びている。

 昨夜は寝付けなかったので、眠ってしまいそうな陽気だった。が、そのどちらも邪魔した原因であるヴァンデが目の前にいるし、何より今は仕事の最中だ。賊に襲われさえしなければ、暇なもの。強いて言えば、ロデンの長話を聞かされるのが仕事だ。

 話し好きのロデンにとって、ヴァンデとの旅は苦痛だったに違いない。

 ロデンの故郷が都市シーメニアだと聞かされたときは、どきりとして相槌を打つのを忘れたが、それ以外の話題は丁寧に返した。

 すっかり太陽が真上で輝いた頃、ロデンが突然話の方向を変えた。

「そーいえばエセル、ヴァンデは捜し人の一人じゃなかったのか?」

 のんびりした声に、エセルは身を強張らせた。

 つまらなさそうに後ろの景色を見ていたヴァンデの肩がピクリと動いた。

「ヴァンデも金色の男を捜してるって言ってたからなぁ、そうかと思ったが違ったみたいだな。金色の髪なんか滅多に見ないからよ、どんな偶然なんだかな」

 ロデンの快活な笑声が上がってすぐ、エセルとヴァンデは鞘から剣を引き抜き刃を交えていた。

「なな、なんだおめぇら! なにやってんだっ」

 突然上がった金属音に、ロデンは振り向きながらあたふたと馬車を止める。

「なぜ剣を抜く?」

 交えた剣の向こうから、ヴァンデが静かに声をかけてきた。

 確かに、先に柄を握ったのはエセルだったかもしれない。けれど、ヴァンデも抜くつもりだったはず。ロデンの言葉に反応を示していたのだから。

「こっちの、台詞だっ」

 エセルは、やや押される体勢で剣を受け止めていた。馬車の急停車で足場が崩れ、片膝を付いてしまった。ただでさえ狭くて身動きがとれないのに、このままでは危ない。腰までしかない荷台の壁を背に、エセルは賭ける思いで声を出す。

「あんた、どうしてユグノースを追っているんだ」

 すると、交えた剣の重みがふいに弱まるのを感じた。やはり、当たりだ!

 その隙を逃さず、エセルも力を弱め、身体を外側へ反らした。流れる動作で、ヴァンでの手元を蹴り上げてから、回転するように荷台から飛び降りた。

(横へ転がれっ)

 着地と同時に、エセルはディーの言葉に従った。

 すぐ横に木箱が投げつけられ、砂と共に木片や、中身だった蜜柑が辺りに飛び散り、エセルも浴びた。

「おお、おめぇーら! なな――んてことしやがる!」 

(ちょ、ちょっと、エセル君、大丈夫だろうね?)

 ロデンとディーの声に構う暇はない。

 エセルを追って宙へ躍り出たヴァンデを眼にしたのだ。体勢を整えて、構えをとる。

 飛び込んで来たヴァンデと、エセルは再び剣戟を始めた。ヴァンデの得物は、エセルのものより一回りもでかかった。力に翻弄されず、何とか速さで立ち回るしかない。と、分かっていても隙がそうそう無かった。ルドかラードと打ち合っている気がした。

(エセル君っ)

 ディーが、ヴァンデの顔に飛びかかった。刹那、気をとられたヴァンデに隙が出来た。が、猫の押し潰されるような悲鳴を耳にして、エセルは慄然とした。

「ディーっ」

 ディーが宙に舞ったのを眼にした瞬間、エセルは剣を捨てていた。受け止めるために、走り出す。

(ば、馬鹿っ! 私のことは放っておけ! こんなことで死ぬわけないだろ)

 そうは言われても、動いてしまった身体はどうすることもできない。言い訳もできぬまま、エセルはディーをしっかり受け止めた。そのまま、道の脇まで滑り、木の幹に肩からぶつかった。

(エ、エセルエセルっ)

 ディーが胸元で暴れ狂いながら、けたたましく呼ぶ。肘を立てて起き上がろうとしたエセルの喉元に、剣先がぴたりとあてられた。

 刀身の先を追って見上げると、木漏れ日の下で斑な影を浴びた男がいた。それ以外にあり得ないというのに、ヴァンデだと気づくのに遅れた。

「俺のように金色の男を捜す、灰かぶりの男がいると耳にしていた。おまえだな? 一体何者だ。名乗れ」

 エセルが忌々しく睨みつけていると、剣先がわずかに動いた。皮膚に小さな痛みがはしる。

(ちょっ、早く言っちゃえよ)

 エセルは唾をゆっくり嚥下してから、答えた。

「友達、だ」

「ともだちだと?」

 剣を寸分も動かすことなく、ヴァンデは鋭い目をさらに細める。

「まさかルド傭兵隊とかいうんじゃないだろうな?」

 肯定すれば、死を呼び込むことになる。

 そう思ったものの、エセルはまっすぐ瞳を向けたまま「そうだ」と言った。

 予想に反さず、胸元を掴まれ、頬を強かに殴りつけられた。

 斜面になっていたため面白いほど吹っ飛んだエセルの身体は、水をかぶって落ち着いた。

 激しく咳き込みながら、エセルは水面から身体を起こした。どうやら、川の浅瀬にいるらしい。川の存在など、草に覆われていて分からなかった。

(エセル君! こんなところで終わらせるつもりか! 今終わったら、死にかけてた戦場に戻るだけだぞっ)

 心臓の音と、流水音を押しのけて、ディーの必死な声が頭の中で響く。

 死にかけてた戦場に戻る?

 そう、だ。

 そうだった。

 エセルは今、過去に戻ってきているのだった。ユグノースと決別したまま死ぬのが怖くて、悔しくて。その未来を変えるために今があるんだった。

「忘れていた」

(何だってぇ!)

 度重なる出来事は鮮明すぎて、今を生きている実感したもたらさなかった。

 ふと、思い出すことはあっても、すぐ目の前のことに夢中になってしまう。もともと器用な頭ではないのだ。ただでさえ、ユグノースのことで頭がいっぱいだというのに、あれこれ詰め込んでいられない。

 しかし、ディーの言葉で、まざまざと思い出してしまう。ユグノースと二度と会えず、死んでいくときの恐怖を。別れを告げられ、必死に捜し回った恐怖を。

(エセル君、とにかく逃げよう。って、来ちゃったぞ)

 草をかき分けて駆けてくるヴァンデを見ながら、エセルは重くなった外套を脱ぎ捨てた。武器が何一つないのに舌打ちする。

「おまえ、餌になれるか?」

 エセルは口の中の血を吐き出しから、ヴァンデを睨む。

「何を言っている?」

 すぐ川岸までやってきたヴァンデは、エセルを値踏みするように眺める。

 エセルは着衣についた水を絞りながら、ゆっくり岸へ足を向けた。どういうわけか、襲ってこようとしない。剣は抜き身のままだが。

 少し距離をあけて岸へ上がったエセルに、ヴァンデが詰め寄ってきた。

 剣を持ったままエセルの肩を乱暴に掴もうとする。避けようとして尻餅をついたエセルに、覆い被さってきた。

 なんだかもう身体のどこもかしこも鈍痛を感じ、思い通りに動けない。

「おい、それはアイツにもらったのか?」

 エセルの首に掛かったペンダントを、ヴァンデがぐいっと持ち上げた。当然エセルの首は苦しいことになる。

「おい、答えろっ」

 エセルはヴァンデの手を叩いてやった。

「だったら放せよ!」

 叫ぶと身体中に痛みがぐわんぐわん反響した。

「……おまえ、殺してやりたいがやめておく。アイツをおびき寄せる餌にする」

 剣を背中の鞘にしまうと、ヴァンデは口の端をもち上げた。

宣誓(エクター)()を渡したということは、それくらいの価値があるということだからな」

「エ、エクターゼ?」

 エセルは思いっきり顔をしかめてから、ペンダントを手に取った。

 チュニックの紐がほどけて、露になっていたようだ。

「何も知らないのか? 真ん中にある赤い石はアイツの母親の血を固めたものだ。俺たちボアースの民は母親の血を装身具にして、将来嫁になる女に贈る。一生変わらない心を捧げる宣誓の意味でな」

 エセルは大きく目を広げて、ぽかんと口を開けたまま硬直した。

 ただし、頭の中はものすごい勢いでヴァンデの言葉が回っている。

「な」

 ようやく出たのは一文字だけだった。

 ヴァンデの言葉からは、まるでユグノースがボアース人だと言っているようだ。そんな馬鹿なことがあるわけない。

「な、何をふざけたことを! それじゃぁまるでユグーがあんたと同じボアース人だってことじゃないかっ、あり得ない! ユグーは、ユグーの母親はその蛮族に殺されたんだ。だから、俺と一緒でおまえらに復讐するのを目標にして傭兵になったんだ。そ、それに、ユグーの容姿はまったくボアース人とかけ離れているじゃないか。でたらめを言うな」

 エセルは否定するに足る材料を口々に並べた。そうする内に、自分の中でもそうだ、そうだと安心することが出来た。

 しかし、そんなエセルをヴァンデは嘲笑う。

「はっ、こりゃいい。おまえ、想われ人なのに知らされていないんだな。アイツ、必死に隠してきたんだろうな」

 くっくっくっ、と喉を鳴らして実に愉快そうだ。

 隠してきた?

 エセルを敏感にさせる言葉だった。

「おまえの疑問に答えてやる。ユグノースは、おまえが仇とするボアース人だ。間違いなく、な。七部族の一つ、ルメリオ族長の八番目の息子だ。容姿が違うってのは、アイツの母親が余所の大陸から流れてきた異人だからだ。まぁ、それが原因で同族に殺されたわけだ。確かに俺たちが仇ってことになるんだろうな。けどな、アイツは族長を、実の父親を殺しかけた狂い人だ。それでこっちの大陸に逃げてきたんだからな」

 嘘、だ。

「傭兵なんかやって、同族を殺しまくってたんだろ? 根っからの裏切り者だな。おまえのことも騙してたわけだ。酷いよな?」

 嘘だ!

 叫びたいのに、エセルは空気を喘ぐように吸い込むことしか出来なかった。

 土砂降りのように打ち付けてきた言葉は、頭の中でせわしなく弾いている。出来れば、全て返してやりたい。けれど、エセルの指先まで浸食していく。

 不意にラードの声がよみがえった。

――いなくなっちまった家族と、どっちを捨てられる?

 唇をわななかせたエセルは、天啓を得たように意味を理解した。



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