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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

ざまぁ物、短編~中編未満

悪意すらコストに換算します 〜商家の次男坊は貢物を搾り取り、実家からの独立資金にします〜

作者: マサ
掲載日:2026/08/12

 王立アストライア学園。白亜の尖塔と手入れの行き届いた回廊。空を飛ぶ魔導馬車の発着場を見上げるまでもなく、平民のサイラス・ローレルにとって、この最高学府はただの巨大な市場にすぎなかった。


 王都の雑貨商「ローレル商会」の次男。国が定めた特権枠を突き崩して滑り込んだこの場所に、身の丈に合わない気後れなど微塵もない。買い叩く客の腹積もりも、笑顔の裏にある値踏みの視線も、幼い頃から父の背中で叩き込まれてきた。


「目立たず、波風を立てず、三年間を無難にやり過ごす」


 そして、長男が商会を継ぎ支店でも任せてもらう。それが描いていたはずの人生プランだった。初夏の風が中庭の芝生を揺らす午前の講義後。サイラスは大樹の影にブレザーを丸めて寝転がり、空を見上げながら昨晩の魔導石の相場を頭の中で転がしていた。西地区の鉱山の採掘量。保存魔導具の価格変動。そんなこと以外に割く関心などない。


 鳥のさえずりと、遠くの令嬢たちの笑い声が心地よく混ざり合う。その静寂を裂くように、すぐ隣の植え込みの向こう――瀟洒な東屋から声が降ってきた。


「――ねえ、聞いてる?レイノルド。今度の退屈しのぎのターゲットだけどさ」


 風に乗ったその声に、サイラスの思考がぴたりと止まる。ヴィクトリア・フォン・グレンバーン。学園の頂点に君臨する公爵令嬢。銀糸の髪と氷細工のような容姿の裏で、その気まぐれさは幾度となく噂にのぼっていた。


 サイラスはまぶたを開けず、五感だけを研ぎ澄ます。


「平民枠の特待生でさ。いつも中庭の隅で、いかにも目立っていませんって顔して寝転がってる、サイラスとかいう男の子。知ってる?」

「ああ、あの雑貨屋の次男坊ですな」


 男爵子息の冷ややかな返答に、鈴を転がすような笑い声が重なる。


(こいつら馬鹿じゃないか?その中庭で寝っ転がってる本人がいるってのに…。それとも、わざと聞かせてる?別のなにかを企んでる?)


 サイラスは思考を巡らしながら聞き逃さないように耳を傾ける


「最近、あの無難ぶった猫背がどうにも腹立たしくて。だからね、学園祭の前にちょっとしたゲームをしようと思うの」

「ゲーム、でございますか」

「私たちが総出であの子を徹底的にチヤホヤして、特別扱いしてあげるの。毎日お茶に誘って、貢ぎ物をして、全幅の信頼を勝ち取るのよ」


 東屋の空気が、微かに熱を帯びる。


「そうして、身分違いの恋が実るかもしれないって完全に勘違いしきった、その一番幸せな瞬間に――パチン」


 優雅な指の鳴る音が響いた。


「全校生徒の前で、本気にしたのって笑ってフラれてもらうの。絶望の底に突き落としたときの顔、想像しただけでゾクゾクしちゃわない?」


 取り巻きたちの下劣な賛辞が風に溶けていく。芝生の上に寝転がったまま、サイラスは青空の一点を捉えた。


 怒りなど湧かない。ただ、脳内のそろばんが猛烈な勢いで音を立て始める。話してる内容が本当なら、彼女たちは自ら近づき、過剰に持てなし、貢ぎ物まで用意するという。こちらから媚びる必要すらない。向こうの金と権力が勝手にすり寄ってくる構図だった。


 拒絶すれば面倒な火の粉が降りかかる。かといって、おとなしく玩具になる義理もない。


 サイラスの唇の端が、かすかに持ち上がった。


 お近づきの印として転がり込む高級な魔道具。貴族社会の貴重なコネ。そして、公爵令嬢に選ばれた平民という奇妙なブランド。それらを搾り取れるだけ搾り取り、いざという時の防衛網に変えればいい。他の企みがあるならそれも食い破ってやる。


 彼女たちはサイラスを絶望させるために動く。ならばこちらは、最高のパトロンから実家からの独立資金を引き出すのみだ。


 サイラスはゆっくりと起き上がり、服についた芝生を払いながら、心の中で小さく息をついた。


「さて――」


 風が抜け、芝生が揺れる。静かに、しかし確かな計算を孕んだ序章が動き出していた。


◇


 翌日から、学園の日常は音を立てて熱を帯びた。サイラスを取り巻く世界だけが、極彩色の不気味な熱狂に包まれていく。中庭の隅の芝生。いつもの特等席に差し込んだ鮮やかな影に、サイラスはゆっくりとまぶたを上げた。


「見つけたわ、サイラス!」


 鈴を転がすような甘ったるい声。周囲の生徒たちが一斉に息を呑む。そこに立っていたのは、公爵令嬢ヴィクトリアその人だった。背後にはお付きの側近たちと、眉をひそめるレイノルドの姿がある。


(ほう、昨日の今日で動いてきたか。仕事が早いことで)


 サイラスは冷徹な算段を胸の奥にしまい込み、完璧な「身の程を知る平民の焦り」を顔に貼り付けた。


「ヴィクトリア様……?私のような平民に、何かご用でしょうか」

「ふふ、そんなに怯えなくてもいいわ。ねえ、今日は一緒にお茶をしない?」


 周囲の視線を完璧に意識しながら、ヴィクトリアがサイラスの腕にそっと手を添える。嫉妬と嘲笑混じりのざわめきが波のように広がった。


――あの平民、公爵令嬢に触りやがったぞ。

――またヴィクトリアの気まぐれか。

――すぐに飽きて捨てるさ。


 サイラスはその腕の感触を上質な利益の担保として測りながら、わずかに頬を赤らめる演技で応じた。


「……恐れ多いことでございます。お言葉でしたら、喜んで」


 それが、完璧に計算された遊戯の幕開けだった。


 日を追うごとに、アプローチは露骨さを増していく。高級食堂でのランチの奢り。希少な魔導書籍の貸与。そして、「あなたに似合いそうだと思って」と差し出される一級品の魔導パーツ。実家の商会では到底手に入らない品々が、次々とサイラスの手元に積み重なった。


 放課後のサロン。ヴィクトリアはサイラスを特等席に座らせ、彼の些細な言葉を大げさに褒めちぎる。


「まあ、なんて独創的な視点なの!平民のくせにやるじゃない」


 周囲の取り巻きたちは心の中でせせら笑っていたが、現実において、ローレル商会の売上はうなぎ登りに跳ね上がっていた。ヴィクトリアを経由して回ってくる魔導石のルートは、王都の貴族街における新たな太いパイプを築き上げるのに十分すぎた。


「こんな高価なもの、盗んだと疑われてしまいます」


 言葉巧みに贈与の証拠を固めつつ、品々はすべて実家へと流れていく。生徒たちは彼をおもちゃにされた哀れな道化と嘲笑っていたが、実際の勝者はどちらかは、雄弁に物語っていた。


 ある日の放課後。中庭のテラス席。ヴィクトリアは満足げな笑みを浮かべ、サイラスの瞳を見つめた。


「ねえ、サイラス。来週の学園祭、もちろん参加するわよね?パーティーでみんなの前で貴方にどうしても、私の『特別な気持ち』を伝えたいの」


 その言葉の裏に隠された最終劇の脚本を、サイラスは一発で察知した。心の中で「ご馳走様です」と呟きながら、これ以上ないほどに惚れ込んだ男の顔を作る。


「……はい、ヴィクトリア様。必ず、ご期待に応えますよ」

「ふふ……ええ、楽しみにしていてちょうだい。あなたが生涯で一番、絶景を見る日なんだから」


 勝ち誇ったように微笑み、ヴィクトリアは優雅に立ち去っていく。その背中を見送る取り巻きの中に、一人だけ冷ややかな眼差しを向ける男――レイノルドの姿があった。


 サイラスは紅茶を一口啜り、静かに息をつく。


(お膳立ては完璧だ。向こうは最終幕のつもりだろうが、こっちにとっても最高の収穫祭のフィナーレだからな。別の企みなどなかったようだな、いや最後まで気を抜いては駄目だ)


 甘い蜜の裏で牙を研ぎ澄ませた商人の次男は、静かに次の影へと歩みを進めるのだった。


◇


 学園祭を翌週に控え、空気はどこか浮き立っていた。王立アストライア学園の廊下や中庭は、恒例の模擬店や劇の準備に追われる生徒たちの喧騒に満ちている。


 ヴィクトリアによる最後の仕上げも、いよいよ大詰めを迎えていた。全校生徒が注目する学園のホールでの公開告白。その場で冷酷に切り捨てるための根回しと招待状の配布は、すでに水面下で完璧に整えられていた。誰もが完璧な喜劇、あるいは悲劇の完成を確信している。――ただし、たった一人の例外を除いては。


 放課後。夕暮れのオレンジ色の光が白亜の校舎の壁を長く引き延ばす。人通りの少ない旧校舎の裏手、古い薔薇のアーチが絡まる小道で、サイラスは足を止めた。


 待ち構えていたかのように、影から一人の少年が姿を現す。ヴィクトリアグループの参謀ポジションにあり、冷徹な計算で周囲をコントロールしてきた男爵子息――レイノルド。その表情にいつもの余裕はない。代わりに浮かんでいたのは、底冷えするような警戒の色と、わずかな焦燥感だった。


「……さすがだな、サイラス・ローレル」


 低く、ひそやかな声。


「お呼び出しとあれば、どこへでも参りますよ。お茶会の随行でしたら、実家の帳簿の締め作業がありますのでご辞退いたしますが」


 ポケットに両手を突っ込んだまま、サイラスはまったく怯むことなく肩をすくめる。レイノルドはそのふてぶてしい態度に小さく舌打ちし、懐から一冊の分厚い書類の束を突きつけた。


「とぼけるな。お前がヴィクトリア様を利用して裏で何をやっているのか……すべて調べてある」


 書類には、高級魔道具の譲渡記録、王都の有力商会へと流された特権的な仕入れルート、そしてローレル商会の爆発的な売上増加を示す数字が、残酷なまでに正確に記されていた。


「お遊びのつもりで近づいたはずのヴィクトリア様を利用し、実家の利益を何倍にも膨れ上がらせた。あの方が次の週末に向けて準備している裏で、お前はちゃっかり実利をかっさらっていたわけだ」


 レイノルドの目が鋭く光る。


「悪辣だな、平民。今すぐこの証拠をすべてヴィクトリア様に突きつけ、お前の企みをぶちまけてやってもいい。お前を学園から追い出し、二度と商売ができないように社会的抹殺を図ることも、俺なら容易い」


 それは脅しではなかった。レイノルドの頭脳であれば実行は容易い。完璧だったはずの構図に混ざり込んだ致命的な解れ。万事休す――普通であれば、ここで青ざめ、命乞いをする場面だった。


 しかし。サイラスは驚くほど微動だにせず、ただやれやれといったふうに息を吐いた。


「……なんだ?怖くないのか」

「脅し文句ご苦労様です。で、レイノルド様。真っ当な商売にケチを付けるためにわざわざ、こんな人気のない裏手にまで?」


 サイラスは一歩、レイノルドへと歩み寄る。その瞳には哀れみの色だけが宿っていた。


「どうぞ、お嬢様にお知らせするのもお好きになさってください。私を告発して、お遊びの続きを台無しになさりたいなら、今すぐお走りください」

「なっ……!?」


 予想外の言葉にレイノルドが息を呑む。だが、サイラスは容赦なく追撃する。


「ただ、レイノルド様。本当にこのままあの方の泥舟に乗り続けるおつもりですか?」

「――なんだと?」

「ヴィクトリア様のあの性格です。自分の計画が歪められ、自分が逆に平民に利用されて道化にされていたと知ったら、あのプライドの塊がどうなると思います?」


 サイラスは冷ややかに笑う。


「間違いなく、周囲の人間――貴方様を含めた取り巻き全員の無能さを激しく詰責し、責任を徹底的に追及するでしょう。あの方の癇癪に付き合わされる貴方様方の苦労、想像するだけでご愁傷様です」


 レイノルドの顔から血の気が引いていく。ヴィクトリアの傲慢さと、その裏にある狂気的なまでのプライドの高さ。それを誰よりも近くで見てきたのは、他でもない参謀役の彼自身だったからだ。


「味方になれなんて言わない。馴れ合うつもりもない」


 サイラスは間合いを詰める。


「だが、俺のやり方に気付いたんだから――これ以上あの沈みゆく泥舟に深入りして共倒れになりたくないなら、どう立ち回るべきか、お前のその優秀な頭なら分かっているはずだ」


 静寂が、夕暮れの旧校舎の裏手に落ちる。遠くから聞こえる生徒たちの楽しげな話し声が、まるで遠い世界の出来事のようだった。


 レイノルドは、目の前の少年の顔を凝視している。怯えも焦りもない。あるのは、徹頭徹尾損得勘定だけで世界を見据える合理性だけだった。


(こいつ……!俺を脅し返す代わりに、俺自身の恐怖心と保身を利用して、口を封じようというのか……!)


 告発してサイラスを潰す快感。だが、もしサイラスを潰したところで、ヴィクトリアが激怒すれば、自分たちの過失まで芋づる式に暴き出されるかもしれない。暴走に巻き込まれるリスクは日増しに高まっていた。


 頭の中で猛烈な勢いで損得の天秤が揺れ動き、やがて音を立てて狂い始める。レイノルドは歯噛みし、震える手で書類を握りしめた。


「……くそ……っ」

「いい返事を期待しているよ、参謀殿」


 サイラスはふっと不敵な笑みを浮かべ、背中を向けて夕闇の中庭の方へと歩き出す。


「週末のクライマックスが、ますます面白くなってきたな」


 背後でレイノルドが何も言えずに立ち尽くす中、商人の次男坊の足取りは、これから始まる最大の商談に向けて、どこまでも軽やかだった。


◇


 学園祭最終日。学園ホールのパーティー、噂を聞きつけた数百人の生徒たちが人だかりを作っていた。


「おい、聞いたか?公爵令嬢が平民に告白の返事をするらしいぞ」

「身の程知らずの平民が盛大にフラれる公開処刑の儀式って噂だぜ」


 貴族たちの嘲笑と好奇心の入り交じったざわめきがうねる、秋晴れの空の下、魔道具の明かりがきらびやかに輝く、一段高いステージの上にヴィクトリアは立っていた。銀糸の髪を揺らし、冷酷なまでの優越感を湛えた微笑み。背後には取り巻きたちが控えている――ただ一人、レイノルドの姿を除いては。彼は群れの最後尾、会場の隅から冷や汗をにじませながら無言でステージを見上げていた。もはや共犯者ではなく、ただの観客だった。


 そこに、ゆっくりとした足取りでサイラスが姿を現す。制服の着崩れもなく、その顔には余裕の笑みが貼り付いていた。


 観衆をかき分け、サイラスがステージの階段を昇る。ヴィクトリアは待ち構えていたとばかりに一歩前に出た。


「よく来てくれたわね、サイラス」


 拡声の魔導具を通し、学園全体に響く声で切り出す。


「君が私に捧げてくれた言葉も、尽くしてくれた日々も、本当に滑稽だったわ。平民のあなたが本気で私と釣り合うなどと、思っていなかったでしょうけれど」


 周囲からクスクスと笑い声が漏れる。ヴィクトリアは最高潮の愉悦に酔いしれ、とどめの一言を放った。


「お疲れ様、サイラス。これ以上、その勘違いに付き合うのは時間の無駄よ。――身の程を知りなさい。平民の分際で、公爵令嬢に愛される資格などあるわけがないでしょう!」


 ドッ、と会場から大きな笑い声が上がった。嘲笑のシャワーが降り注ぐ中、計画通りの絶望の底に突き落としたはずの瞬間。


 ――だが。サイラスは微動だにしなかった。眉一つ動かさず、むしろ満足げな笑みを崩さない。彼はゆっくりとポケットから一通の分厚い書類の束を取り出した。


「……お言葉ですが、ヴィクトリア様」


 その落ち着き払った声に、ざわめきがピタリと止まる。ヴィクトリアの美しい眉がひそめられた。

「なによ、その期に及んで負け惜しみ?」

「負け惜しみ?とんでもない」


 サイラスは爽やかに微笑み、書類の束を翻した。


「これまでの学園生活においていただいた高級魔道具、貴族街の限定品、そして数々の贈り物。すべて、正式な『贈与および取引に関する合意書』に基づいて処理させていただきました。あなたのご署名付きでね」

「……は?」

「おかげさまで、我がローレル商会の売上は去年の三倍を突破し、王都の貴族街における太いパイプを完璧に、築き上げることができました」


 サイラスは観衆に向かって、朗々と告げる。


「平民を弄ぶお遊びのつもりが、結果的に我が家に最高の資本と販路を提供してくださった。――いやあ、ヴィクトリア様。あなたほど気前が良くてチョロいパトロンは他にいませんでしたよ。本当に感謝します」

「なっ……何を……っ!?」


 ヴィクトリアは顔を青ざめさせ、顔を歪ませた。


「嘘よ!あなたを絶望させるためのおもちゃだったはずよ!なぜあなたがそんなに得をしているの!?」

「おもちゃ?」


 サイラスはあきれたように肩をすくめる。


「商売の世界じゃ、相手の悪意すらコストに換算して利益を出すのが基本教養なんでね。うちの店は今や大繁盛です。ごちそうさまでした、お嬢様」


 ステージの上で、かつての女王は完全に言葉を失い、平民に利用された無能なお騒がせ令嬢へと成り下がっていた。


 ――嘘だろ……?公爵令嬢が平民にハメられたのか?


 嘲笑の矛先がヴィクトリアへと切り替わっていく。群れの最後尾でその光景を見ていたレイノルドは、冷や汗を拭いながら小さく息を吐いた。


(あのとき、告発せずに距離を取って正解だったな……あんな怪物、敵に回したら家ごと沈められていたぞ)


 レイノルドは二度と関わるまいと、そっと身を翻す。


 一方、サイラスは混沌に包まれるステージの上で、深々と優雅な一礼をキメた。


「それでは学園祭の続きを楽しんでください。私は実家の新しい事業の契約書にサインをしてきますので」


 スッとヴィクトリアの前から離れ歩き出すサイラス


(裏の企みなどなかったな……。単なる馬鹿で助かった)


 一財産を築き上げ、商人の誇りと実利をガッポリと懐に収めたサイラス・ローレルは、青ざめて震えるヴィクトリアを背に、どこまでも晴れやかな足取りでステージを降りていくのだった。


その後


 学園祭の幕が下りて、五年の歳月が流れた。白亜の尖塔を誇る最高学府の勢力図は、あの日の喧騒を境に静まり返り、かつての絢爛さはすっかり色褪せていた。


 ヴィクトリアの名前を口にする者は、もう学園のどこにもいない。全校生徒の笑い者となった彼女のプライドは砕け散り、激昂のまま取り巻きを切り捨てた彼女から、貴族子息たちは蜘蛛の子を散らすように去っていった。


「――お前のような無能な娘に、これ以上家の名誉を汚させるわけにはいかん」


 父親の判断は冷徹だった。学園を追われたヴィクトリアは、社交界から切り離され、北方の荒れ果てた古い別邸へと送られた。かつて東屋で退屈を貪っていた銀糸の髪の少女は、いまや煤けた暖炉の前で、誰にも顧みられない孤独な日々を過ごしている。


「……サイラス……サイラス……!」


 夜ごと唇から漏れるのは、その名だけだった。怒りとも執念ともつかない熱量が、細い体をかろうじて繋ぎ止めている。


 一方、王都の中心街。実家から独立し、自らの手で立ち上げた『サイラス商会』の本店。真新しいデスクで、サイラスは分厚い決算書をめくっていた。革張りの椅子に深く体を預け、五年の歳を重ねたその姿に、学園の片隅で日和っていた頃の面影はない。洗練されたスーツの袖口、その指先には、かつてヴィクトリアから差し出された希少な魔導石のカフスボタンが静かに光っていた。


「社長、西地区の魔導鉱山との独占契約、先ほど先方の代表がサインを済ませました。これで中級保存魔導具の流通は、完全に我が社の手中です」


 低い声で告げたのは、サイラスの右腕となったレイノルドだった。実家の傾いた男爵家を支えきれず、サイラスの容赦ない利得計算に屈した男は、いまや完璧な側近として控えている。


「ご苦労様。で、北方の様子は?」


 サイラスは書類から目を離さず、唇の端だけで笑った。


「相変わらずです。別邸で呪詛を吐きながら暮らしているとか。一時は暗殺の噂もありましたが、グレンバーン家自体が我が社の融資と流通制限で首が回らなくなっており、動く資金も人脈も残っていません」

「それは残念だな」


 サイラスは肩をすくめる。


「彼女が貢いでくれた高級魔道具と貴族ルートが、いまの事業の基盤を作ってくれた。いわば我が商会の最大の出資者だ。あまりみじめな真似をされては、恩を仇で返すようで気が引けるがね」


 言葉とは裏腹に、その瞳には冷徹な商人の光が宿っていた。彼にとって彼女は、平民から成り上がるための、生涯で最も利回りの良かった優良投資案件にすぎなかったのだから。

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