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白衣と銃声

作者: 金柑乃実

【序章】

 なんのことはない、平凡な日常だった。

 その日、『わたし』は死んだ。トラックに轢かれて。事故死だった。

 次に目を覚ました時、彼女は『生まれた』

 彼女の名前は、リュシア。

 やがてその名を馳せることになる、リュシア・フォルネの誕生である。


「お姉ちゃん!」

 姉ミレイユに駆け寄る幼い子ども。

 成人女性として、ここではない世界で生きた記憶を持つ彼女も、姉妹と過ごす時は年相応の子どものようだった。

 姉の後をついて回り、姉と一緒に文字を学ぶ。

 アルメリア王国において、学校に通うことは義務ではなかった。文字が読めなくても最低限の生活ができる世界。

 それは、魔法のおかげだった。

 国民全員が大なり小なり魔力を持ち、自由に扱う。手紙がなくても魔力鉱石で電話のようなことができるし、難しい本を読む以外に文字が必要な場面がなかった。

 それでも、リュシアたち姉妹が教会に通っている理由。それは、両親の教えだった。

 リュシアたちの父、ジャン・フォルネは、常に勉強の必要性を伝える人だった。本人は家具職人で、文字を必要としない仕事。しかし、「必ずどこかで役に立つから」と。それが、父の口癖だった。

 やがて、妹アデルが産まれた。

 三姉妹は仲が良かった。近所でも評判の、仲のいい一家。

 そんな平凡な日常の中で、リュシアに転機が訪れる。


「きゃあああ!」

 それは、姉の悲鳴だった。

「ミレイユ!」

 母の声を聞いて、リュシアが部屋から顔を出した時。

 姉の手は、真っ赤になっていた。火傷だった。

「大丈夫、大丈夫よ」

 母がそう言う。その声は、優しく柔らかい。でも、姉の泣き声が、頭の中に響いた。

「リュシー、お姉ちゃんを診療所に連れていくから、アデルとお留守番しててね」

 リュシアが頷くのも見ないまま、母は姉を連れて出ていった。

「……アデル」

「んー?」

 まだ幼く、現状を理解していない妹に、リュシアは尋ねる。

「心配だよね?」

「あい!」

 元気な返事。

「だっこ、しようか」

「らっこ!」

 妹の了承を得て抱っこしたリュシアは、姉の後を追った。


 そして、初めてその現場を目にした。


 医者の手から放たれる優しい光。赤く腫れあがっていた姉の手が、白い手に戻っていく。やがて笑顔になる姉の姿。

 その光景に、リュシアは目を奪われていた。


「わたしも先生みたいになりたい!」

 その日から、リュシアは姉の後を追うのをやめた。診療所に通い、医者のそばから離れなかった。

 最初は子ども特有のものだと諦めていた両親も、あまりの熱心さに心配するようになった。

 やがて彼女は史上最年少で、首都アルマのサント・クレール高等学術院に合格した。


【本文】


 18歳。彼女は王城の大広間に立っていた。

「リュシー!」

 学術院時代からの友人リセが、手を振りながら近づいてくる。

「緊張するね」

「そう?」

 リセの言葉に、リュシアは首を傾げた。

「緊張なんてしてないよ。不安も、恐怖もない。だって、今までの頑張りが認められたんだもん!」

 リセはリュシアより4歳上。平均的な12歳で学術院に入学すれば、順当に卒業できる歳だった。

 10歳で入学し、その後も飛び級を繰り返したリュシアが異常なのだ。

「配属は決めた?」

 これがいつも通りのリュシアだと知っているリセは、やや呆れながらそう尋ねる。

「リュシーなら、王立病院も夢じゃないんじゃない?」

 医療を志す者にとって、憧れの勤務地である王立アルマ病院。限られた者しか働くことを許されない、絶対的な聖域。

「先生にも推薦されたし、招待もきてたけど、断ったよ」

「え?」

 リュシアの一番の理解者も、これには驚いた。

「じゃあどこに行くの?」

 その言葉に、リュシアは微笑んだ。

「トルヴァン基地!」


 アルメリア王国は、隣国グラウゼン帝国と戦争中だった。中でも激戦区とされるヴァルク地域最大の基地。それが、トルヴァン基地だった。

 戦争の最前線であり、最も天国に近い場所。そう言われていた。

 いくら高い志があったとしても、医者が最も必要な場所だとしても、卒業したばかりの人間が好んで行く場所ではない。それが、共通認識だった。


「本日からトルヴァン医療隊配属となりました、リュシア・フォルネです。よろしくお願いします!」

 元気よく頭を下げる姿に、パラパラと拍手が起こる。

「同じく本日から配属されました、リセ・トワルです。よろしくお願いします」

 学術院時代からの親友リセも、リュシアと同じ場所を希望した。

「フィーレン・ダリオです」

 2人の同期となったのは、20歳の男性。リュシアと同じく飛び級したおかげで、比較的早く卒業できた優秀な人物だ。

「3人とも、よく来てくれたね」

 医療隊の先頭に立っていたのは、穏やかそうな男性だった。

「隊長は全体会議に参加してるから、代わりに挨拶させてもらうよ。セリュス・マラン。この医療隊の副隊長だ」

 母性のような優しさがあふれる人だと、リュシアは感じた。見た目はしっかり男性なのに、その性格は優しそうで。とても戦場の最前線を支える人物だと思えない。

「今は膠着状態で休憩みたいなものだけど、戦闘が起こればここも安全だとは言えない。それを忘れず、最善を尽くして命を守ろう。それが、僕たちの仕事だ」

 しっかり心に響く言葉。それを受けて、リュシアは自然と背筋が伸びた。

「はいっ!」

 その声は、3人揃っていた。


 膠着状態という名の、戦闘が止む時間。この時間に物資補給はもちろん、上官による作戦会議や、必要であれば人員の補充が行われる。その隙間を狙って、リュシアたちも最前線に入った。

 卒業したばかりの人間は、治療を担当させてもらえることは少ない。まずは現場を覚えることが最優先。

「すいません、怪我しちゃって」

 膠着状態の間も、ぽつぽつと兵士が医療隊のテントを訪れる。先の戦闘で大怪我をした人たちが休んでいたりもする。だから、医療隊の仕事を覚えるのは充分だった。

「包帯はここ。縫合キットはここね。基本的に魔法で治療するけど、魔力は有限。だから、魔法を使わない治療もするのよ」

 教育係の先輩が丁寧に教えてくれる。そのすべてを聞き漏らすまいと、3人は真剣に耳を傾ける。

 魔力に限りがあることも、魔法が万能でないことも、学術院で習った。治療魔法の使い方も知っている。即戦力になることもできる実力もある。

「ここでは、上官の決定が絶対。命が左右されることだってあるからね。隊長は、わたしたちを無駄死にさせるような命令はしないから、安心して」

 こうした配属場所によるルールを覚える必要性は、リュシアも理解していた。

 でも、うずうずしていた。早く治療したい。その気持ちを抑えられなかった。


「お願いします!」

「そこに寝かせてください!」

 まさに戦場。そんな光景を目の当たりにしたのは、開戦の合図である砲弾の音が聞こえて間もなくのことだった。

 血だらけになった仲間を運んでくる兵士たち。うめき声と血の匂いが充満する中、縦横無尽に動き回る医者たち。

 よし。

 リュシアは一言、口の中で転がす。できることは少ない。でも、できることがある。

 役に立ちたい。この場所で、必要とされたい。そんな感情に、背中を押された。


「包帯持ってきて!」

「はい!」

 怒号に近い大声の指示。それさえもかき消していく、戦場の様々な音たち。銃声が近い。うめき声はすぐ隣で聞こえる。時折聞こえる地鳴りのような大きな音は、敵国が使う最新兵器のものだと知った。


 ピンと張りつめた緊張の糸は、夜中でも緩まない。患者は昼夜問わないのだから。

「……ふぅ」

 隣で、リセの呼吸が聞こえた。

「疲れた?」

 寝ている患者たちを起こさないように、リュシアは静かに声をかけた。

「まぁ……。疲れてない、とは言えないかな」

 弱音を吐いてはいけない。医者の弱音は、患者を不安にさせる。それでも、彼女たちはまだこの地に立って1ヶ月と経っていないのだ。

「リュシーは平気?」

「うん。慣れてるから」

 昼夜問わず、なんて日常だった。それは、リュシアの経験じゃない。かつて自分の魂が宿っていた体の持ち主。いわば前世の記憶だ。

 この世界よりも文明が発展していて、戦争なんてなくて。そんな世界でも、夜遅くまで働いていた。あの時はつらかったけれど、その経験が今活きていることを考えると、経験していてよかったと思ってしまう。

「ひどいね」

 血の匂いを感じなくなったのは、いつからだろう。嗅覚疲労という現象を、初めて肌で感じ取った。

「そう?」

 リュシアは地面の上に広がった血を見つめた。

 この地面の泥は、水で作られたものじゃない。兵士から流れた血によってつくられた泥は、血が乾くと石のように硬くなる。そんな場所が、いたるところに見られた。

「みず……っ」

 小さなうめき声が聞こえ、リュシアはハッと立ち上がる。水が入った器を持っていって、飲ませてあげる。

「あぁ……ありがとう」

「大丈夫ですよ。ゆっくり休んでくださいね」

 深い切り傷さえも、縫えば大丈夫と判断されれば魔法は使わない。だからこうして、痛みにうめく声が医療隊のテントに響く。

 耳を塞ぎたくなる。そんな気持ちも、わからないわけではない。

 それでも、その現実から目を背けないでいられたのは、必要とされる声から逃げたくなかったから。


 それから間もなく、リュシアたちも治療に参加することを認められた。


「この人をお願いします」

「はい!」

 上司の指示を受けて、治療する兵士が運ばれてくる。傷を見て、手をかざして、光をあてる。痛みに歪んだ顔から、徐々に力が抜けていくのが、はっきりと見える。

「もう大丈夫です」

「ありがとうございます」

 さっきまで重傷だった兵士が、その場で立ち上がり、また戦場へ戻っていく。

 そうして、帰ってこない。怪我をしていなければいいと願うことしかできない。

「お願いします!」

 またひとり、兵士がテントに入ってくる。彼は、左肩から血がぼとぼとと零れていた。腕が、なかった。

「寝かせてください」

 リュシアが駆け寄り、その場に横になるように指示をする。動かしている時間はない。この患者の命は、一刻を争う。

「フォルネ」

 上司の声がした。

「やれます」

 リュシアは答えた。

「この方は、救えます」

 上司の返答も待たず、リュシアは治療を開始した。

 いつも通り、傷口に手をかざし、魔法を発動させる。

 治らない。血が止まらない。そして、目の前がかすむ。

 光が弱まる。全身から力が抜ける。

 魔力切れだ。

 そう思った時には、もう遅かった。


「……?」

 目を覚ました時、見えたのは白いテントだった。

「起きたか」

 その声に、ハッと身体を起こす。体が軽かった。

「隊長」

 その顔は、いつも以上に厳しかった。

「患者さんは」

「助からなかった」

 その声は、あまりにも冷たくて。心臓をわしづかみにされた痛みに、思わず胸元に手をやる。

「君が倒れている間に、3人が亡くなった」

「……ぇ」

「本来、救えたかもしれない命だ」

 命の選別。それは、戦場でしか見られない現実だった。

 助けられない。そう判断されることも、少なくなかった。

 リュシアがいれば。医者がひとりでも多ければ。救える命は、増える。

「医者は倒れてはいけない。最後まで立っている気概がないなら、この場所にいる資格はない」

「……っ」

 それは、あまりにもつらい現実だった。

 隊長が出ていき、リュシアは両手を広げた。この手で救える命が限られていることを、痛感した。

「フォルネさん」

「……副隊長」

 その姿は、歪んでいた。

 そっと伸ばされた手が、リュシアの手を握る。その甲に、涙が零れ落ちた。

「助けたかったんです」

「うん、わかっているよ」

 優しく、穏やかな声。その声は、涙を助長する。

「助けたい。わたしは、誰も死なせたくない……!」

 心の底からの叫びを、ぐっと押し殺して。

「医者としては、間違っていないね」

 誰かを助けたいという気持ちは、間違いじゃない。それなら、何がいけなかったのか。

「魔力は有限だ。いくら君の魔力が多いといっても、限りがあることに違いはない。全て助けたいという気持ちのままでは、ここでは苦しいかもしれないね」

 救えない命があることを、副隊長は静かに伝える。

「どうする? 首都に帰ることもできるよ」

 医者には選択肢がある。絶対戦場にいなければいけない、という決まりはないのだ。

「帰りません」

 それでも、リュシアは首を振った。

「この地で救える命は、たくさんあるはずなんです」

「そうだね」

 逃げたくない。この現実から、目をそむけたくない。リュシアにできることを、最大限やってみたい。それが、リュシアの気持ちだった。

「それなら、君は選ばなければいけない。大切な人を見捨てる勇気を、持たなければいけないよ」

「……っ」

 それは、あまりにもつらい現実。

「はい」

 それでも、覚悟を決めた。


「その方はあちらに」

 今日もまた、テントの中で命の選別が行われる。残酷な現実を、リュシアはしっかりと見つめて。

「待ってください」

 とっさに止めに入った。

「フォルネさん」

「大丈夫です」

 もう繰り返さない。でも、できることがある。

 そっと手を伸ばし、傷に触れる。足がない。この患者は、助からない。

 それでも、痛みを取ることはできる。

「……ごめんなさい」

 小さな声が、銃声の中に消える。

 兵士の顔が緩んだ。

「ありがとう……」

 かすれた声が、耳に届いた。

 助けることもできないのに。血も止めず、ただ痛みを取り除いただけにすぎないのに。

 苦しかった。でも、この苦しみとともに生きていく。そう決めたのだ。


「医療隊に銃を配布する」

 それは、隊長から唐突に告げられた言葉だった。

「バカなこと言わないでください!」

 そう叫んだのは、医療隊の中でも精鋭の女性だった。

「わたしたちの手は、人を救うためにあるんです。命を奪うことなんてできません!」

「それでも!」

 その声を遮るように、隊長が声を荒げた。

「自分の身を守るためだ」

 医者は最後まで立っていなくてはいけない。それは、隊長からの言葉だった。

「医療隊を護衛してくれていた人員を前線に派遣することになった。自分の身を自分で守れるようにならなければいけない」

 隊長の瞳が、かすかに揺れた。隊員たちを我が子のように愛する彼が、彼らの命を守るために紡ぐ言葉たち。無視はできなかった。

「みんな、撃つか撃たないかは個人の判断に任せるよ。ただ、身を守るための手段として、銃を持ってほしいだけなんだ」

 隊長の言葉を補足するように、副隊長が告げる。

 やがて配られた銃は、ずっしりと重かった。


「……撃てないよ。撃つ練習なんて、してない」

 患者のそばで銃の持ち方すらわからず戸惑う隊員。

「撃つしかないだろ。患者を守るためだ」

 冷たい銃身を撫でながらつぶやいた言葉とは裏腹に、その隊員の目は悲しく歪んでいた。

 奪うか、救うか。その問いの答えは、決まっているものと思っていた。まさか、そこさえも選択を迫られるなんて。

 リュシアは決められなかった。

「迷ってる暇なんかないだろ」

 そう言ったのは、リュシアの同期、フィーレンだった。

「俺たちは役立たずだ。銃を撃つことで役に立てるというなら、考えてる暇なんてないはずだ」

 新人に選択の余地なんて残されていない。それが、彼の考えだった。

 その時だった。

 空をつんざく砲声に地面が揺れた。

 間違いなく、近くに砲弾が落ちた音だった。

 反射的に銃をかまえたのは、わずか数人だった。

「退避!」

 すかさず隊長の声が響く。

「患者さんが!」

「動ける者だけ避難させる!」

 あぁ、なんて残酷なんだろう。

 リュシアの視界が涙に歪む。奪うことなんてできない。でも、救うこともできない。

 それでも、動くしかない。

「諦めるな!」

 隊長の厳しく優しい声が、頭の芯にこびりついた。




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