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第6話:自分の居場所、見つけること

辺境の砦での生活は、王都のそれとは全く違っていた。朝は鳥のさえずりで目を覚まし、夜は満天の星空の下、焚き火のそばで温かい食事をとる。贅沢なドレスも、高価な装飾品も、ここにはない。だが、私の心は、王都にいた時よりもずっと満たされていた。


私は、薬草の知識を活かし、砦の兵士たちの手伝いをすることになった。怪我をした兵士の傷に、薬草をすり潰して塗ってやる。熱を出した兵士に、薬湯を煎じて飲ませてやる。慣れない作業に戸惑うこともあったが、兵士たちは、そんな私を笑うこともなく、辛抱強く教えてくれた。


「…ありがとう、レディ。これで、明日には訓練に参加できそうだ」


そう言って、一人の兵士が私に微笑んだ。その笑顔は、社交界で見た、仮面のような笑顔とは全く違っていた。心からの感謝が込められた、温かい笑顔だった。


(…ありがとう)


私は、胸の奥からこみ上げてくる熱い感情を、どうすることもできなかった。社交界では、私は誰にも感謝されることなどなかった。私の存在は、ただの飾り物でしかなかった。だが、ここでは違う。私の特技が、誰かの役に立っている。私の存在が、誰かにとって、価値のあるものになっている。その事実に、私は、初めて、自分の価値を認めてもらえた気がした。


私は、薬草の採集を終え、砦に戻る途中、小さな村に立ち寄った。村人たちは、私に親しげに話しかけてくれた。


「レディ、こんにちは。将軍から、貴女が薬草に詳しいと聞きました。もしよろしければ、この子の熱を診ていただけませんか?」


一人の母親が、私に、小さな男の子を抱きしめながら、そう言った。男の子の顔は赤く、辛そうに息をしていた。私は、すぐに男の子を診て、薬草を調合した。


「これを煎じて飲ませてあげてください。すぐに熱は下がるはずです」


私がそう言うと、母親は、涙を流しながら、私に感謝した。


「ありがとうございます、レディ! あなた様は、本当に、この村の光です」


その言葉に、私は、胸が熱くなった。王都では、誰も私を「光」と呼んでくれる者などいなかった。私は、ただの、日陰の存在だった。だが、この辺境では、私は、誰かにとっての「光」になれたのだ。


私は、砦に戻ると、レオンハルトが、私のことを待っていた。彼は、何も言わずに、ただ静かに、私を見つめていた。彼の視線に、私は少しだけ緊張した。だが、彼の瞳は、夜空の星のように、冷たく光っていた。


「…戻ったか」


彼の声は、低く、無骨だった。だが、その声には、私のことを心配する気持ちが込められているように聞こえた。


「はい。村の子の熱が、少し上がっていたので、薬草を調合してきました」


私がそう言うと、彼は、少しだけ頬を緩めて、こう言った。


「…そうか」


彼のその一言に、私は、安堵した。彼は、私をただの「追放された令嬢」としてではなく、一人の人間として、見てくれている。その事実が、私の心をじんわりと温かくしてくれる。


その夜、私は、レオンハルトと二人で、焚き火を囲んでいた。彼は、何も言わずに、火の番をしていた。その姿は、まるで、孤独を愛する狼のようだった。


「…レオンハルト様は、どうして、将軍になったのですか?」


私がそう尋ねると、彼は、少しだけ驚いたように、私を見た。そして、ゆっくりと口を開いた。


「…俺には、この辺境しか、帰る場所がなかった」


彼の言葉に、私は驚き、そして、少しだけ悲しくなった。社交界では、誰もが自分の地位や名声のために生きていた。しかし、彼の言葉には、そんな虚飾は一切ない。ただ、孤独な男の、生の感情が込められていた。


「…俺は、昔、魔物に家族を奪われた。だから、この辺境を、二度と、そんな悲劇が起こらない場所にしたい」


彼の言葉に、私は、彼の心の奥底にある、深い悲しみと、そして、この辺境を守るという、強い決意を感じた。彼は、ただの将軍ではない。彼は、この辺境を愛し、守るために、自分の命をかけているのだ。


私は、彼の隣にいることが、なぜか、とても安心できた。彼の存在は、まるで巨大な壁のようだった。私を守ってくれる、揺るぎない壁。この男は、私を助けてくれたのだ。私は、ようやく、安堵の息を吐くことができた。私の目からは、涙があふれ、止まらなかった。


「冷たい手なのに、不思議と温かい……」


彼の硬い手が、私の頬に触れた。彼は、私の涙を、不器用な指で拭った。その手のひらから伝わる熱が、私の心を溶かしていくようだった。私は、彼の顔を見上げた。彼の目は、私を真っ直ぐに見つめていた。その瞳には、憐れみも、嘲笑もなく、ただ、静かな光が宿っていた。


「……もう、大丈夫だ」


彼はそう言って、再び私を抱き上げた。今度は、私の身体を、より優しく、そして、大切に抱きしめるように。彼の身体から伝わる熱が、私を包み込む。私は、彼の胸に顔を埋めた。そこには、革の匂いと、彼の体温が混ざり合った、温かい匂いがした。


彼の不器用な優しさが、私の心を深く満たしていく。私は、この旅の終着点で、この男に出会えたことに、心から感謝していた。彼は、私をただの「追放された令嬢」としてではなく、一人の人間として、見てくれているようだった。


私は、自分の存在に価値がないことを、この数年間、嫌というほど思い知らされてきた。追放され、見放され、誰にも必要とされない。それが私の現実だった。だから、この将軍が私を助けた理由がわからなかった。口封じに殺すならまだわかる。だが、彼は私を砦まで運び、食事を与え、そして、何も言わずに隣にいてくれる。それは、どう考えても、価値のない人間に対する行動ではない。


(…もしかして、私のことを誰かと勘違いしてる?いや、そんなはずない。レオンハルト将軍は、辺境の将軍でしょ?社交界の人間とは接点がないはず……。だとしたら、ただ単に、困っている人間を見捨てられなかっただけ?…そんな馬鹿な。将軍なんて、もっと冷徹で、合理的な人間のはずだ。この人は、私の知っている将軍のイメージとは、どこか違う……。いや、私の知っている将軍のイメージが、勝手に作り上げたものなのか?)


私の頭の中は、疑問符でいっぱいだった。彼の行動の理由がわからず、私は戸惑う。彼は、私をただの人間として扱ってくれている。価値のない、追放された令嬢ではなく、ただの、一人の人間として。その事実が、私の心をじんわりと温かくしてくれる。彼のゴツゴツとした手の温かさ、そして、彼の無言の優しさ。


(怖い……。でも、温かい……。この矛盾は、一体なんなの……?)


私は、混乱し、思考がぐるぐると渦を巻く。彼は、魔物よりも恐ろしい存在に見えた。だが、その一方で、彼の隣にいると、私は安堵できた。恐怖と安堵。その二つの感情が、私の心の中でせめぎ合い、一つの結論へと向かい始める。


(…私、この人と、生きたい。こんな、価値のない私でも、この人の隣なら、生きていけるかもしれない……)


この旅の終着点で、私は、私自身の中に、新しい感情が芽生えているのを感じた。それは、恐怖でも、絶望でもなく、かすかな、だが確かな、希望の光だった。私は、彼に守られて生きたい。そして、いつか、彼に私の価値を見つけてほしい。そんな淡い期待が、私の心を震わせていた。この旅の目的は、もうこの辺境で生き延びることではない。レオンハルトという男の隣で、再び、私の人生を歩み始めることなのだと、私は、そう、強く、そう、感じていた。

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