第12話:幸せな結末
レオンハルトに愛を告げ、彼に抱きしめられた夜から、数週間が経った。私の心は、王都にいた頃の痛みや、リリエルとユージンへの復讐心から、完全に解放されていた。私は、もう、妹よりも幸せになる必要はない。私は、私として、レオンハルトと共に、幸せになりたい。それが、私の、本当の気持ちだった。
その日、砦は、朝から不思議な活気に包まれていた。兵士たちは、皆、いつもより身綺麗にし、どこかソワソワと落ち着きなく、互いに顔を見合わせては、楽しそうに笑っていた。彼らの視線は、皆、私に注がれていた。私は、その視線に、少しだけ戸惑った。レオンハルトは、いつものように、無表情で、何も言わなかった。だが、その瞳の奥には、いつもと違う、微かな光が宿っているように見えた。
やがて、砦の広場に、簡素だが、丁寧に飾り付けられた祭壇が、運び込まれた。白と緑の花々が、祭壇を彩っている。その光景を見て、私の心臓が、ドクン、と大きく跳ねた。
(これは……)
私は、何も言わずに、ただ、その祭壇を見つめていた。すると、レオンハルトが、私の手を取り、ゆっくりと、祭壇へと歩み始めた。彼のゴツゴツとした、温かい手が、私の手を、決して離そうとしない。私は、彼の手に引かれるまま、祭壇へと向かった。
祭壇の前に立った私の耳に、優しい歌声が聞こえてきた。それは、辺境の女性たちが歌う、素朴で、だが、心に染み渡るような祝福の歌だった。村の子供たちは、掌いっぱいの花びらを撒きながら、私の周りを無邪気に駆け回る。色とりどりの花びらが、風に乗って舞い上がり、私の髪やドレスに付着する。その花びらは、王都の造花とは全く違う、生の、そして、温かい匂いがした。老兵たちが、静かに涙を流しているのが見えた。彼らは、私に向かって、小さな声で「姫様……」と呟いた。その声は、私を、かつての高貴な身分に戻そうとするのではなく、この辺境の地で、ようやく居場所を見つけた私への、心からの祝福だった。王都の夜会では、誰もが私を嘲笑っていた。だが、今、私の周りには、心からの笑顔と、温かい涙があふれている。
レオンハルトは、私の隣に立ち、静かに、私を見つめていた。彼の瞳は、夜空の星のように、冷たく光っていた。だが、その瞳の奥には、私を深く愛する、温かい光が宿っているように見えた。彼は、私に、何も言わずに、ただ、微笑んだ。その微笑みは、かつて、彼が子供たちに見せた、あの優しい笑顔だった。
私は、彼の隣にいることが、今は何よりも幸せだった。この旅の終着点で、私は、私自身の居場所を見つけられた。それは、豪華な宮殿でも、華やかな夜会でもない。ただの、辺境の砦だった。だが、この場所には、私を心から受け入れてくれる人がいる。私の存在を、認めてくれる人がいる。
私は、彼の瞳を真っ直ぐに見つめ、こう言った。
「レオンハルト様、私は、この辺境で、あなたと一緒に生きていきたい。それが、私の、本当の気持ちです」
私の言葉に、レオンハルトは、何も言わずに、ただ、私の頭に、そっと手を置いた。そして、彼は、私を抱きしめた。彼の身体から伝わる熱が、私の心を温かく満たしてくれる。彼のゴツゴツとした、分厚い手が、私の背中に回される。私は、彼の胸に顔を埋め、彼の体温を感じた。そこには、革の匂いと、彼の体温が混ざり合った、温かい匂いがした。
私たちは、しばらくの間、そうして抱きしめ合っていた。彼の鼓動が、私の胸に、ゆっくりと、力強く響いてくる。それは、私を、この現実に戻してくれる、確かな音だった。私は、もう、王都の虚飾に惑わされることはない。私は、この男と、この辺境で、生きていく。
王都での夜会が、まるで幻だったかのように遠くに感じられた。あの夜、ユージン様とリリエルが私を嘲笑ったとき、周囲のざわめきは、嘲笑の音だった。彼らの笑い声は、私の心を深く傷つけ、私は、その場から逃げ出したかった。だが、今の私の周りには、温かい笑顔と、祝福の歌声がある。この笑い声は、私を傷つけるのではなく、私の心を温めてくれる。笑い声の意味が、こんなにも違うものだということを、私は初めて知った。王都では、豪華なドレスや、高価な装飾品が、私を完璧な令嬢に仕立ててくれた。だが、それらはすべて、私の心を覆い隠すための虚飾だった。この辺境では、私は、素朴なドレスを身につけ、飾り気のない私自身でいられる。そして、この場所で、私は、私自身を愛してくれる人に出会えたのだ。
レオンハルトの「守り抜く」という言葉が、私の胸の奥で、何度も何度も繰り返された。その言葉が、私の心を温かく満たしていく。私は、目を閉じ、王都で一人、冷たい寝台の上で泣き明かした、あの夜のことを思い出していた。あの時の私は、何もかもを失い、孤独に震えていた。だが、彼の鼓動が、私の胸に、ゆっくりと、力強く響いてくる。ドクン、ドクン、という鼓動は、あの孤独な記憶を、上書きしていくようだった。私は、もう一人ではない。この男が、私を、生涯、守り抜いてくれる。
私は、彼の胸に顔を埋め、この先、どんな未来が待っているのか、想像した。冬には、二人で雪をかき分け、春には、小さな畑に種を蒔くのだろうか。夏には、砦の裏にある川で、涼風に吹かれ、秋には、豊かな収穫を二人で分かち合うのだろうか。そんな、ありふれた日常が、私には、何よりも尊く、幸せに感じられた。季節の移ろいと共に、私たちの愛も、深く、強く、育っていくのだろう。
私は、顔を上げ、彼の瞳を真っ直ぐに見つめた。そして、私は、彼に、キスをした。彼の唇は、乾いていて、少しだけ冷たかった。だが、その唇からは、彼の温かい体温が伝わってくる。私は、彼の唇に、私の心の中にある、すべての愛と、感謝と、そして、希望を込めた。彼の不器用な優しさが、私の心を深く満たしていく。私は、この旅の終着点で、この男に出会えたことに、心から感謝していた。彼は、私をただの「追放された令嬢」としてではなく、一人の人間として、そして、彼にとって大切な「家族」として、見てくれているようだった。