第11話:二人の未来、それぞれの決意
リリエルとユージンが去ってから、砦は再び、穏やかな日々を取り戻した。彼らが王都の虚飾を持ち込んだことで、一時的にざわついていた空気は消え去り、私はようやく、心から安堵することができた。彼らが去っていく後ろ姿を見送りながら、私は、王都で一人、絶望の中で馬車に乗った、あの日の自分を思い出していた。
(あの日の私は、どうして、あんなにも惨めだったのだろう)
馬車の窓から見える景色は、ただひたすらに、私の心を抉るようだった。しわくちゃになったドレス、冷たい風、そして、もう二度と戻ることのない、華やかな王都の街並み。外を歩く人々は、馬車の中の私に気づくと、好奇の目で、そして、蔑みの目で、私を見ていた。ある男は、私のことを指差し、隣の女に何かを囁き、女は、面白そうに笑っていた。私は、窓に映る、泣き腫らした自分の顔を見て、吐き気がこみ上げてきた。その顔は、私が社交界で、完璧な令嬢を演じていた、あの顔とは全く違っていた。あの日の私は、何もかもを失った。家族に、婚約者に、そして、自分自身の価値を。夜会で、リリエルが私を嘲笑ったあの記憶が、フラッシュバックする。彼女の、完璧な笑顔。その笑顔の裏にある、冷たい嘲笑。私は、その笑顔を、一生忘れることはないだろう。
夜会から追放され、一人になった夜。私は、冷たい寝台の上で、声を殺して泣いた。その夜の空気は、凍えるように冷たかった。窓から差し込む月の光は、私を照らすのではなく、私の孤独を際立たせるようだった。王都にいた頃、私は、孤独だった。誰も、私を心から愛してはくれなかった。父は、私のことを、ただの令嬢としてしか見ていなかった。母は、私よりも、愛らしいリリエルに夢中だった。私は、ただ、彼らの期待に応えるために、完璧な令嬢を演じていた。だが、その努力は、すべて無駄だった。私は、誰にも必要とされなかった。
(あの日の私は、どこにも居場所がなかった。でも、今は違う……)
その日の夜、私は、レオンハルトに、私の心の中にある、本当の気持ちを、伝えることにした。
夕食後、私たちは、いつものように、砦の裏にある、小さな丘の上で焚き火を囲んでいた。夜空には、満点の星が輝いている。王都の街灯に遮られ、ほとんど見ることのできなかった星々が、ここでは手の届きそうなほどに煌めいている。私は、北斗七星の柄杓を探し、その隣で、小さな流れ星が、一瞬、光の尾を引いて消えるのを目にした。遠くの山並みが、黒い影となって夜空に溶け込み、森のざわめきが、風に乗って耳に届く。焚き火の火の粉が舞い上がり、まるで小さな光の粒のように、風に吹かれて消えていく。この場所には、温かさと、そして、生命の息吹があった。
私は、彼の隣に座り、彼の大きな手を取り、こう言った。
「レオンハルト様、私には、まだ、王都にいた時の感情が残っています。ユージン様を見返したい。リリエルよりも幸せになって、彼女を後悔させたい……そう思っていました」
私の言葉に、レオンハルトは、何も言わずに、ただ静かに、私の目を見つめていた。彼の瞳は、夜空の星のように、冷たく光っていた。だが、その瞳の奥には、私を深く愛する、温かい光が宿っているように見えた。私は、そんな自分が、少しだけ嫌だった。王都の過去に囚われている、醜い自分。だが、それもまた、私の一部なのだ。この辺境で、私は、完璧な令嬢を演じる必要はない。醜い感情も、すべて、私なのだ。
「私は、この辺境で、あなたに出会って、たくさんのことを学びました。私は、自分の存在が、誰かの役に立つこと。誰かに必要とされること。それは、王都では、決して知ることができなかったことでした」
私の声は、少しだけ震えていた。緊張で、喉が乾く。だが、私は、この気持ちを、彼に伝えなければならない。そう思った。
「私は、もう、妹よりも幸せになる必要はありません。私は、私として、幸せになりたいのです。この辺境で、あなたと一緒に生きていきたい。それが、私の、本当の気持ちです」
私の言葉に、レオンハルトは、何も言わずに、ただ静かに、私の目を見つめていた。彼の瞳は、夜空の星のように、冷たく光っていた。だが、その瞳の奥には、私を深く愛する、温かい光が宿っているように見えた。
そして、彼は、ゆっくりと、口を開いた。
「…お前は、この辺境では、貴重な存在だ」
彼は、そう言って、私の頭に、そっと手を置いた。彼の声は、低く、無骨だった。だが、その言葉は、私の心を深く満たしてくれた。
「…お前を、生涯、守り抜く」
彼は、そう言って、私を抱きしめた。彼の身体から伝わる熱が、私の心を温かく満たしてくれる。彼のゴツゴツとした、分厚い手が、私の背中に回される。私は、彼の胸に顔を埋め、彼の体温を感じた。そこには、革の匂いと、彼の体温が混ざり合った、温かい匂いがした。
彼の「守り抜く」という言葉が、私の心の中で、強く響いた。その瞬間、私は、王都で、一人で泣き明かした、あの夜のことを思い出した。冷たい寝台の上で、孤独に震えていた、あの夜。だが、その記憶は、彼の胸に埋められた今、彼の力強い鼓動によって、上書きされていくようだった。ドクン、ドクン、という彼の鼓動が、私の胸に、ゆっくりと、力強く響いてくる。それは、私を、この現実に戻してくれる、確かな音だった。私は、もう、王都の虚飾に惑わされることはない。私は、この男と、この辺境で、生きていく。
私たちは、しばらくの間、そうして抱きしめ合っていた。この先、どんな生活が待っているのだろうか。小さな畑を耕し、薬草を育て、兵士たちの笑い声を聞きながら、穏やかな日々を送るのだろうか。冬の寒い夜には、こうして、二人で焚き火にあたり、暖を取るのだろうか。そんな、ありふれた日常が、私には、何よりも尊く、幸せに感じられた。
私は、顔を上げ、彼の瞳を真っ直ぐに見つめた。そして、私は、彼に、キスをした。彼の唇は、乾いていて、少しだけ冷たかった。だが、その唇からは、彼の温かい体温が伝わってくる。私は、彼の唇に、私の心の中にある、すべての愛と、感謝と、そして、希望を込めた。
彼の不器用な優しさが、私の心を深く満たしていく。私は、この旅の終着点で、この男に出会えたことに、心から感謝していた。彼は、私をただの「追放された令嬢」としてではなく、一人の人間として、そして、彼にとって大切な「家族」として、見てくれているようだった。