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第1話:泡沫の夢、砕かれる

夜会を彩るシャンデリアの光は、もはや私には祝福の光ではなかった。千のダイヤモンドを砕いたようなその輝きは、あまりに眩しすぎて、網膜を焼くような痛みを伴った。その光の洪水に、華やかな香水の匂い、甘いワインの香り、そして興奮と不安の入り混じった人々の汗の匂いが混ざり合い、私の嗅覚を攻撃する。息を吸うたびに、この場に漂う歓喜と熱気が、肺の奥まで侵入してくるようだった。


完璧な笑顔を保つために口角が引きつる。それはまるで、顔に張り付いた仮面が剥がれ落ちるのを必死に堪えているような感覚だった。ドレスのコルセットは肋骨を締め付け、まるで骨が折れるのではないかというほどの圧迫感を私に与える。足元では、新品のヒールが容赦なくかかとを食い込み、痛みで指先が痺れてくる。もう、立っていられる自信がない。完璧な夜を演じるために積み重ねてきた、小さな小さな身体的違和感の連鎖。それが、今、一気に爆発しそうだった。


(…完璧な私。完璧な夜。何もかもが、このまま永遠に続くのだと信じていたのに…)


思い出すのは、夜会に臨む前のことだ。ドレス合わせの時、コルセットの締め付けに顔を歪ませた私に、ドレス師は言った。「ご辛抱を、お嬢様。完璧なドレスは、完璧な美しさを約束します」。鏡に映る、華奢な肩。化粧師は私の顔に魔法をかけるように筆を滑らせ、「これでユージン様を虜にできます」と囁いた。髪を梳かれる音。その一つ一つが、私を「完璧なリリアーナ」に変えていく、まるで儀式のようだった。この完璧な姿で挑めば、きっとユージンは私を愛してくれると信じていた。その期待は、今、脆くも崩れ去ろうとしていた。


ユージンが私の名を呼んだ時、楽団が奏でる優雅な旋律が、プツリ、と途切れた。その一瞬の無音の恐怖が、私の心を締め付けた。人々のざわめき、グラスが触れ合う音、すべてが遠い彼方に消え去り、ただ、ユージンの声だけがクリアに耳に届く。その一瞬の沈黙が、私には永遠に感じられた。私の鼓動がドクン、と大きく跳ね、心臓が喉に詰まって逆流するような錯覚に襲われる。呼吸が浅く、息苦しさに全身が震えた。


「リリアーナ、君は善良だ。だが、美しさでは妹に遠く及ばない。社交界の華は、リリエルこそがふさわしい」


その言葉を、私はただ、受け止めるしかなかった。ユージンの視線は、隣に立つ私の妹、リリエルに向けられている。リリエルは、私の銀色の髪とは違う、艶やかな黄金の髪を揺らし、ユージンに甘えるように微笑んだ。ユージンがリリエルの白い手を慈しむように取った。そして、彼女の耳元に何かを囁いた。その吐息が、甘く、熱く、私の心臓を抉るようだった。リリエルの指が、ユージンの腕をゆっくりとなぞる。その親密な仕草を見せつけられ、私の胃が裏返るような感覚に襲われた。


(なぜ? どうして? 今まで完璧にあなたの隣にいたのに。愛嬌がなくても、完璧な立ち居振る舞いを心がけてきたのに。私は完璧な婚約者だったはずなのに……。ああ、そうか。あなたは、ずっとリリエルのことが好きだったんだ。それとも、私が選ばれたのは、ただ穏やかで、波風を立てない性格だったから? あなたの評判を傷つけないための、仮初の飾り物だった……? それなら、今まで交わした言葉も、交わした視線も、全部嘘だったの? 舞踏会で初めて出会った時、あなたが私に優しくしてくれたのは、全部、この日のための伏線だったの? 私の人生は全部、妹の引き立て役だったのか……?)


私の思考は暴走し、過去の記憶の扉を次々と開けていく。

幼い頃、私がどんなに努力して本を読んでも、刺繍を完成させても、母は「リリエルは愛らしい笑顔で皆を幸せにするわ」と言った。社交界にデビューしてからもそうだった。私がどんなに難しい会話をこなしても、父は「リリエルは皆の心を掴む天才だ」と満足そうに微笑んだ。

(私は、最初から勝負の舞台にすら立っていなかったのだ。私は、ずっと、妹の引き立て役だった……?)

ユージンとリリエルは、そんな私を完全に無視し、親密な会話を続けている。そして、リリエルはわざと自分のドレスの裾を大きく広げ、まるで私を隠すようにした。

「お姉様には似合わないわ」

そう微笑みながら、彼女はユージンに囁く。私が、この夜会から、存在を消される瞬間だった。


「婚約破棄だ、リリアーナ。君には、辺境の領地に行ってもらう」


周囲のざわめきが、一気に高まる。最初はクスクスという小さな笑い声だった。それがザワザワというざわめきに変わり、やがて「ざまぁ見ろ」「妹に負けた」「あんな娘、所詮飾り物」という嘲笑の合唱となって、私に押し寄せた。

その中には、私を憐れむような視線や、同情の溜息もあった。だが、それがまた、私の心を深く傷つけた。「哀れむ目も、また侮辱」。私はその時、そう感じた。彼らは私を対等な存在として見ていない。ただ、不幸な出来事に巻き込まれた可哀想な人間として見ているだけだ。


声、声、声。その一つ一つが、針のように鋭く、私の心臓を突き刺した。それはもはや、現実の音ではなく、私の頭の中で鳴り響く耳鳴りに変わっていく。やがて、その音が壁となって私に押し寄せ、息をするのも困難になった。


(なぜ私はここにいる?なぜこんな目に遭わなければならない? 最初から仕組まれていたのか? この完璧な夜会は、私を貶めるための舞台だったのか? ユージンも、リリエルも、招待客も、皆グルだったのか……? もう、私の人生に意味なんてないんじゃないか? 私は、生きている価値があるのか……?)


私の思考は、問いの連鎖を辿り、絶望の深淵へと落下していく。私はその場から逃げ出したいのに、ドレスの重みが、鉛の塊のように足に絡みつき、動くことを許さない。さらに、誰かの靴が私のドレスの裾を踏み、脱げかけた靴が私の足枷となった。社交界そのものが、私を閉じ込める牢獄のように感じられた。


視界の端で鏡に映る自分の姿が見えた。厚化粧が汗で溶け、その姿はまるで、舞台で惨めに失敗した道化師のようだった。「これが、本当の私……?」

ユージンとリリエルは、そんな私を一瞥することもなく、優雅に談笑している。

完璧な夜は、泡沫のように砕け散った。


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