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第二話です。



[車回して来るので少しだけここで待ってて下さいね。]

『はい。』


ようやく今日の仕事が終わりマネージャーさんが車で自宅まで送ってくれる。そのため駐車場に停めてあった車を入り口まで来てくれるのだという。


マネージャーが地下の駐車場へと向かって行ったあと、近くの壁に持たれて少しだけ溜息をついた。


『言うつもりなかったのに…なんで言っちゃったんだろ、、』


あのまま正体も明かさず歌手umiとして関われば良かった。

だけども、彼を見ると辛かったあの日々が思い出されて怒りと哀しみが溢れてくるのだ。


芸能人はみんな嫌い。

そう思うようになったきっかけも彼のせいだから。


私は横の繋がりなんてものは信用しない。

この業界が一筋縄ではいかないということも知っている。

私の知人でさえこの世界では生きることが出来なかったのだ。


どのみち長続きはしないだろうから、傷つく前に吐き出せばいいと思ってしまったのだろうか。


[お待たせしました。]

『ありがとうございます。』


車へ乗り込んで行くところで入り口の自動ドアが開いた。

帽子にマスクを付けて顔が見えないようにしている小柄な男性が出て来た。

こちらをじっと見て来ているのがわかる。


『急いでもらってもいいですか?』

[用事ありましたか?]

『……スーパーが特売日だったのを思い出して、、』


車のドアを閉めてすぐに発進してもらった。

どんどん遠ざかっていくスタジオ。

まだそこには私たちの方へ顔を向けている彼が立っていた。


イヤホンを取り出した私は適当に音楽をかけて目を瞑った。



次に目を覚ました時には肩を揺さぶられるような感覚がした時だった。


[着きましたよ。]

『あ……すみません。』

[夕ご飯、お惣菜屋さんでテイクアウトして来たものを買ったので自宅でゆっくりと食べてください。]

『…ありがとうございます、、』

[明日は学校もお休みでしたよね?慣れないことが続いて大変でしたでしょうからゆっくりして、息抜きが必要なら好きなことをしてください。これからますます大変になりますから…]


そう言って私に夕ご飯を持たせてくれたマネージャーはペコリと頭を下げてから車に戻って行った。


学生向けの賃貸マンションに部屋を借りている私はエントランスに入ってエレベーターを待っていた。

携帯が鳴った。


送り主を見れば"空門千秋"と表示されている。

いつものように気を遣って連絡をくれたのだろう。


でも今は、この彼の名前を見ただけでもあの人を思い出してしまいそうで出る気になれなかった。

コール音が続く中エレベーターに乗り込んでそのままやり過ごした。


部屋に着いた時も、もう一度携帯が鳴ったけどそれも居留守を使って私は重だるくなって来た身体を引きずるように歩きながらベッドに倒れ込んだ。

冬の匂いがし出してきた部屋は寒くて暗い。

明かりもつけないまま私はそっと瞳を閉じた。


.

.

.


誰もなりたくてこんな苦労をしていたわけじゃない。

苦労を苦労だと言ってしまえば母親が可哀想で、私はいつも気丈に振る舞っていた。

そんな振る舞い方をするようになったのはいつからだっただろう。


覚えている限りだと小学校入学したぐらいだったように思える。


理由は簡単だった。

一年生の初めての授業参観日、保護者は我が子がどんな風に過ごしているのかこぞって観にくる重大イベントでもある。

その日は私の教室の後ろ側にはたくさんの保護者達がいた。

みんな自分の親がいることに安心したり恥ずかしがったりと色んな反応をしていたけど、私はそのどちらでもなくて『今日も仕事か…』だった。


こんなこと思ってはいけないのかもしれないと、寂しい感情を見ないふりしていたのだ。


物心が着いた時には、母親は私を連れて父親から逃げるようにして家出した。ギャンブルに酒癖が悪かった人だったと母はよく言っていた。夜な夜な母親が堪えるようにしながら泣き、父親から頬を打たれる姿を見たことがあった。

家族なはずなのにどうして父親は母親を悲しませるのか、当時の私には理解できなくてただ悲しくて怖かった。

それは母も同じで私以上にその恐怖と孤独に戦っていたのだ。

だから、父がいつものようにギャンブルへと街へ出かけたその隙に必要最低限の荷物を持って母はあの家から私を抱き抱えて逃げた。


それからというもの、母にはすでに両親が他界して頼る術もなかったためシングルマザーとして私を養うために朝から晩まで働いていた。おかげでご飯が食べれない日は無かった。

ただ、母と過ごせる時間が格段に減ったことを除けば不自由なことは無かったと思う。


そう、それが理由で小学校一年生の初めての授業参観日から私の母親は姿を表すことはなく、私はクラスで唯一親が来てくれない生徒として認識された。

初めはみんな不思議に思うだけで可哀想だと言ってくれたけど、学年が大きくなるに連れてだんだんと私の家の事情などを察してくるのだろう、そこから勝手な憶測が立って次第に友達が遠ざかっていった。


中学生になり地元の学校へ通っていたが、そこでも友達がいない状況は変わらず、より難しい状況になっていた。

制服も体操服も全てお下がりのものを着ていたのだ。

ちょうど、家の近所に住んでいた三つ上の女の子が高校進学を機に引っ越しをしたのだ。その際に私に中学で使うものを譲ってくれて私はそれを使うことになった。


ただ、一つ難解だったのはどういうわけか私は背が伸びなかった。

周りは成長期へと入ってどんどんと背が高くなるに対して、私は背が伸びる代わりに体重が太ってしまうのだ。

忙しい母に代わって家事は小学生の時からしていたから、もちろん自炊もしていたのだけど身長が伸びないことを気にして食べる量を増やしたりしていたのだ。

でもそれのせいで体重が増えていくばかり。

おまけに、母親の仕事は益々忙しくなっていく。


『……今日もご飯食べずに仕事行っちゃたんだ、、』


昨夜、母の分も作っておいたおかずはラップが解かれることなくそのまま冷蔵庫の中に入ったままだった。

もったい無いから私はそれをお弁当に詰めて、さらに余ったものは朝ごはんとして食べて学校へと向かう。

運動部はお金がかかるから比較的、お金のかかりにくい美術部に所属していたけど結局、部員と馴染めることも無かったから幽霊部員として所属していただけですぐに家に帰っては母のためにご飯を用意して、洗濯物を回して干して。


それの繰り返しだった。

こんなに忙しく家事をしているのに、私の身体は太るばかりで同級生達からは揶揄われてしまう。

みんな可愛い服装をしているけど、私は小学校の時から着ている服を着回すだけ。でもそれも今じゃ小さくて、ほとんどを学校のジャージを着て過ごしていた。


今になって思えば、母なりに高校進学がしやすいように学費を貯めてくれていたのだと分かる。

だけど、この頃の私は独りぼっちなのが辛くて家に帰ってもいない母のことが嫌で、何も私のことを知っていない母のことを勝手に恨んでいた。

私のことを知るためのツールとして日記を手渡されていたけどそんなもの読んでる痕跡も一週間ぐらい無いのは知っていたし。

書く意味も無いと思えてきていた私はいつしかその日記を手に取る日が無くなってしまった。


学校へ行けばヒソヒソと私の陰口を叩く同級生たち。

軽蔑するような視線を向けてくるのが嫌で、高校は地元から離れたところを選んで受験した。


その頃になれば少しだけ母親も仕事が落ち着いて、高校で使うものは全て新しいものを買ってくれた。

だけど背は伸びず、中学生の頃よりも横幅が大きい制服を着て登校する私はすぐに標的になった。

一年生の頃は教室に居ても一人で本を読んで過ごせばどうも無かった。


私の悪夢が始まったのは二年生になった時だった。


「俺のクラスになんで豚が居るんだよ。ここは豚舎じゃねーぞ。」


そう吐き捨てて来たのは、綺麗な顔立ちをした男子生徒だった。

名は柴崎陸冬。髪を染めて少しヤンチャな見た目をしていた彼は学校の中で一番有名だった。

アイドル事務所に通っている練習生として有名だったのだ。

小6の時にスカウトされてからずっと事務所に通っているらしい。

グループにも入っているらしく、そのグループがデビュー前なのにも関わらず人気なのだとか。

だから学校内でも取り巻きが多くて常に中心にいた。


そんな彼は何故か私を見るなり暴言を吐き捨てては周りの生徒にもそれを共感させていた。


「お前は今日からハムな。ハムスターみたいに小せぇくせに豚だからポークハムと掛けて、お前はハムだ。」


それからずっと何かと私を罵り、時には躓かせたり、靴箱にはハムスターの餌まで入れられていた。


「ここだけ家畜の匂いする。」


「クラスの打ち上げは人間だけ参加な。」


辛いとか悲しいとかよりも、いつまでこの地獄が続くのか。

それしか考えられなかった。

誰にも相談することなんてできないから、息を殺して毎日過ごしていた。


自分が悪いのかもしれない。

母親に甘えて、勝手に恨んだりなんかしたからその罰が今なのかもしれない。そう思うことで、罪滅ぼしなんだと言い聞かせて学校に通っていた。


じゃ無いとあんなに身を粉にして働いている母を裏切ってしまうと思うから…


『もう……辛いよ、、』


でも私も人間だ。いつまでもその強がりが続くはずもない。


どうにかこの苦しみから逃れたい。

誰かにわかって欲しい。

自分は悪くないのだと言ってもらいたかった。


そんな時、母から託されていた日記を思い出した。

それを机の上に広げると、今の私の気持ちをありのままに書き綴った。怒りも悲しみも、辛さも全てそこへ吐き出した。


幾分かスッキリした頃、耳にふとギターの音が入って来た。

近所にギターを持っている大学生がいる。

その人がたまに部屋でアコースティックギターを弾いて練習しているのだ。


その瞬間、私は何かを閃いた。

進学用に貯めていたバイト代から初めて数万円を崩して、私は中古のギターを買った。



ーーそれがumiの始まりだった。



その日から私は今まで、ずっと怒りと共に生きている。

それが原動力となって歌手として活動できているのだ。

少しでも私のような境遇にいる子達に届いて欲しくて。


一人じゃないよ。

そう言ってあげたくて。


『絶対ーー』


:


マネージャーである朝川の携帯に連絡が入った。

仕事の電話かと思い慌てて通話ボタンを押せば、柔らかな男性の声がした。


「"お疲れ様です。空門です。"」

[お疲れ様です。どうかされましたか?]

「"あの…あの子はもう自宅に着いてますか?"」

[ええ。先ほど家まで送りましたよ。]

「"そうですか。"」

[…あの千秋くん。もしかしたらなのかもしれないのですが、帰宅あたりからumiさんの様子が少し違うくて…珍しく車の中で眠ってしまい、夕飯をテイクアウトする余裕があるぐらいに起きなかったんです。もし、時間があれば話を聞いてあげてくれませんか?]

「"そのことをお伺いしたくて電話したんです。さっき僕も気になってあの子に電話をかけたんですけど、2回とも繋がらなくて。やっぱり何かあったんですね…"」

[おそらくなのですがーー]


今日の出来事を彼に話したのだ。

聞き終えた彼からは長いため息が聞こえていた。

マネージャーとして同行していた自分だったが、彼女のメンタルケアができなかったことを悔いてしまっていた。

辛うじてできたのが夕飯を差し入れしてやることだったのだ。


「"大丈夫だと思いますよ。あの子はまた今日のことを歌詞にして乗り越えられるはずですから。"」


彼はそう言い切って通話を終えた。

そんな風に確信できる彼のことがすごいなと歳上の自分が感心させられてしまった。


:


朝からずっと一人で曲をかけてレッスン室でダンスをしているのはcaratのセンターであるリクだった。

ただ、どういうわけかいつもよりもキレが無いというか、振り付けをよく間違えている。


別の仕事を終えた他のメンバーは通り過ぎ様に彼の様子を見たが、話しかけにくい雰囲気もあって結局そのまま。

打ち合わせを終わらせて来たリーダーは歌のレッスンをしている他のメンバーにリクの様子を聞きにきた。


[ずっと2階のダンスレッスン室にいるけど?]

[いるけど?じゃなくて、オーバーワークだろ!なんで誰も声をかけに行かないんだ!]


慌てて2階へと降りて行ったリーダーは中の様子を見てみると、大の字になって彼が床に倒れ込んでいた。


[おい、大丈夫か!?]

「んぁ……あぁ…大丈夫だ。」


起き上がる気配は無く、床は彼の汗で濡れているほどだ。


[とりあえず水分摂らないと…]


ドリンクを手渡すと少しだけ身体を起こしてのんびりと飲んでいる。再び床に転んだ彼はぼんやりと天井を見ていた。


[またアイツらと喧嘩したのか…?]

「いいや……」

[ただでさえ、お前は問題児なのにこれ以上グループに亀裂が入るようなことだけは止めてくれよ、、]

「…リーダー……オレもしかしたらグループにめっちゃ迷惑かけるかもしれねぇ、、」

[おいおい冗談だろ、、?]

「……既に実行後なんだよな、、」

[はぁ…?]


譫言のようにぽつぽつと話す彼は普段のような気迫は全く無く遠いところを見ている。

後悔とかよりは、どうしてそんなことをしていたのか過去の自分を客観的に分析しているようなそんな感じ。


[説明。]

「……ちょっとまだ混乱しててさ、、」

[重大案件だったら遅くなるほど悪くなるのはお前の方だぞ。]

「…確定で言えるのはオレは今のキャラじゃ居られなくなる。」

[キャラ変するってことか?本性出せばお前のファンは幻滅するぞ。]

「だから困ってる……」

[……あー…もう一体何が言いたいんだよ?]


問いかけるが横一文字に唇を引き結んでいる。

溜息を吐いたリーダーはレッスン室の扉まで歩いて行った。

鍵を閉めてくるとまた彼の隣に座った。

今度は話すまで退かないと意思を示した。


「オレさ、高校時代にクラスメイトを虐めてたことがあったんだよ。」

[……驚くことは無いかな。]

「でさ、その虐めていた生徒がまさかのオレが上手いなと思ってた歌手として最近出て来たんだよな。」

[……それってさ、、]

「……推しから嫌われてるどころかリークされたらオレこのグループに居れないかもしんねぇ、、」


リーダーから重い溜息が聞こえて来た。

そりゃそうだろうな。


元々デビュー前からトラブルがあったグループだ。

それは公にはなっていないが、練習生時代から自分たちを応援してくれていたファン達は勘が鋭く案外真相を当てている者もいたほどだ。事務所の力で箝口令を敷いているから今がある。


[お前さ、自分の日頃の行動をちゃんと見直した方がいいぞ。

マ・ジ・で!]

「でもさ!その当時と今の姿が全然違うんだよ!本気で!」

[この業界だったらそんなことはよくあるだろ。]

「成形とかそんなレベルじゃねーって!姿形がもう別人なんだよ!」

[……だったらさ、それもしかしたら本人じゃ無いのかもしれないぞ?その子の友達で、事情を知っていたのがumiだったのだとしたら…の方がまだ納得できるかもしれないけど…どうなんだろうな、、]

「………」

[とりあえずちゃんと正体は把握した方がいい。]

「わかってる…」


横に寝返りをうった彼はリーダーに背を向けている。

元々、男性にしては小さい肩が今はさらに小さくて頼りなさげだ。


[ひとつだけ言っておくぞ。もし仮に、その子が○春にでもリークして事実確認のミーティングが開かれた場合、俺はお前のことは見捨てるからな。これ以上は庇い切れないぞ。リーダーだからお前の肩を持ってやってるだけで、人間としては関わりたくは無いんだからな。]

「この件はオレ一人で解決するから、、」


ようやく立ち上がったリーダーはレッスン室から出て行った。


その場に残ったままの彼は壁一面に張られた鏡に映る自分の顔を見た。昨夜一睡もできていないせいで目の下のクマが酷い。

肌もくすんでいるし、とてもじゃないけどスッピンでは外は出歩けない。


「…人気アイドルがこのザマとはな、、」


自分の蒔いた種は今のこの地位を築き上げた自分でさえ刈り取ることは難しいのかもしれない。

地位は手に入れてもその座はいつも危ういのがこの業界だ。

不祥事があればすぐに代えが用意される。


普段のプレッシャーよりも今は、この案件の方が重くて、良し悪しが少しだけ分かるようになった今の自分だからこそ犯した過ちが重いことが分かる。


分かるからこそ……



………………………………………………………………………………



[疲れているネ?]

『え…?』

[さっきもそこ拭いていたヨ。]

『あ、すみませんっ!』

[おいで。こっち座りナ。]


そう優しく声をかけてくれたのは私のバイト先である中華料理店の店主の奥さんだった。


夫婦で経営しているこの店は、二人とも中国から日本へ移り住んで早20年以上経っている。

大学近くに構えているこの店は平日の方が利用客が多く、主に学生がメイン客としては占めているのだがこの付近にある会社員の人達もお昼時はたくさん来るほどに賑わう人気な中華料理店だった。

人当たりがいい夫婦なため、バイト探しに明け暮れていた私にたまたま声をかけてくれたのがキッカケ。


[忙しかっタ?]

『今週だけで2件ほどメディアのお仕事がありました。』

[そうカ。授業休んだネ?]

『はい……代わりにレポート提出しないといけなかったので徹夜していたことが多くて、、』

[別嬪さんがそんなことしたらダメ。ご飯食べル?]

『食欲が無くて…』

[それはダメ。忙しい時こそしっかり食べル!待ってテ。]


奥さんが厨房に立つ店主へ中国語で何やら叫ぶと、店主からは

[ナツちゃん大丈夫カ!?天津炒飯でいいネ?]と返事が返ってきた。断れば怒られるため私は勧められるがままに用意してくれたご飯を食べた。


[で、何があっタ?悩み聞くヨ。]

『…人付き合いが難しいなと。特に芸能界はそれが一番大事なのに私は一人の先輩に失礼な態度をとってしまったんです、、』

[ナツミちゃんガ!?ソイツが悪いことしてきタ?]

『……昔に、、言うつもりは無かったんですけど思い出してしまうとつい……気づいた時には遅かったです。』

[悪いことしてきたなラ、ソイツはナツミちゃんに言われて当然。

因果応報、自分を責めなくていいんだヨ。]


私を労わるかのように優しく背中を摩ってくれた奥さんは、私が話せる範囲のところだけを察して話を聞いてくれた。


大学に進学してから実の母親よりもこの奥さんの方が面倒を見てくれていることが多い。私の様子をいつも見てくれていて、今のようによく相談事を聞いてくれる。

第二の母親のように慕っている私にとってこの奥さんはすごく頼りになる人だった。


[悪いヤツはずっと悪いままだヨ。また悪いことをしてきたのなら今度は大人のやり方で相手に警告したらイイ。そのためにマネージャーがいて事務所がアル。]

『…そうですよね。スッキリしました。ありがとうございます。』

[そか。元気になったなら胡麻団子食べル?]

『はい!』


揚げたての胡麻団子を貰って数個ほど食べていたところで、店の外に出ていた奥さんが元気な声で私の名前を呼んできた。


[ナツミちゃん!イケメンくん来たヨ!]


その言葉と共に奥さんの後ろから現れたのは私がよく知る人物だった。私に気づいた彼が片手をあげて笑顔を見せてきた。

どうやら今日はメガネを掛けていないらしい…


[ご飯食べタ?まだなら、ナツミちゃんと一緒に食べル?]

「あはは笑 実はお腹空いていて。この子と同じメニューもらってもいいですか?」

[勿論!]


ほどなくして、奥さんとその主は中国語で少しだけ会話した後私の横に座ってきた。


「你有什么担心吗?(悩み事あったって?)」

『已经解决了。(もう解決したよ)っていうか一々中国語で話さなくてもいいじゃん。』

「発音が苦手だから奥さんに判定してもらってるんだよ笑

你觉得怎么样?(今のはどうでした?)」

[完璧!]


イケメンに弱い奥さんはいつも千秋のことを甘やかす。

私的には今の発音は少し違うようにも思えたのだけど…


『この辺に用事があったの?』

「君のことが心配で様子を見にきたんだよ。電話してたのに数日経っても折り返しくれなかったし。LINEも返事くれなかったから。」


この数日間、私は彼とは会わないように過ごしていたのだ。

彼の姿が見えれば道を変えたりして、うまくやり過ごしていたのにやはりバイト先が知られていると実力行使されるらしい。


「食欲も少ないところを見るにまだ解決はして無さそうだけど。」

『そういう時ぐらいあるよ。ラストオーダー過ぎてるから早く食べて帰って。』

「君と一緒に帰れるように急いで食べるよ。」

『私はまだやる事残ってるから。』

[もうナイ。イケメンくんと帰るんだヨ。]


マジかよ……奥さんは私の味方じゃなかったの、、

そういう視線を送ってみたけど何を勘違いされたのか不恰好なウインクだけ返された。


そんな私の視界の中に入ろうとしてくる御尊顔は、いつの間にか皿の中の天津炒飯を平らげて私の分として用意してくれていた胡麻団子の一つを頬張っている。


『ちょっと…!』

「これ…すごく美味しいねっ。テイクアウトしたいぐらいだなぁ…今度買って帰ろう。」

[まだあるヨ!すぐ用意するネ!]

「わ〜ホントですか〜!ありがとうございます!」

『そこは断ろうよ、、』


そんなツッコミも虚しく、上機嫌で胡麻団子を包み終えた奥さんは彼に渡していた。


つくづく自分の顔の使い方を分かっている……


『オーナー後片付けおかませしてすみません…』

[気にしなイ。今は自分のことが大事だヨ。]


ぽんぽんと肩を励ますように叩かれて、私の分の胡麻団子と総菜類を持たせてくれた。

店主二人に見送られて店を出た二人。


『え、バイクで来たの?』

「ちょっと寄ってたところがあったからね。後ろ乗せてあげるよ。」

『いいよ。どうせすぐ近くだもん。』

「歩いて20分のどこがすぐ近くなんだよ笑」

『地元じゃそれが平均だけど。』


大学進学を機に上京してきた彼女は、どうも地元は少し不便なところだったらしい。

なるべく節約するために歩いたりすることが多い。

本来なら駅二つ分ぐらいの距離はあるのに、いつも徒歩で来ているとか。


「こんな遅い時間に女の子一人で夜道歩かせるのは僕が嫌かなぁ」


手袋を嵌めながらバイクに跨る彼は少しだけ私を見上げるようにして見つめてくる。


『後ろに乗ると掴むところが無いからイヤなんだよね。』


そう言い返した私に対してガクッと音が出そうなほどリアクションを返してきた彼。

少し呆れ笑いを浮かべている。


「っ……普通そこはキュンとくるくない…?笑 君の美形に対する抗体すごいよね。」

『美形って認めてるんだ。』

「日本に来てからだとそう思わざるを得なくなったかな…笑」

『ということだから歩いて帰るね。考えたいこともあるから。』


そのまますんなりと…となるはずもなく、、


「はーい、これで君は僕にそのヘルメットを返さないといけなくなってしまったよ〜ついでにその胡麻団子も((」

『わかった。乗るから、胡麻団子は取らないで!』


必死に胡麻団子を死守する彼女。

作戦通りに成功した彼はしたり顔を見せてきた。


「こら〜、しっかり掴まって。」


私の腕を引っ張る彼は密着するように促してきた。

この姿勢になるのに抵抗のある私は渋々それに従う……


それにしても、この男には隙がない。

端正な顔立ちに、それと比例するように恵まれた体格。

しなやかに伸びた手足には鍛えられた筋肉まで備わっている。


おまけに…良い匂いするし、、

安心感ある広い背中に顔をくっつけた。


:


押し問答の末に彼女を乗せて、バイクを運転すること数分。

背中に持たれるような感覚を感じて信号待ちの時に後ろを振り返れば、彼女がうたた寝をしていた。


「なっちゃん、寝てると危ないよ。あと少しだから頑張って。」

『うん……』


次の交差点を左に曲がれば彼女の家に着く。

飛ばしたいところだけどうたた寝している彼女を乗せているとそっちの方が危ない気もする。

車も少ないから法定速度できっちり運転を務めた。


「着いたよ。」

『……ありがと、、』


のろのろと降りていく彼女。

ヘルメットを返して来たところで、手袋を外した片手で彼女の頬に触れた。


「熱ある…」

『寝たら大丈夫だから。送ってくれてありがと……』


.

.

.


身体がダル重くて、頭痛いし喉も痛い。

久しぶりに風邪を引いたらしい。

最悪だなと思いながらも気力だけで起き上がったところで、違和感を覚えた。


『昨日と同じ服のまま……』


風呂も入らずにそのまま寝落ち…?

熱が出ていたとしたらそれは理解できるけど、そう思えば昨夜は学生マンションに着いたあたりから記憶が無い。


そう思えば昨日はバイト先に千秋が来て一緒に帰ったんだっけ?


じゃあ……さっきからベーコンが焼けるような芳ばしい匂いがするのはなぜだ?


「う〜んっ!いい感じっ…と。」


?????え、、?


今聞こえてはいけない声が聞こえた気がするんだけど。

なんて思っているうちにどんどん芳ばしい匂いが広がってお腹が空いて来た。同時にパンも焼けたような音までするし…


「そろそろ起きるかな、、」


この部屋の中で唯一仕切りのある私の寝室。

その扉を開けられた。


「起きてた?体の調子はどう?」

『……不法侵入…?』

「それはナイ笑」


そう言ってベッドの縁に座って来た彼は大きな手を額に伸ばして来た。「まだちょっと熱いか…」なんて呟きながら熱測りを渡してくる。


測り終えるとやはり熱は出ているまま。


「喉渇いてる?」

『…うん、、』

「ご飯食べれそう?」

『ちょっとだけなら…』

「大丈夫。君が好きなものを用意してるから。」


手を差し出された。

有り難くそれを借りると私を支えるようにして隣を歩いてくれる。

ご丁寧に食卓のイスまで引いてくれた。


皿の上には目玉焼きとベーコンとチーズとトーストしたバケット2切れが乗っていた。運ばれて来た飲み物はオレンジジュースと水の入ったグラスを其々用意してくれていた。


「食べれるものだけでもいいから。あ、ヨーグルト出すの忘れてた。」

『ごめんね…』

「全然。」


目の前に座る彼も朝食としてトーストしていないバケットにカットチーズを乗せて齧っている。

彼の朝食は決まってこのスタイルらしい。

海外生活の方が長かったから作る料理も洋食が多い。


『…私の分のベーコンあげるよ。』

「良いって。僕は自分のルーティンが崩れるのはあんまり好きじゃないんだ。」

『………既にここにいる時点で崩れてる、、』


どう見たって彼の服装は昨夜のままだ。

普段なら無い寝癖も後ろの方にちょっと出来ているし。


「それは緊急事態だったから笑 高熱出している君を放って帰るなんて出来ないよ。」

『……そろそろ授業があるよ。』

「んー…」


頬杖を吐きながら考えているそぶりを見せてくる。

私と目が合えば目尻を和らげて次の言葉を返して来た。


「たまにはサボっても良いんじゃない?笑」

『私は仕方ないけど、千秋くんは元気じゃん…』

「授業よりも大事なことが目の前にあるんだから。」

『………』

「もうお腹いっぱいになっちゃった?」

『食べる。』


出されたものは最後まで食べる。

それは今までの私の人生の中で一番大切にしていることだ。


先に食べ終えた彼はメガネを掛けてタブレットを操作している。


『バイク運転する時はメガネしないんだね。』

「昨日はコンタクトしていたからね。」

『そういうことか……』

「まさか、僕が伊達メガネでもしていると思った?笑」

『……うん。』


メガネを外しても見えていそうなことの方が多い気がするのだ。

前にチラリと聞いた時には「敢えて掛けている」って言っていたし。


「僕さ、グレーになっている瞳の方はほとんど視力無いんだ。

ずっと片目だけで見ていると疲れちゃうから、普段はメガネを使っているんだよ。」

『そうだったんだ……たしか、そっちの目って昔にバイクの事故で色が変わったんだっけ?』

「そう。ヘルメットの一部に亀裂が入るぐらいの大事故だったから、その時に欠けた破片が目に入って。眼球が傷ついて視力低下しちゃった。」

『レーシックとかはしないの?』

「別にそこまで困ってないからいいやって。最悪カラーコンタクトして色を合わせればいいだろうし。僕としては今の状態を気に入ってるところもあるから。」


「容姿なんてただのおまけだよ。」そう言ってカラッと笑う。

その言葉に私は少しだけズキっとしてしまった。

どうしても容姿に対してはコンプレックスがあったから、完全に克服ができたとはいえないのだ。


「万が一、視力が完全に無くなった場合は君が僕の右目・右腕になってくれたらいいんだし。」

『え、それは無理だよ。』

「どうして?笑」

『現実的に無理でしょ。あなたにもいずれかは結婚する人も現れるだろうから。その役目はその人にしか出来ない。』

「……それはどうなんだろうね、、笑」


彼から目の光が無くなった。

触れてはいけないところに触れてしまったのかもしれない。

これ以上、この系統の話はしない方がいい。


『私はもう熱は落ち着いてきたから、千秋くんもそろそろ家に帰っていいよ。お風呂まだ入れていないんでしょ?』

「ヨーロッパじゃ風呂キャンセルなんて当たり前だよ?笑」

『臭うから。』


鼻を摘んでジェスチャーをすれば彼は驚いたように顔から笑顔が消えた。


「そんなに臭う…、、?」

『ほら、帰った帰った。』

「新しい音源ができたんだ。それを君に聴いてほしい。」


真剣な顔でそれを告げてきた。

だけど今はそれを受け入れられる余裕が無い……


「日を改めたとしても、このままだと君は一生聴いてくれないと思うから僕は臭かろうが居座るよ。」


フンッと鼻を鳴らしながら腕を組んでいる。

テコでも動かないとはまさにこのこと。


『……分かったから、一旦シャワー浴びてきなよ、、その代わり今着ている服洗濯して乾いたら帰る。』

「わ〜そこまでしてくれるの?じゃあ夕飯も僕が作ってあげるね〜」

『え、イヤそれは…!』

「君の服、僕が着れそうなの貸してくれる?上がダメなら最悪下だけでも。」


一番大きいものを渡してやると「ありがと」とニッコリ笑顔を浮かべてシャワーを浴びに行ってしまった。


思わず溜息が漏れた。

いつも彼の勢いに巻き込まれてしまう。

歌手活動だってそうだ。


『あんな人がどうして私に絡んでくるんだろ、、』


.

.

.


私もシャワーを浴び終えて食卓に戻ってきた時には優雅に寛ぎながらPCとタブレットを操作している彼。


ただ……


『テメェ私の梅酒勝手に飲むんじゃねーよ!』

「前に君が教えてくれたおかげですごく好きになってさ〜飲みやすくていいよね、コレ。」

『週一の楽しみで買ってたのに……あなたと違って私は贅沢できないの!』

「大丈夫だよ。昨夜君を一旦部屋まで運んだ後、必要なもの揃えるためにコンビニ行って追加補充しておいたから。ほら…」


梅酒が5本も並んでいる。

コレは……よしとしようか。


気を取り直して椅子に座ると彼はPCの画面を閉じて私に向き直ってきた。


「デビューしたの後悔してる?」

『…それは無いよ。』

「君が熱を出てしまうぐらい追い込んでしまっていたとしたら、無理させてしまった僕が悪い。」

『元々風邪気味なだけだったから。』

「夏海。」


珍しくあだ名では無く夏海呼びをしてきた。

レンズ越しとはいえ彼の綺麗な瞳が優しくもありながら真剣に見つめてくる。


「あの取材の日に何があったの?」

『何も…無いよ。』

「お兄さんに話せないこと?」

『同級生じゃん…』

「でも僕のほうが2歳年上だよ。君よりも人生経験は長い。そっちの業界のこともね…」


彼の柔らかな声に少しだけ後悔が混じっている。

彼に芸能界の話をするのはタブーだということは直接は言われていないけど、関わっているうちに気づいてしまった。

まだまだ多くのことを隠している彼。


大学生一年生の頃に出会ってから友人として一緒にいるけど、私の知らない彼は確かにいるのだ。

それが10代の時の彼の過去。


『あなたにとって芸能界の話は毒なんでしょ?それなら、私は話さない。コレは私の問題だから。』

「友人として悩み事を聞くのはダメなの?僕にはわかるよ。」


"君がトラウマに直面しているんだって……"


ドクッ…心臓が大きく動いた。

俯いて黙り込むことしかできない。


テーブルの上に置いていた私の手に彼の温かい手が重なった。


「溜め込むのは良くないよ。それで失敗したのが僕だから。」

『………』

「君には同じようになって欲しくない。君の歌声が枯れてしまうのは嫌だな…」

『……本当は言うつもりなんて無かったの、、』

「うん。」

『でも、あの人を目の前にして。umiとなった私をようやくヒト扱いしてきたのが許せなくて……結局、私の正体を明かしてしまったの……』


ギュッと唇を噛み締めて微かに肩を震わせている彼女。

克服なんて完全にできるわけない。

10代の大事な時期に彼女は長いこと孤独に耐えていた。

心無い言葉を投げかけられ、存在を否定されてもなお彼女は耐えて。


『どうしよう…わたし……バレてしまったらもう皆んないなくなってしまう…っ…応援してくれていた人たちも昔のわたしを知れば…』


思い出したくない。

誰も助けてくれないあの日々。

強くなれなかったあの時の私が大嫌いだ。


こんなことで泣きたくないのに……


「そんなことないよ。」


いつの間にか、彼がすぐそばにいて私の涙を拭ってくれていた。

色の違う両の瞳が絶えず優しく見つめてくれる。


「僕がいるよ。」

『……っ…』

「だって…君の一番の親友だからね。」


私の手を握り込んでくれた。

跪いて柔らかい笑みを浮かべながら「なっちゃん」って。


「umiを辞めるのなら僕も作曲は辞めるよ。その代わり、友達として君のそばに居るのは変わらない。だから、君は一人じゃ無いよ。」

『……うん、』

「体調悪い時はメンタルも辛いからね。さぁ、もう一度ゆっくり休もう。」


私の手を引きベッドまで連れて行ってくれた彼は眠るまでそばに居てくれた。


『あなたも忙しいのに…ごめんね。』

「いいんだよ。友達なんだから。」

『ありがとう…』

「うん。」

『……私、まだ歌いたい…頑張るから、、』


"だから、千秋くんも夢を諦めないで……"


:


彼女から寝息が聞こえてきた。

涙跡が残る目尻には、さっきまでの不安さは薄れていた。


「僕の夢か……」


かつてはあったのかもしれない。

だけど、自分でそれを壊してしまった。


今はただ好奇心と彼女にまだまだある未知の才能に価値を見出している。


それを果たして自分の夢なのか、はたまたはーー


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