表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

読み切り短編

作者:

(初出他サイト)

_この世で一番甘いもの。

 それは、初恋。

 甘くて、ちょっと酸っぱい初恋の味__



へぇそうですか、と心のなかで答える。

テレビに映るのはどこかの会社の期間限定商品らしい、さくらんぼキャンディだ。

最近出てくるようになったアイドルが「あま〜い!」と言いながら画面の中でウィンクする。

あれだけでどれくらいギャラが出るんだろうか。楽な仕事でいいな。



私はしがない新人作家をしている。

しかし、この世界には私よりも優れた作家_否、それを職にしているわけでもないのに才能に溢れている字書きが数え切れないほどにいる。さっきのアイドルのように、簡単に売れっ子の道を歩けたら苦労はしない。私も本の収益だけでは生活が成り立たないので、レストランやラーメン屋、スーパーの惣菜コーナーなどと、複数のバイトを掛け持ちしている。自慢なのは全てのバイト先でまかないが充実していることぐらいだろうか。私の生活費削減のために非常に役に立っています。ありがとう。

こんな私にとってこの世で一番甘いものなんて、締切直前に大量に摂取するラムネとかだろうか。



…コマーシャルががなかなか終わらないので番組を変えてしまおうとテレビのリモコンを手に取ったそのとき、玄関の扉が開く音がした。



「せ〜んせ〜!ちゃんと原稿やってますか〜?」

「…って、またテレビばっかり観て!参考資料だとか言ってますけど、どうせ面倒なだけでしょ?」



彼女は私の担当編集者兼アシスタント。誤解されやすいから言っておくが、決して付き合っているとかではない。私が作家を始めてからずっと私についてくれているだけだ。

彼女は俗に有能、と呼ばれるタイプの人間だ。本社でも噂されているほどの敏腕編集者らしく、こんな人が私についていて良いのか本当に不安になってくる。


私が原稿をやっているときは、50センチくらい離れたところに丸椅子を置き、それが書き進められていくのをじっと見つめる。私の飲み物がなくなれば注いできてくれるし、お腹が空いたと言えばおやつを作ってくれる。ご飯っぽいものを作らないのは満腹になると私が寝るかららしい。大正解だ。


特筆したいのは10分に1回ぐらいのペースで話しかけてくること。内容は大抵、「先生の書くこういうキャラが本当に大好きなんですよ〜」だとか、「いやぁ、やっぱり文章表現おしゃれですよねぇ」だとかで、私のモチベーション維持、という名の雑談だ。先生の作品に一目惚れして担当編集者になった、と言われたときは流石に耳を疑ったが…。

たまにもう少し静かにして欲しいときもあるのだが、彼女は私の作品の貴重なファンの一人だし、私のモチベーションを維持してくれるのはかなりありがたい。それに、ちやほやされるのも正直満更でもない。



「ほら、エナジーバー買ってきましたから。さっさとやっちゃいましょ?」



ちなみにかなり長い付き合いなので嘘はすぐにバレる。



『…今、やろうとして、』


「…左様で、ございますか。」



訝しげな目を向けられる。ね?しっかりバレてるでしょ?



『…すみません。』


「よろしい。」



すっかり上に立った気になっているのだろう、腕を組みこちらを見下ろしてくる。

テレビを消し、重たい腰を持ち上げる。原稿します、と告げるといつものように「お茶淹れますね」と返ってくる。



「あ、そうだ」



コップを私の前に置いてから、彼女はスーパーのビニール袋からエナジーバーとは違う何かを取り出した。



「なんか、大人気!って書いてあったので気になって買ってきちゃったんですけど、」



それは紛れもなく、さっきのコマーシャルで出てきたあのさくらんぼ飴だった。

ご丁寧に、さっきも見た「甘くて、ちょっと酸っぱい初恋の味」というキャッチコピーも書いてある。

彼女はというと、口をぱくぱくさせる私を不思議そうに見つめながら眉をひそめていた。



「へぇ、コマーシャルで…」



さっきのことを説明すれば、彼女は「本当に人気なんですねぇ」と呟きながらお茶を啜った。



『初恋の味らしいんですが、私にはどうも…。なにせ恋をしたことがなくてですね。』


「ああ、昔そう言ってましたね。」



熟年夫婦みたいなこと言うなぁと思いつつぼーっと自分のカップを眺めていると、

目の前でことん、と湯呑を置く音がした。



「先生」


「じゃあ私の初恋の味、教えてあげます」



彼女は微笑みながら、しかし真っ直ぐに、こちらを見つめて言う。

その手は個包装のさくらんぼ飴を掴んでいる。いつ出したんだろうか。


透明な袋から取り出された飴が、私の方、正確には口元に突き出された。



「はい、口開けてください?」


『え、』



私の人生をすべて遡っても初めてのことに思考が止まる。

今私は「あーん」とやらをされているのだろうか。



「ほら、」



半ば無理やり突っ込まれた飴が、口の中でころん、と音を立てる。



『…おいしい、です。』


「そ、れはよかった、です…。」




さくらんぼの風味をゆっくりと舌で転がすうちに思考が戻ってくる。

彼女はと言えば、向こうから言い出したくせに下の方を向いてきまり悪そうにしていた。

…今更照れるのか。

その姿を見ているだけでもどこか恥ずかしくなって、私も目を逸らすようにして原稿に向かった。


やけに甘酸っぱくなってきた飴をまた舌で転がす。

我が家のリビングに、真っ赤な顔をした2つのさくらんぼが実る。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ