それでも。
懐かしい匂いがした。
包み込むような、その胸に抱かれるような。
どこまでも安らかで、凪のように落ち着いた気分のまま。
父の香り。母の温もり。俺がいた空間は、それのみで埋め尽くされていたような気がした。
それでいて、視界に入るものはどれも白く。
どこまでも純粋にして、どこまでもまっさらだった。
「俺は———」
言葉が出た。何もかもがまっさらで、俺自身も存在しているか分からないほどだったのに。
ああ、それでも何をしていたっけ。
俺はいつからここにいて、何をするためにここにいたのか。その全てさえもまっさらに塗り替えられたまま。
でも、不思議と安心感があった。
そこに義務はなく、使命すらなく、それすらまっさらの白色に包まれるだけ。
それはダメだ、と否定する自分もいれば、それでいいんだ、と安堵する自分もいたけど、それすらも雪のような白に埋まっていった。
このまま。この俺の何もかもが、本当に白に染まってしまうんだろうか。
———ああ、あの景色が離れてゆく。
既に紺碧が満ちた空。その景色が離れ、徐々に薄れてゆく。
薄れ、離れ、そして千切れ、霞んでゆく。
もはやそれは、俺の意識だった。
『……帰って来てね』
「あ———」
『まあ、そんなこと言ってない…………けど、そう私が言いたいんだって事ぐらい、言われなくたって分かるでしょ』
……なぜにそう、ズケズケと入り込んでくるのか。
何もかも真っ白だったじゃないか。
もう終わっていいって、解放してくれるって、そう俺は想っていたのに。
でも、お前はそう身勝手で。
『……まだ、やるんでしょ。
だったら、こんなところで倒れてる暇、ないじゃない。
ほら、手、握って。
さっさと……いくわよ!』
でも、どこまでも気にかけてくれていて。
だからこんなに。
あっちの景色は、あんなに透き通って見えるんだろうって。
お前が来ても何もかもが白かった理由、分かった気がするよ。
ズケズケと入り込んでこようが、汚れでも異物でもない。
紛れもない、俺にとって大切な人で。
そして———それ故に、俺を形作るものでもあったから。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「ぜえありゃあああああああっ!!!!」
諦めかけた。そんな気もした。
だけど、ナニかを起点に俺は立ち上がった。
白に染まりゆく意識の中。
そのナニかだけは、俺という存在自体を肯定してくれた気がするから。
『立った…………立ったと言うのか、救世主!』
魔王の顔つきが変わる。焦りなどではなく、『そうこなくちゃ』と発しているような、無邪気な童心を孕んだようなものへ。
「ああ、立ってやったさ……引けないんだよ、俺は!
俺のこの手の中には、今までの全てが詰まってる! その全てを乗せた俺の剣が、お前の空っぽな魔術に負けるだって、ああ?
———冗談も、いい加減にしろ……っ!」
言ってやった。
そうだ。そんなもの冗談だ。そうとしか思えないし、そうとしか受け取れない。
勝てるわけないだろ、お前のそんなものが。
限りなく無限に近い魔力の渦。そのくせして、その心の中は空洞ときた。
勝つのは俺だ。どこまで行こうと、この戦いが互いの鍔迫り合いである限り、勝つのは確実に俺なんだ。
まだ引けない、まだ踏みとどまれる理由がある、この俺に。
何もないお前が、勝てるわけねえだろ……っ!
『はあああああああああっ!!!!!!』
そうやって、必死に力を振り絞っているようだが。
だが、その裏の本性を、俺は既に聞いたんだ。
だから分かる。そんなものは、お前の下手な演技にしか過ぎないということを。
そうか、だからか。
コイツは元から戦ってなんかいない。強大な壁として立ちはだかり、俺に試練を与えていた———それだけ。
そうだ、その通りだ。何の想いも抱いていないくせに、俺の前に立ちはだかる? 何のために?
———その答えはもちろん一つ。
「死にたいんだったら……っ、
テメェ一人で、勝手に死にやがれぇぇぇぇえっ!!!!」
『生憎、余は寂しがり屋なのでね!
一人寂しく逝くよりは、戦いの中に散るが本望よ!!』
「テメェのわがままなんざぁ、知ったことかぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!」




