防衛作戦(2)
「魔術師さん!次はどんな魔法を使うんですか?」
工房を出た後、俺とヘレスは街をぐるりと囲む塁壁の上に立っていた。期待に満ちた目でこちらを見つめる彼女を横目に俺は塁壁を調べる。この街は一周ぐるりと石造の塁壁で囲まれており、所々にある小さな物見塔の上には兵士がいる。石造りだがそこまで立派な物ではない。少しあたりを見回せば崩れているところも見える。小規模な魔物や盗賊の襲撃を防ぐには十分だったのだろうが、今回のような大規模な襲撃には不安があるだろう。
「蠢く泥」
とりあえず城壁の上からあたりの泥に術をかける。膨らみ頭を持ち上げた泥の塊は自らの意思で城壁の隙間に入り込み隙間を埋めた。
「一時しのぎだがこれを行いながら街を一周する」
「すごい、魔術師さんがいればどんな工事もあっという間ですね」
「復元力を考えればこの術が持つのは3日というところだろう。あとは城壁の外に何かしら足止めを仕掛けたいところだが…」
俺は城壁の外の景色を見回す。街に踏み込まれる前に相手の足止めを行う方法は無いだろうか。
「足止め…罠とか?子供の時は吊り罠で兎を捕まえたりしたんですけど…」
「つる草?詳しく聞かせてくれないか」
ふと呟いた彼女に聞くと、ヘレスは慌てて手を振った。
「え?えっと…この時期は刈り取った黄花のあとによく長めの草が生えてて、それで罠を仕掛けてうさぎを取るんです。少しでも食べる足しにしたくて…」
「確かに、盗賊に襲われたあたりでも長めの草が生えていたな」
俺は先ほどのことを思い出す。術の触媒としても問題なく使うことができた。俺は頷き、懐から瓶を取り出し蓋を開けた。
「沸き立つ緑」
瓶の中身の粒を少しずつあたりに巻く。巻かれた粒は風に乗ってあたりに流れ、あたりの植物がほんの少しざわめいた。
「蔓罠を仕掛けた。この作業を塁壁を一周するまでやっていく」
「そ、そんなに魔法を使って…えーと、魔力が尽きたりしないんですか?」
心配げにそう聞くヘレスに対して、俺は自分の杖の先をちらりと見て頷く。
「この程度のまじないなら問題ない。仮に戦いになったとしても…十分に術を使うことができるだろう」
そう答えたが、少女の表情の翳ったままだった。
「あの…相手にも魔術師がいるんですよね。た、戦うんですか?」
敵の魔術師。それは俺も気にしていた。兵士などから話は聞いていた化け物のような虫や幾つかの単純な術以上の話を聞くことはできなかった。正直言ってそれだけで実力を測ることは難しい。だが…
「これは我が師から聞いた話だが…うねり木の里の外にいる魔術師には大まかに三種類いるそうだ」
「え?そ、それって一体…」
俺は少女を見て唇を歪めて笑った。
「三種類、すなわち…未熟者と、脱落者と、詐欺師だ。俺は脱落者だな」
「え?えぇ…」
「大丈夫だ、脱落者とはいえ仮にも里で術理を学んだ身だ。それに、俺にはこの『魔術師の杖』がある」
そう言って俺は杖を振り上げた。先には魔石がはめこまれ、柄の部分にいくつものルーンが升目状に区切られて刻まれた豪奢な杖。
「す、すごい杖なんですか?」
「術師の杖は自分で作るものだが、これは俺が書いた図面を師から頂いた魔石を軸に、同門の者と友人の力を借りて形にした物だ。皆俺とは比べ物にならない傑物だった。この杖がある限り、そこらの術師には負けはしない。この杖は俺なんぞよりずっと頼りになるとも」
「うぅん…」
「大丈夫だ、急いで一回りしてしまおう」
そう言ってなんとも言い難い表情をするヘレスに笑いかけ、俺は彼女の背中を押した。煮え切らない顔をしながら駆けていく彼女を見ながら俺の脳裏には先ほどの師の言葉の続きが浮かんでいた。
(まれに…ごく稀にこの三種類に当てはまらない術師がいる。里の枠ですら測れなかった者、逸れもの、外道、逸脱者。名もなき決して関わっては行けない術師たち)
脳裏によぎる嫌な予感を振り切る。それでも、俺は戦わなければならない。
俺は足を早め、ヘレスの背を追った。
「おお、探しましたぞ!」
塁壁での術の行使を終わらせた頃にはすでに日は傾いていた。壁を一周してきた地点に戻ってきた俺たちを待っていたのは町長だった。彼は心配げな顔でこちらに駆け寄ってくる。
「魔術師殿が壁を一周して術をかけてくれていると聞いてここで待っていたのです。その…防衛の準備はできましたかな?」
俺は町長を安心させるように頷く。
「足止めの術と壁の補修、街中への侵入と火への備え、あとは防衛用のゴーレムの準備とやるべきことはほとんど終わりました。先ほど言った通り塁壁の外には出ないように兵士に注意しておいてください。」
「そ、それを聞いて安心しました。いや〜こんなすごい魔術師殿に力を貸していただけるとは、百人力ですな、はっはっは…」
町長はわざとらしく笑うと、そのまま黙り込み、こちらをちらちらと伺う。なんだろうか?いまいち歯切れが悪い。ひょっとして先ほど石像の伝票を町長殿につけたのが悪かったのだろうか。
戸惑う俺に対し、ヘレスは何事かに気付いた顔をした。
「町長さん…ひょっとして、魔術師さんに何か頼み事があるんじゃないですか?」
「頼み事?」
俺は町長に視線を向ける。すると町長は気まずそうに頭を下げた。
「むっ、むおっほん。こ、これはお恥ずかしい…。確かにヘレスの言う通り、こんな状況で難ですが、あなたにやって欲しいことがありまして」
そこまで言うと、町長は自分の持っている槍を俺に差し出した。古く、年季の入った突撃槍。よく見てみればその握り手と突き部分の間に宝石がはまり、いくつかのルーンが刻み込まれていた。
「なるほど、魔法の武器。しかし力を失っていますね」
俺の言葉に町長が頷く。
「その通り。この槍は我が家に代々受け継がれる物なのですが…何百年も前にその魔力を失い、今ではただの骨董品、重すぎて杖にしかならぬ代物でどんな術がかけられていたかも忘れられている有り様でしてな」
そして、町長は遠慮がちに呟く。
「それでしてな。もしかしたら魔術師殿なら、この槍に往時の力を取り戻すことができるのではないかと…。いや、街の危機に力を貸してくれる方に、時間がないのにこのような願い、まことにご迷惑をおかけするのですが…」
消え入りそうに言う町長を他所に、俺は槍を見つめ、細かく三語つぶやいた。
『光よ』
『身躱せ』
『軽快に』
言葉とともに杖から生まれた光は槍の宝石に吸い込まれていき、そして宝石と刻まれたルーンは暖かく光った。
「こ、これは…まさか!」
「術は単純ですがルーンは強く、正しく刻まれています。すぐれた術師に作られ、きちんと手入れされてきた証でしょう。ほんの少し石の曇りを取り、呪文で力を呼び起こすだけで十分でした。では、俺たちはここで」
「ま、待ってくだされ!これにはいかなる術が込められているのですかな!」
背を向け去ろうとした俺の背中に声がかかる。そういえば言い忘れていた。俺は振り返り槍を握り一言唱えた。
『光よ』
すると、槍の穂先がほんのりと光ってあたりを照らす。
「一つは灯りの術。握り、指導語を唱えることで穂先が光を持ちます」
そして次に槍の先のもう一つの文字に指を指す。
「次は身かわしの術。持っている限り敵の飛び道具が逸れやすくなります。あまり過信はできませんが」
最後に俺は大きな槍を振る。槍はまるで軽い桐の枝のように回った。
「最後の一つは見ての通り、軽石の術です」
そこまで話して俺は槍を町長に返した。町長は目を丸くしながら槍を受け取ると、思い出したかのように頭を下げた。
「こ、この恩は決して…」
「その言葉は今夜を乗り切るまで置いておきましょう。それでは」
そして、俺は町長を背にその場を歩き去った。少し歩いて振り返ると町長はまだこちらにぺこぺこと頭を下げていた。