残酷な思い出
「たしかこのHQの開設でサーバラックに職人さんがものすごく綺麗に配線を整理して取り付けていた作業の時です。2人でそれを見て『こういうのすごいですよね』って言いながら、お互いに小さい頃どんな子供だったか、って思い出話でした」
みんながカオルの言葉に怪訝な顔になる。
「笹木さんも幼い頃、自由研究や図画工作の得意な『できる子』でした。明るい将来を信じる瞳の大きな可愛い男の子だった」
「なんの話です!」
「笹木さんは真面目に励み、小中学はもちろん、高校でも成績は極めて優秀、進学校をトップクラスで駆け抜け、大学も世界に名を知られる教授のゼミに入り、さらにそこで見込まれて最短コースで大学院に進んだ。そう。笹木さんは情報工学専攻の笹木博士でもある」
みんな、ポカンとした顔になっている。
「そしてその後、八橋電機に入社した。そしてその若さで課長だ。素晴らしい燦然とした人生だ。まさに駆け抜けるような華麗な人生。だが、その実情は辛いものだった。教育熱心な両親の子らしく、99点でも100点ではないことを悔やむように育ってしまった。その自己肯定感の希薄な性格は今多くの男性の悩む母の呪縛だ。だからあなたはその呪縛から逃れようとする人生を送ってきた。成績を伸ばすことはそれを助けてくれた。そう。学校では特に。だが博士を取って入った八橋電機はそういう世界ではなかった」
笹木の表情が変わった。
「あなたの配属先は研究チームではなく法人事業部。技術営業と言われても今どき信じられないメインメモリ8GBセレロンの遅くて使い物にならないパソコンを支給され、上司は部下の仕事の横取りに忙しい。そんな典型的な日本の大手ダメ会社だった。八橋電機は特に防衛装備品も手掛けているので国策で潰れることはない。そのためにひどいやぶ蛇回避が身に染みていて、なにか改善を訴えても『じゃあ君がやれ』と押し付けられる社会。パワハラセクハラもいまだにある前時代体質もそのまま。そんなところに数値偽装事件が連発。無理な性能数値を一度誇ってしまったためにもうその無理を偽装で埋めるしかなくなった。役所の検査の時に必死に裏資料をかき集め検査対策用の偽装資料に差し替えるのもよくあることだった。普通に『無理でした』と公表した方がずっとマシなのに偽装に必死になる。まるでプロジェクトXのように必死のむなしい偽装作業に明け暮れる。なんのための仕事なのか。いや、これを仕事と呼んで良いのか。ナンセンスも極まった。笹木さん、聡明なあなたが強く疑問に思ったのは無理もない」
笹木は言葉を失い、蒼白になっている。
「そんな時にカオルくんが現れた」
総裁が続けた。
「ギフテッドとして病院で寝起きすることになってるが、それでも学校生活と将棋とプログラミングやダイヤ作成を楽しみ、収入もこの歳にしては多い。何よりも彼女の才能は今本当に自由に輝いている。笹木さんは思ったのでしょう。『なんで彼女なんだ、なぜそれが自分じゃないんだ』と。そんな時にとある人物が現れた。『君の失った10年を取り戻す方法がある。本来いるべきところに行くための方法だ、と」
「だからなんの話だ」
笹木が遮る。だが総裁は負けない。
「その人物に、あなたは唆された。カオル君を陥れることを。そしてログ改竄のためにあなたの力を貸すことを。そしてあなたはカオルくんのアイディアを伝え、HQからマイクロSDを持ち出し、彼にそれを渡した。そしてことが露見し、カオルはそれで逮捕された。あなたはそれによって嫉妬から解放される、はずだった」
「知らねえよ! なにが嫉妬だ。だいたい証拠もなにもないことで詰められても。その当該のSDカードでも出てこない限りどうにもならんだろ!」
「笹木さん、あなたがもともとこんな未来を望んだはずがない。もっと夢と希望にあふれた未来を夢見ていた。でも、それをこうしてしまったのが誰か。こんな嫉妬と陰険さに沈む大人にしてしまったのは誰か。カオルにとって、あなたもまた憧れに値するものだったのに、あなたはそれに気づかなかった。そしてこうして抱いてしまった一方的な憎悪に足を掬われる」
「だからなんだ! 証拠はどこだよ! あるわけないだろ!」
「あります」
「どこに!」
「あなたのお財布の中にオーストラリアの20セント玉がありますね。その中です」
「なんだと!」
「あなたはぼくと話したあのときに財布を見せてくれた。そこにある20セント玉にぼくは気づいた。ぼくもSDカード入れのコインに興味持ってたから、あ、笹木さんも持ってるんだ、よさそうだな、と思ったんです。その財布には幼い頃からの友人のくれたお守りも入っている。それにあなたは願ったのでしょう。あなたがマイクロSDカードを持ち出したことが今後永遠に露見しないことを」
「デタラメにも程がある!」
「でも、あなたの友人はそれを望まないでしょう。それは本当のあなたではないから。本当の、研究に熱心で勤勉なあなたではない。だから、また戻って欲しい、と思ってるはず。だからそのお守りはあなたを守らない。本当に守るのはこの呪いと悪夢からあなたが覚めた時だ」
「長々と一体何言ってんだ!」
笹木が叫んだその時だった。
「笹木さん」
竹警部が現れた。
「あなたに捜索令状がでてます。その財布、拝見させていただきますね」
問答無用に竹警部は手袋の手でその財布を取った。
「20セントコインです!」
カオルの声に応じて他の刑事も手袋で財布を受け取った。
「竹警部、ありました!」
表裏で二つに分かれたコインの中にSDカードが入っている。
「うちのSDカードです……」
本部長も言葉がない。
「中身の確認は後でも問題ないです。HQで使っているSDはキオクシアの法人ユーザー向けのカラーSDです。他で手に入ることはまずない」
「笹木さん、ご同行いただけますね」
竹警部の冷たい声に、笹木は従うほか無かった。