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あまつかぜ、グランドピアノとアイドルの夜

 一行が乗る周遊列車「あまつかぜ」は、夜の山陽本線から東海道本線へと静かに進路を取っていた。この列車最大の特徴の一つである、伝統の食堂車「かぐら坂」での夕食の時間である。


「かぐら坂」は、一見地味でシンプルだがよく見れば手間のかかった上品で豪華な内装で、列車内にいることを忘れさせるほどの格式ある空間だった。テーブルには、予約しておいた京都の老舗料亭と提携した、京懐石のコース料理が並ぶ。


「これが『かぐら坂』のお料理……まるで動く料亭ですわね」

 御波が目を輝かせる。


「うむ。食道楽の極致であるのだ。箸を持つのも恐れ多い」

 総裁も感嘆の声を漏らす。


 頭取は、一口料理を味わい、静かに頷いた。

「これが北急電鉄が目指す『夢の鉄道』の一つの形ね。効率だけでは測れない、人々の心を満たす価値。真のおもてなしね」


 食事中、隣接するラウンジカーからは、グランドピアノの美しい生演奏が流れてくる。クラシックからジャズまで、演奏者の巧みな指使いが、列車の旅を一層優雅なものにしていた。


「まさか、走る列車の中で生演奏を聴きながら食事をいただけるとは」

 御波は感動に浸っている。


 食事が終わり、三人はラウンジカーへと移動した。ピアノの演奏が終わると、今度はライブステージ車のステージに可愛らしいコスチュームに身を包んだ5人の女性が現れた。


「皆様、夜のひととき、お楽しみいただけていますか? このあとは、私たち『ファイブウインズ』のライブで、さらに盛り上がりましょう!」


 彼女たちは、北急電鉄のアテンダントで構成されたアイドルユニットである。車内サービスの一環として、夜の乗客にエンターテイメントを提供していた。


「デッキ側!盛り上がってますか!」

「アリーナ側!楽しんでますか!」

 彼女たちが声をかけ、再びライブの熱狂が加速して行く。


「ファイブウインズ……まさかここでライブがあるとは。樋田会長の趣味、恐るべしであります」

 総裁は半ば呆れながらも、その斬新なサービス精神に感服する。


 頭取も笑みを浮かべた。

「こういう『遊び心』が、北急電鉄の強みなのかもしれないわね。伝統と革新の融合」


 アイドルの明るい歌声とダンスに、乗客たちは手拍子を送り、ライブステージ車は熱気に包まれた。総裁たちは束の間の非日常を楽しみ、明日に迫る決戦への活力を養った。


 夜が深まり、ライブが終わると、一行は個室に戻り、それぞれの寝台に横たわる。


 だが、総裁はむくりと起き上がった。

 眠れない…なぜか疲れているのに。


 それで車内を歩いて行くと、長い廊下のある車両についた。

 すると、その廊下の先になんとコタツがある。コタツラウンジだ。

「なんと」

 するとファイブウインズの1人がアテンダントの制服を着てなにかそこで作業している。よくみるとこのクルマはスタッフルームとバックヤードルームで構成されるサービスカーのようだ。

「いらっしゃい。眠れないの? ここはずっと開いてるから眠くなるまでいていいですよ」

 ただの豪華さからこういうカジュアルかつ日本の伝統を生かしたサービスに進化しているのか、と総裁は感心する。

「このクルマにはスタッフ用の寝台もあるのよ。開放B寝台みたいなものだけど、私そういう古いブルートレインみたいなの好きなの」

 そう言いながら彼女は使い終わったのか、ダンボール箱を潰して片付けている。

「大丈夫なのですか」

 総裁が聞く。

「ああ、買収の話?」

 彼女は笑う。

「私たちにはピンとこない。会長も社長も頑張ってくれてるから、それを信じて毎日頑張るしかない。余計なこと考えても仕事でミスするだけだから」

「なるほど」

「組織の中で働くってのは、そういう意味でも良し悪しなのよね」

「と、いいますと?」

「視野が狭くなる。その分深く仕事に専念できるけど」

「……なるほど」

「世の中ってそうできてるんだと思う。それぞれに役割があって、それぞれに意味があって、それぞれに喜怒哀楽がある。でもそれでできた泡の中の幸せが精一杯で、その外側に気づけなくなる」

「フィルタバブル、みたいなものでしょうか」

「そうかもね。総裁にはピンとこないだろうけど」

「うっ、そうでしょうか」

「あなた、余裕ぶっこいてるけど、正直、1人でしょ? 寂しくはないけど、1人で全然困らない」

「そうかも……しれぬ」

「それも良し悪しよね」

「うぐう」

「でも、あなたはそういう血がながれてるのよ。それに今更抗っても無理。だから、あなたは自分に正直に」

 彼女は笑った。

「自分に嘘ついてもつかなくても、人生は一回だけだもの」

「ふむり」

 総裁は考え込んだ。

「それでダメならちゃんとそうわからせられる。世の中はそうできてる。でも自分でそういう限界を決めなきゃいけないことなんてない。好きにやるしかない。後悔しないように」

 総裁は頷くと、あくびが出た。

「眠くなった? 部屋に戻る? ここは到着までずっと開いてるからここでもいいけど」

「むう」

 総裁はコタツテーブルに顎を乗せた。

「暖かくて動きたくなくなりますのう」

「そうね」

 総裁はコタツからみる車窓に眠い目を向けたが、それでもまだ眠れない。

「あったかくて甘い飲み物作る?ココアがあるわよ」

「かたじけない」

 総裁はコタツに入ったまま背を伸ばして横たわった。

「そうね。楽にしたらいいわよ。大変な旅みたいだし」

「でも、ワタクシは楽しいのだ」

「2000万円の借金があるのに?」

「明日は明日自身に思い煩わせるのが良いのだ。カオルくんが自由で、鉄研水雷戦隊のみなが無事ならそれでいい」

「なるほど」

 彼女はまた笑った。


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