寝台快速「明星」ラウンジカー
ラウンジカーもカジュアルスタイルだが壁に鉄道模型が飾られていたりと趣向が凝っている。
椅子も大きなソファではないが、小さめながら座り心地が良い。どうりで座席車からこっちに移動している乗客が多いわけだ。
乗客たちはテーブルでチェスや将棋などもして楽しんでいる。またお酒を嗜んでいるグループもいる。
「それでも『荒れ』ないのはありがたいわね」
「快速とはいえ全車グリーン車なので「極端に安い客」は排除できているのが良いのでしょう。安い客は品格も安くトラブルを起こしやすい」
「そうね。それで、TOBの話に戻るけど」
「グローバルワークキャピタルが本当に北急電鉄の経営権が欲しいのか、私にも疑問なの」
頭取が声を潜めて言う。
「といいますと?」
「もし本当に経営権が欲しいなら、もっと時間をかけて、水面下で着々と株を買い集めるはずよ。TOBは経済を利用したクーデター作戦のようなもの。しかしクーデターにしてはあちこち手順がグズグズ。今回のようにいきなり大規模なTOBを仕掛けてきたのはどうにも不自然に思える。ただ無意味に株価を釣り上げるようなもの。決してクレバーな策とは思えない」
「そういえばそうですね。北急電鉄が反撃する時間を与えてしまっている」
御波が同意する。
「しかも買収後の具体的な経営方針が不明瞭すぎます。『効率化』『世界標準化』という言葉だけでは、株主は納得しないでしょう」
「そう。でも目的が別だとしたら? 目的は北急の経営権ではないかもしれない。何か別の目的、例えば北急が持つ『何か』を手に入れることが目的なのかもしれないわ」
「むむう、『何か』ですか」
総裁が腕を組む。
「データ漏洩事件といい、札幌のデータセンターの死者といい、そしてこのTOB。すべてが繋がっていると考えるべきでしょう。そしてすべてが北急の持つ『情報』に関わっている」
「あのSDカードに秘匿されていた情報が鍵、ということですか」
「ええ。カオルさんの言っていた厳重な暗号化が突破されるのも時間の問題、という話が気にかかる。あれがもし、北急の最も重要な秘密、例えば次世代の鉄道技術や、未公開の土地開発計画に関するデータだとしたら……」
「その情報を使って、グローバルワークキャピタルが本当の何かの一撃を仕掛けようとしている、と」
「その可能性が高いと思う。北急が反撃に出る前に、その情報を手に入れ、利用することが彼らの目的だとすれば、この性急なTOBも腑に落ちる。彼らにとってはむしろ株主総会での決着なんてどうでもいいのかもしれない」
「といいつつ、ワタクシたち、寝台列車でこんなこと話していて良いのですか?」
総裁は周囲の乗客を警戒する。
「大丈夫よ。この列車は全車グリーン車で、乗客の質も良いし、このラウンジはカジュアルだけど話し声が響きにくいように設計されている。それに、私も長年の勘で、この中の誰かが敵の手先だとは感じないわ」
「頭取のその直感……でもそれは根拠になり得るのですね」
御波が感心する。
「ふふ。それがなければ金融の世界で生き残れないわ。さて、大阪に着くまでに、このTOBの裏に隠された真実と、悪しき者の正体を突き止めたいものね」
「そのために、まずは北浜共立銀行の本店役員会で、TOBへの対抗策を正式に決定せねばなりません」
「ええ。私たちの旅は始まったばかりよ。総裁、御波さん、よろしくお願いしますね」
頭取は微笑み、コーヒーを一口飲んだ。
窓の外は、もう愛知のどこかを走っているのだろう。大きな工場群の明かりが遠くに見えた。




