旅立ち
小田原へ向かう。
「着替えとかどうしたものか。何も用意しておらなかった。ほぼ手ぶらでここまできてしもうたぞ」
渋沢をすぎ、総裁は流れる四十八瀬の夜の車窓に心細そうに呟く。乗っているのは海老名発22時47分の快速急行小田原行、渋沢を23時12分に発車して今はトンネルと橋梁を抜けて先を急いでいる。
「それは追っ手に言うしかないわ。そんな都合、全然考えてはくれないでしょうけど」
頭取も灯りも少ない峡谷、渓流の車窓にそう答える。
「「明星」は横浜を23時36分にでて、東海道線を順調に西進中です。遅れはなく、小田原駅到着は予定通り0時31分みたい」
御波はケータイの北急アプリを読む。
その時、総裁のお腹が鳴った。
「ワタクシ、夕餉を食べ損ねてしもうておる」
「私もよ」
頭取も頷く。
「小田原駅でお弁当とか買ってる時間あるかなあ」
「売店が開いてるかどうかも疑問でありますが」
「そこは大丈夫。「明星」には簡易だけど深夜営業の食堂車があります!」
御波がドヤ顔になる。
「それは知っておるのだが」
「私は知らなかった! 本当?」
頭取は驚いている。
「簡易、ですけどね」
「助かるわ。飲み物もあればなおいいんだけど」
「もちろんあります!」
「すごい!」
「頭取はご存知なかったのですか」
「聞いてたような気もするけど、思い出せなかった。私が乗ることはずっとないと思ってたせいかしら」
「お金あるのに?」
「そうなると時間がなくなっちゃうのよ」
「鉄道趣味のTMSのタイム・マネー・スペースがどうやっても両立できないパラドックスですな」
「そう。ほんと、身に沁みてそう思うわ」
3人の乗ったE62運用・快速急行3301列車は23時31分、小田原についた。




