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はじまり

「就活ってもう始まっちゃうんだね。私の頃はもうちょっと後だった気がするけど」

 丸沢はオフィステーブルの総裁の隣でボールペンを回しながらストップウォッチと総裁の指先を見ていた。

「以前は制限があったようですが、今や人不足で企業は良い人材の確保に必死なのでありましょう」

 そう言いながら総裁はスーツ姿でお札を模した紙束と格闘している。手先がおぼつかないのに話す言葉がやたら大仰で大学卒業間近なのにまだ厨二病入っているのがこの総裁らしい。

 彼女のやっているのはお札を数える練習、札勘という作業である。銀行員は皆これを練習するので総裁もやることになったのだ。


 ここは北浜共立銀行(KKB)東京本店である。他の歴史のある大手銀行と違い、KKBの本店は新宿副都心の高層ビルの40階に入っている。その真新しいオフィスは日差しがよく入るフリーアドレスになっていて、総裁はKKBの銀行員・丸沢さつきに従っている。総裁は就職活動のインターンでこのKKBにいるのだ。

 KKBは資金量やっと1兆円規模、東証スタンダード市場上場の銀行で、関東西部の観光地と新宿を結ぶ大手私鉄・北急電鉄の5番目の大株主である。ただその規模と順位以上に北急電鉄の経営に積極的な提案をしている。北急電鉄の全国周遊列車事業などの最近珍しい積極経営はこのKKBの影響がある。ちなみに北急電鉄の筆頭株主は40兆円規模のメガバンク、つつじホールディングスである。ただつつじHDはそのKKBの関与をいつも静観している。

「総裁、札勘めちゃくちゃ下手だねー」

 丸沢があきれる。ほんとうは総裁は長原キラという名前だが、高校鉄研で部長(総裁)だったのをネタに総裁とここでも呼ばれている。総裁はエビコーを卒業して北急電鉄での駅員バイトのあと1浪で大学経済学部に入り、そしてついに就活を始めたのだ。.

「ワタクシ、レジも苦手なのであります」

 総裁は額にすこし汗がにじんでいる。

「初っ端から銀行、ぜんぜん向いてないよね」

 丸沢が笑う。その温和な表情でも厳しく言うのはいかにも銀行員らしい。

「うっ、インターンのイミが」

 総裁はさらに焦っている。

「総裁はほんと独特だよね。札勘ダメだけど、それはそれでもったいないのよね。せっかくだから外回り、一緒に行ってみる? 何も喋っちゃダメだけど」

「ありがとうございます! 拝見したいです!」

 総裁はやっと札勘から解放されることに思わず喜びの声を上げた。

「うぬ?」

 そのとき、総裁はこのKKB本店営業部のテレビに気づいた。

「カオルくん?!」

 ――北急電鉄で情報漏洩 容疑でエンジニア逮捕――

 そのテロップの向こうで刑事に両脇を固められて車に乗っているのは、あのハンサムでシャープな将棋棋士でかつて総裁のいた鉄研部員の鹿川カオルだった。

「なぜ!?」

 総裁は少し動揺している。

「知り合い?」

「知り合いも何も、我がエビコー鉄研水雷戦隊の誇る重巡洋艦であります!」

「もう。何でも『艦これ』にしないの。でもどうしたんだろうね」

「わからぬ……さっぱりわからぬ」

 総裁はそういうと少し震えて、続けた。

「うぐ、とてつもなくイヤな予感がする……」



 早速エビコー鉄研OGがグループチャットで連絡をとった。

総裁 「とりあえず弁護士の先生をお願いするのだ。海老名の法律事務所に一度昔お世話になった先生がおるのだ。こういう事件をやってもらえるかわからぬが…」

御波 「なんて先生?」

 御波は副部長、副総裁で、文芸大好きな子である。

総裁 「蒲原悟って先生。海老名の霞ヶ関法律事務所なのだ」

詩音 「国選弁護の先生ではかわいそうですわ」

 詩音は超お嬢様。模型テツで父は鉄道工学の教授。

ツバメ「でも私たちビンボーよ? 弁護士って高いでしょ。国がつけてくれる先生なら安いと思うけど。ひどいっ」

 ツバメは「ヒドイ」が口癖のイラスト鉄である。高校時代からアニメスタジオの請け負いスタッフのバイトをしていた。

総裁 「でも今回の件、国弁の先生にお願いしている時間が無いのだ」

華子 「それで私選の先生にする訳なんだねー」

 華子は海老名の鉄道テーマの大衆食堂「サハシ」の娘で、料理得意な撮り鉄である。

 そしてこの総裁・御波・詩音・ツバメ・華子に今回逮捕されてしまったカオルを加えた6人がエビコー鉄研の第1期メンバーである。この6人で高校在学中だけでなく卒業後もさまざまなテツ活動や大冒険を繰り広げてきたのだ。

総裁 「ともあれわがエビコー鉄研の重大危機なり。いずれリアルでも会合したいが、ここでわれらの信頼と結束をまた確としておきたい」

詩音 「そうですわねえ」

総裁 「うむ」

 総裁はケータイから目を離し、さっきまでいたKKBの入っている高層ビルを見上げた。真夏日の容赦の無く痛みすら伴う日差しとそのビルは、まるで剣劇をしているかのように向き合っているように思えた。その強烈さは、生身の人間ではとても耐えられそうにない。

 だがこの世界で生きていくということは、それに生き残るしかないのだ。耐えられないとしても。

 総裁は逮捕されたカオルの身を思った。彼女の胸はいまにも潰れそうだった。


 総裁は唇をもう一度引き結んだ。

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