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 黒い建物はその円屋根だけを地に伏せたような形をしている。その周りに四角四面の成型した煉瓦のような形の小さめの建物が並んでいる。遠目には色が同じなので、建材も同じに見える。昨日ちらりと見たときは周囲の四角い建物と中央の丸い建物が一塊りに見えていた。だから、錫金の代官府よりも低く、丸屋根を大きくしたような建物だと思っていた。だが、今違った角度で見ると別々の建物であり、代官府のように二階まで垂直な壁がたち、丸い屋根が乗っているというものではない。壁からもう曲線を描いている。

 『匂い』が湧いているのはその手前だ。動物ではありえない、甘い『匂い』がしている。あまり濃くなく、軽く小さめのふんわりとした泡のように思える。子供が時々こういう『匂い』を出すときがある。そういう時は大抵楽しいんだな、と思うのだが、今そんなことを思う人間がこんなところにいるだろうか。

 そよ風に吹かれたように、その『匂い』はこちらへ流れてくる。これは(ハク)たちに対する『匂い』なのは明らかだ。

 しばらくその『匂い』に気を取られていると、すぐそばで二つ目の大きな『匂い』の塊が急に膨れ上がり、(ハク)を包み込んだ。その刺激の強さに一瞬目を瞑ってしまう。一体何の『匂い』で、誰が発しているのか、という答えは次の瞬間、二頭の牛が駆け出したことで分かった。背を撫でていた手の下で毛並みの感触が滑り出し、(ハク)が目を開けると、黒の建物の方向へ二頭は走っていく。

 もう一つの『匂い』を目指して。

 怖がっているのに、なぜ。紛れもなく、あれは危険を察知した時の『匂い』だ。動物なら一番強く、間違えることがない。あの『匂い』が立ち昇ってすぐに二頭は反応した。それは偶然とは思えなかった。しかし、恐れているのはその『匂い』ではないのか、そちらの方向へ向かっているということは、背後に何を察知したのか。

 二頭が進む方向に(ハク)も走り出していた。自分たちがここから脱出するにも牛がいたほうがいいのも理由だが、怖がっている二頭を放ってはおけなかった。半ば反射的に走りだしながら、後ろを振り返る。牛が駆け出す足音でも聞きつけたのか、蘇順が家の戸口から顔を出してこちらをびっくりした顔で見ていた。碧天の姿は見えない。

 家の間から薄く曇った灰色の空と、雪で染められた地面の広がりが覗く。見える範囲で他に誰かがいる様子はない。この時期、一番警戒するのは雪崩と天候の異変だが、南側にはそれらしい前兆は見当たらない。

 前を向くと、二頭はどんどん走っていく。もう、『匂い』の源がある地点に達するだろう。背後から蘇順が何か叫んでいるのが聞こえる。

 もう、追いつくのは無理だ。さすがに『匂い』の主のもとにまで行ってしまうわけにはいかない。あの二頭は『匂い』の主のところに呼ばれたのだろう。『匂い』を嗅ぐ(ハク)には、あの二頭が『匂い』のもとに走って行ったことがわかるが、普通ならなぜ二頭が突然走って行ったか分からないはずだ。それが『匂い』の主の狙いだろう。

 (ハク)は立ち止まり、二頭が走りこんで姿を消した家の角を眺めた。石垣に一番近い家で、間違いなくその向こうに罠を仕掛けようとした誰かがいる。

 

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