従兄
白は、湿ってべたべたした柔らかいものがそっと頬に触れる感触で、目を覚ました。自分の小屋ほどは安心できないものの、知り合いの牧場のほうが、初めて会った隊商の連中よりは安眠できた。目を開けると玄が鼻先で白をつついていた。
「よく寝てたな」笑いを含んだ声が入り口から聞こえてきた。白はそれには直接答えず、玄を撫でた。牛舎の中を見回すと、30頭ほどの牛がそれぞれ数頭ずつ、区切られた土間に入れられている。
「おまえが連れてきた奴らも牛舎に入れてやったぞ。感謝しろ」
孫維は白が返事をしなくても気にしていないようだ。両手に皿を持って、白に手渡してくる。「腹減ってるだろ。食うか?」皿には焼いた鶏肉に、蘇と漬物が添えられ、平たく焼いた餅が数枚載っている。そんなものを見せられたら、さすがに空腹であることを自覚してしまう。孫維は白に「茶を持ってくる。その辺に椅子があるから、皿を載せとけ。手も洗って来い」と言うと、さっさと牛舎を出ていった。
白は牛舎の傍らの井戸で水を汲み、手を洗った。ついでに顔も洗う。そろそろ水浴びをしたかったが、もう日が傾いている。気温を考えると髪を洗うのは明日のほうがいい。
牛舎に戻って、早速鶏肉にかぶりつく。「おいおい、俺の分も残しておいてくれ」孫維が茶碗を二つと皿を載せた盆を運んでくる。「おまえも食べるのか?」白はできるだけ嫌そうに言った。孫維は「お、出た出た。白の仏頂面。いやあ、久しぶりに見るな」と、まるで堪えていない。
遠慮なしに食事を詰め込み、空腹が紛れてくると、白はじっと孫維を見た。孫維が白に対してこんなに朗らかな様子だったことはない。「詐欺でも成功したのか、浮かれてるな」
孫維は少し真面目な表情になった。「相変わらず毒舌だな。まあ、そうそう打ち解けられるわけはないか」
孫維は白の従兄弟だ。白の母親の兄が、孫維の父親である。一応白の名前は孫白ということになっている。父親はいない。母親も白を産んで数日後に亡くなった。
孤児になった白を育てたのは、孫維の父親である伯父の孫達だ。と言っても、白自身にはあまり実感がない。物心ついた頃には家とも呼べない小屋で一人寝かされ、食事は日に二回、伯母や孫維、時には近所の誰かしらが運んでくれたものを食べていた。飢えない程度には食べさせてもらったが、それ以外は一人でその辺を這いまわった記憶しかない。たまに伯母が体を拭いたり、服を替えたりしてくれたが、その時に突然叩かれたり抓られたりするので、伯母が来ると小屋から逃げ出した。そのせいで白は汚い子供だった。
冬の小屋暮らしはさすがに凍死する恐れがあるので、母屋に入れられたが、孫維が「臭いからあっちへ行け!」と物を投げつけてきた。それで結局母屋の続きにある家畜小屋の干し草の中で、牛と一緒に過ごすことになったのだ。
その頃の孫維ときたら、しょっちゅう焦げ臭い『匂い』をさせていた。時々つんとする刺激臭や獣臭さを感じることもあった。それらは伯母とほとんど同じで、今なら伯母の気持ちに同調していたのだとわかる。小さな子供にとって、母親の感情は何よりも尊重されるべきものだ。
腹が満たされた白は、まだ食べている孫維を横目で見ながら『匂い』を嗅いでみた。獣臭さが少しする。普段玄たちから感じるものよりやや弱いくらいのものだ。それ以外に、今まで感じたことのない、林檎の花のような香りがする。微かに甘く、軽く酸味が効いている。
子供のころは孫維の『匂い』は濃かったが、年々薄れて、孫維が村を離れるときにはずいぶん薄いものになっていた。それでも刺激臭は残っていたのだが。ここに来た半年の間に、孫維の感情は変化したのだ。白はしばらく考えてから、孫維に尋ねた。
「おまえ、もしかして男になったのか?」