立ち合い
物音を立てないように、ゆっくりと声がした方向に寝返りを打ち、声の主を探す。焚火から少し離れたところで二つの人影が焚火と逆の方向に歩き出した。
白は、周囲の牛たちや牛飼の様子を窺った。皆寝静まっているようだ。起き上がって屈んだ姿勢のまま、そろそろと移動を始める。
街道を外れると、落葉樹の森が広がっている。辺境でもこの辺りはまだ高度が低く、雨もよく降る地域なので、多くの動植物が生息している。寝る前に虫よけの栴檀の香料を塗っているが、虫の多そうな茂みを避けながら、木の陰に隠れつつ、二人を追いかける。一人はがっちりした体格から、盛容のようだ。もう一人は小柄で、手足の先だけが覗いたような服装をしている。碧天だ。
こんな時間に二人きりで、どこへ行くのか。見失わないぎりぎりの距離で、後をつけていく。月は出ているが、三日月なのでそれほど明るくはない。地面をうねる木の根や、膝から下の叢が足に絡んで面倒だ。
かなり歩いたように思うが、距離としてはそれほどではないだろう。整備されていない森の中だから、余分に時間がかかるはずだ。
二人は小川のほとりで足を止めた。森から小川までは緩やかな下り坂で、木がまばらになって拓けていた。二人は向かい合ってしばらく立っていた。話をしているのだろうが、白には声が聞こえない。この距離では声を拾うのは難しいが、姿を隠すため森から出るわけにはいかない。
やがて二人は少し距離をとり、盛容が剣を抜いた。そして碧天に向かって軽く跳躍した。金属音が響く。碧天のほうはいつ抜いたのか、両手に短剣を持って、盛容の攻撃を防いだようだった。
盛容が右に左に攻撃していく。碧天は防戦するばかり、逃げ出しはしないが、攻撃らしい攻撃はしない。
しばらく見ていたが、白は退屈になってきた。碧天はあまり立ち位置を変えずに、ひたすら盛容の剣を受け流している。盛容のほうはだんだん移動を始め、剣の動きも多彩だった。これ以上近づけないし、立ち回りをしている間は会話もないから、情報収集にならない。二人が戻るまで待つしかない。
眠気をこらえながら、どれくらい待っただろう。白はいつの間にかうとうとしていたが、剣撃が止み下草を踏む気配で目が覚めた。野営地に戻るつもりなのだろう、白のほうに向かってきている。今動くと気付かれるかもしれない。
「やっぱり筋力がなさすぎだ。意図的に訓練しないと、これ以上は力がつかないぞ」幾分低い声が聞こえてくる。「明日から歩け。他の奴らとも立ち合うのもいい。それから」「やらない」「おまえなあ」
声に苛立ちが混じるのと同時に、白は切りつけるような鋭い『匂い』を嗅いだ。熱に襲われた感覚の『匂い』だ。殺意かと思うほどに色濃く匂う。だが、次に焦げる『匂い』がそれを飲み込む。続いて、花を思わせる甘い『匂い』が湧いてくる。三つの『匂い』が混じりあった。
「力はいらない。というか、私には無理なんだ。だから、かわす術を磨く。それで十分だ」碧天の落ち着いた声音に、盛容の『匂い』が少し弱まる。二人が白の手が届くところを足早に歩いていく。
盛容の後ろ姿の横手から、ちらりと碧天の顔が覗き、白と目があった気がした。「どうした?」と言った盛容の肩に、碧天は手をまわして「なんでもない」と答えて去っていく。