牢
牢と言っても普通の家らしい、とまず思った。衛も何度か廃村には来ていたし、物資を運んだり、家の内装を変えるのを手伝った。板張りの床は衛の力作だ。その時は牢の話は出ていなかったから、衛は全く関与していない。
それでもそういうものが設けられていることは全然意外ではない。この冬は本格的には使わないと聞いていたので、まだそこまで手を付けないのだな、と思っただけだ。いずれは作るのだろうとわかっていた。
家畜小屋には、熾きの入った火鉢が入れられていて、それが柔らかい光源になっていた。しかし牢にはそれがない。落日の残光がある外のほうがまだ明るい。
目が慣れると少しは見えるだろうが、火鉢は必要だ。三人を凍死させるつもりはない。三人を中に入れて、自分は火鉢を持ってこようと振り返ろうとした時、微かな呻き声が聞こえた。
そして血の匂い。
咄嗟に外へ飛び出て、身構える。声は家の中からした。この牢に誰か囚われているのか?怪我をしているのか?
碧天という王都から来た商人の若者が、黙って灯りを差し出してくる。小振りの蝋燭だ。これも外套の懐から出したものだろうか。まるで衛が飛び出てくるのがわかっていたかのような周到さだ。前もって準備しておいたように思える。
なにか仕掛けられているような気がして、蝋燭に手が出ないでいると、碧天がふっと鼻で笑った。それまでの知的な美女という印象が剥がれ落ちた。碧天は蘇順を足元に座らせてから、扉をくぐった。衛は我に返って、慌てて後を追い、家の中に戻った。
蝋燭の火では十分な明るさはなかった。扉を入ってすぐは土間で、何も置いていない。碧天が屈みこんで呟く。「血だ」
衛も下を探すと、小さな飛沫の跡がある。戸口から家の奥へと続く。量としては僅かなもの、掠り傷だ。
再び家の奥から呻き声がする。それから床に何か当たる音だろうか。荒い息遣い。いや、息を吸おうとしているのか?
碧天が素早く奥へ走り、衛はそのままついていく。板張りの床は他の家と同じだ。血の飛沫が見える。それほど多くはない。牢と言っても鉄格子があるわけではないのだな、と思う。
碧天の背中が衛の視界を遮っている。その碧天が屈み、肩越しに人の足が見えた。色はわからないが、長靴を履いていて、床の上を小さく叩くように動いている。
「私の声が聞こえますか?私は医者です、どこか苦しいところがあるんですか?」碧天の明瞭な声が聞こえる。碧天が医者だと名乗った。この人は怪我をしているんだ。
虜であるはずの碧天に、先へ行かせたのは、恐らくこういうものを目撃することになると予想していたからだ。碧天には医術の心得がある。自分よりも慣れているだろう。衛は偵察をしている。それなりに戦闘訓練はしているが、実のところそれほどの手練れではない。真面目に訓練はしていても、戦闘の経験はそれほどないのだ。
それにここは牢だ。ここにいる怪我人は衛の仲間ではなく、虜、衛たちの獲物だ。手当は一応されているのだろうか?それとも傷物にしたくない獲物ではなく、邪魔になった者か?もしかして敵なのか?




