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『匂い』

 どうせなら、もっといろいろな情報がわかるような六感がよかった。そう思うこともしばしばある。だが、この感覚で、助けられたこともあるのだ。


 いつだったか、雇われ仕事を終えて、早く小屋へ帰りつきたいと近所の裏路地を歩いていた時、ふと前方から匂いがしたことがあった。鉄錆の匂いだ。(ハク)は立ち止まってあたりを見まわした。放り出されて雨に濡れた農具でもあれば、『匂い』の説明はつく。

 見当たらない。『匂い』は数十歩先の家の陰から漂ってくる。もしかしたらそこに鉄くずか何かがあるのかもしれないが、(ハク)は踵を返して、来た道を引き返し始める。

 「おい、待て!」

 聞き覚えのある声を耳にして、(ハク)は弾かれたように走り出す。かなり太い薪が太ももの横を飛んでいく。咄嗟に次の角を曲がり、可能な限り足を動かした。

 「覚えてやがれ!」

 遠くから叫び声が追いかけてきた。何を覚えておくというのか。そんなことは何もない、いきなり薪で殴られるような、理由なんか。


 (ハク)の解釈では、血の『匂い』は害意を示している。敵意とは少し違う。(ハク)は害意は結構向けられるが、敵意はあまりない。他人同士の間で知った、敵意は物が焦げるような『匂い』だ。

 (ハク)の嗅覚は、他人が他人に向ける感情も嗅ぎ取ることができる。『匂い』がどちらから来てどちらに流れていくという方向が分かるのだ。

 そのおかげでこの三日の間に、隊商の人間たちの関係をおおよそ把握することができた。

 長である盛容はほぼ全員から信頼されているようだった。副長の関路はそれほどではないが、五名ほどからは盛容以上に親しみを持たれていた。それ以外にもそれぞれの親しさがあったが、(ハク)が驚いたことに、全体として相互の信頼関係が成立している。そこから考えると、やはりこの隊商は傭兵なのではないか。この信頼関係を見るとかなり練度の高い隊のようだ。

 そして碧天はその関係の中にはなかった。ほとんどの者は時折薄い関心を彼に向けている。恐らく個人的な関心はなく、仕事の対象として考えられているのだろう。例外は盛容で、碧天に向ける関心は濃厚だった。

 しかし(ハク)がはじめ考えたように、盛容たちは雇われた傭兵で、碧天だけが商人であるという想定だと、盛容と碧天の関係がよくわからない。単なる顔見知りとは思えない。盛容から流れてくる『匂い』は複雑なものだった。刺激、甘さ、香ばしさ。柑橘を思わせるときもある。香ばしさは焦げよりは弱いが、反発を感じたり、相手に負けたくないと感じるときに現れる。

 対する碧天のほうがわかればもっと理解できるはずだが、なにも流れてこない。盛容の感情から考えると、碧天とは個人的な関係がある。

 隊商の情報を得ようと、休憩時に(ハク)は火の傍に近づくようにした。会話に耳をそばだてるだけでも、何か得られるかもしれない。牛たちから離れるのはあまり好ましくなかったが、仕方がない。

(ハク)自身には関心を持つ者はいなかった。碧天の感情はわからないから、断言はできないが、特別に疑われてはいないと思う。休憩のたび、碧天は全員に茶を配った。全員を名前で呼んでいるようだ。(ハク)だけが特に話しかけられているわけではないようだ。


 この季節は雨の心配はないので、夜は特に天幕も張らず毛長牛の毛を固めた絨毯を地面に敷き、玄を枕にした。もう一月もすれば、こんなふうに野宿はできなくなる。毛長牛もいるし、山犬や狼の心配もなくはないので、隊商の数人が交代で見張りをするという。牛飼は寝かせてもらえるので、有難い半面、不審が募る。 

 六感ではこれ以上情報を得られそうにないし、目立たない範囲で観察したり聞き耳を立てたりするのも限界だ。三度目の泊りの晩、次に打つべき手を考えると目が冴える一方だった。何も思いつかないなら、眠ってしまったほうがいいと思うのに、周囲の呼吸や、微か空気の震え、見張りが囲う焚火の揺らめきが神経に触った。

 いらいらと寝返りを打った後、しばらくして「少し離れる」と言う囁きが聞こえた。

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