湖沼
ようやく探し当てた災難は、碧天の目の前で一人が崖から落ちていくという形で実現していた。
碧天は湖沼の周囲を素早く見まわした。木は生えていない。浮きになりそうな枝なども落ちていない。低木の茂みがあるが、枯れ切っている。命綱の支えにはなりそうにない。浮きになる可能性はあるが、崖からは遠い位置にあるので、そこまで持っていくのが大変そうだ。
碧天は外套と長着を脱ぎ捨て、湖沼に踏み込む。この時期だから、水はひどく冷たい。だが、予想通り水量は少なそうだ。
落ちた人間が浮き上がってきた。ゆっくりと手を動かし、浮くように努めているようだ。思ったより冷静に行動している、と安堵する。落ちた高さもそれほどではない。水中で跳躍して水面に顔を出して息をし、沈むを繰り返している。
近づいてみると、白だとわかった。
手を伸ばして白の顎を掴んで引き寄せる。驚いてばたつくのを、もう片手で脇を持って安定させる。白の外套は邪魔だが、幸い少し移動すれば湖底に足がついたので、十分な推進力は得られた。白自身もすぐ落ち着き、岸に向かうことができた。
白は自分を助けた者を見た。碧天だとわかったが、もう感情が麻痺しているのか、驚きはなかった。ああそう、という感じだ。それよりも呼吸ができるようになったことのほうが大事だ。
だが、蘇順の狙いはわかっている。刺殺は難しい。そういう刃物の使い方を蘇順はしたことがない。実際、白は肩を少し切られただけだ。脅しのために刺しただけだろう。
溺死も難しい。それなりの水量や水流は、もっと離れた流啼谷辺りでなければ無理だろう。
碧天に支えられて、少しずつ水から出ていく。体が重く感じる。そして痺れるような感覚がある。歯ががちがちと鳴る。全身ずぶ濡れだ。
一人だったら、村まで帰りつけるかどうかわからなかった。村に帰り着けなければ凍死しただろう。
碧天も濡れているが、頭部は沈まなかったので、頭髪は乾いている。自分の下着をできるだけ絞り、革靴を脱いで逆様に振って水を切る。
「自分でも絞れ」と言い、白の外套と長着を脱がせて、絞り上げる。音を立てて水が落ちる。かじかむ指で下着を握るのは思うようにはいかなかったが、何度もやろうとした。碧天が屈んで靴を脱がせてくれる。
地面も凍ったように冷たい。靴に溜まった水を捨てると、油を塗りこんでいるせいか思いの外水切れがよかった。冬の前にちゃんと手入れをしておいてよかった。
髪の毛を絞っていると、碧天が自分の外套を着せてくれた。乾いていて、玄に寄り添ってもらったみたいに暖かい。碧天は自分の長着だけを着こんで白の服を一まとめにして右肩にかけた。左手を腰に回したところで、白の肩の傷に気がついた。
「冬でよかったな」とつぶやき、白の懐に右手を突っ込む。驚くよりも先に体が大きく震える。碧天は自分の外套の懐から手巾を取り出し、細長く畳んで下着の上から肩の傷を縛った。
そちらの肩には触らないように反対側に回り、碧天に支えられながら歩き出す。
「蘇順を見た?」碧天は蘇順とは作業所で会っているはずだが、覚えていないかもしれない。だが、こんなところで白と蘇順以外の人間はいるはずがない。碧天は頭を振る。




