到着
落ち着け、と白は心の中で呟く。『密偵』は何も言っていなかった。だが、彼らがどこで誰を襲うかなんて、知らされたことなどない。
碧天がこちらを見た気がした。いや、ただの気のせいだ。あの夜中の立ち合いを見た時のように、目があったと思ってしまうだけだ。不安を感じている自分のせいだ。
どちらにせよ、あと数時間で団徳に着く。『密偵』にはこの隊商は危険だと伝えた。手引きをしろとは命じられていない。だから特に後ろめたく感じることなどないはずだ。『密偵』に伝えたことはたいした情報じゃない。誰にだってわかるようなことだ。
『匂い』だって、白に悪いものはない。誰も白を疑ってはいないはず。
それでも、碧天からは何の『匂い』もしない。こいつが何を考えているのか、わからない。それが余計、不安を煽る。
他の人達からは、『匂い』が流れてくる。感情の『匂い』がわからない人間なんて、今までいなかった。
はじめは自分の六感が鈍っているのか、とも思ったが、他の人間の『匂い』は問題なく感じている。ならば考えられることは、碧天が『匂い』を阻害するような六感を持っているということ。
それがどんなものなのか、阻害するだけならまだいい。それ以上に厄介なものだったら。
他人の感情がわからないのが、こんなに恐ろしいことだとは。
そこから先の行程は、正直なところ白の記憶にない。慣れた道だからそれでも辿っていけた。毛長牛たちは我慢強く歩き続け、隊商の面々は白とはまったく違うところにいるように見える。誰も白を見ないし、白の様子に気づかない。
村の周囲に広がる段々畑が見え、そこから一段嵩高くなった村が目に映る。小さな村だが、堀に囲まれ、柵もきちんと作られている。村の入り口は一か所だけ、二人の門番が立っている。
鳥遣いから、隊商が立ち寄ることは連絡済みだったようだ。鳥を送るのはかなり高額になるが、これだけの人数を泊めるのは、小さな村にはかなりの負担だ。物資は持ちこむとしても、事前に準備が必要だから仕方がない出費だったのだろう。
見知った顔が、あちこちの路地や窓から覗いている。同時に『匂い』も漂ってくる。知り合いに会えることが嬉しいと、錫金で会った平蘭は言っていたが、白はそうは思わない。自分を知らない人のほうが、優しい穏やかな『匂い』であることをどう考えたらいいのか。
駅府の前で、一行は解散する。錫金の時と同じように、今後の予定を確認しあい、牛飼たちは賃金の支払いを受ける。引き続き雇用を希望する者は、旅館に滞在する。
団徳に家があるのは白だけだ。
ここで離脱するのも白だけだ。この先は同行しないことを伝えると、碧天は顔色一つ変えずに、笑ったままだった。「それは残念」
『匂い』はなくてもそれが嘘だとわかった。
牛飼たちが牛を連れて去った後、呼び出された村長が現れた。駅府の門の鍵を預かっているのは村長だからだ。盛容に許可書を手渡され、吟味を終えたのち、隊長と副長の2人と拱手での挨拶を交わす。村長は門を開け、簡単に中を案内する。
駅府は正殿と東西に副殿を二つ構え、山側に広い庭がある。村長に西南の倉に物資の運び込みを頼み、隊商の半数にも運び込みをさせることにした。残りの半数を駅府の探索と掃除に振り分け、その後の指示は副長の関路に任せることにして、正殿の執務室に待機させた。
隊長の盛容と、碧天は二人で東の副殿の一室に向かった。