帰路
そう強くもない風に煽られた鼻先に、針を刺されたような鋭い痛みが走る。
十二月も中旬を回ったこの頃、肌が露わになっている部分を如何に無くすかで快適具合は大きく左右される。上着のポケットに両手を突っ込み、肩をすぼめて歩く久秀は、先刻に捨ててしまったマスクの事をほんの少しだけ後悔していた。
二十二時を過ぎた通りはがらんと空き、余計に身を刺すこの寒さを助長する。流行り病への懸念も手伝ってか、駅から程近いこの通りも、ここのところはいつも寂れて見える。
街灯と自販機の明かりを交互に見送り続けると、不意に視界が闇に覆われ、またすぐに街灯の明かりがそれを払う。かと思えば再び暗がりの帳が降ろされる。視線を上げれば、明滅を繰り返す街灯が目に入り込んだ。接触不良か、それとも球切れが近いのか。いずれも取るに足らない小事で、久秀には全く関係のない話に違いはなかった。
大通りから住宅街へ続く横断歩道で足を止めさせられた。車の往来どころか、エンジンの音も遠くから届くライトの光さえもない。それでも律義に信号機が青に変わるのを待ってしまうのは、久秀の生真面目さだけが所以ではない。単に長年に渡って染み付いてしまった習慣によるものでしかない。
等間隔で引かれた白線を目にし、幼い日に白線渡りなる遊びに興じた記憶を喚起させられる。付随した幾つかの懐かしい記憶のノスタルジーに浸りつつ、気持ち大股で渡り切った。
吐く息の白さは世闇に溶け消え、寒空で瞬く星たちは身動ぎのひとつもせずに下界を見下ろしている。宇宙空間に四季などは存在せずとも、あの星々のいずれかには地球同様に四季を備えている物もあるのだろうか。解の見えない問いを浮かべ、それ以上は特に考えるでもなくどこかへと除け捨てる。そんな、他愛ないを繰り返す。
寒さ厳しいこの時期でも、雑草の強さは健在である。街路の数段しかない階段の隙間から名も知れぬ小さな花を咲かせている植物が目に付いた。特段に思いを馳せる対象にも至らぬが、ほんの少しばかりその強さを羨ましく思う。
似た雰囲気の戸建てが並列する街路の先、もうしばし歩き進めれば久秀の借り受けているアパートが見えてくる。寒空を眺める帰路も終わりが近い。名残の惜しさなどとは無縁だが、久秀はどこかこの家路を辿る道中を楽しんでいる自分がいる事を自覚していた。
何もない。然し、それがこの上のない癒しを人々に与える。
あらゆるモノで溢れるこの世に於いて無とは、意外にも貴重なものなのかもしれない。
久秀は小さく鼻で笑うと、慣れた手つきで自室の扉を開けた。
半年に1回でも、たった1000文字程度でも書くことが大事。(戒め)