第二話「始まったゲーム」
静まり返る教室内。その女性の表情は冗談を述べているわけでも、ドッキリを仕掛けようとしているわけでもなさそうなもの。
「ゲーム、でしょうか? その前に貴方様は一体…」
「うん、自己紹介が遅れたね。私は我が主神に仕える悪魔の一人――暴食の象徴"ベルゼブブ"…という名前で、交配種のみんなを罰する役目があるの」
「ベルゼ…ブブ…?」
級長は女性の返答に困惑している。級長だけでなく私たちでさえ、誰一人として理解できず、眉をひそめていた。
「悪魔…」
私の後ろの席で、心当たりでもあるのか"オタクくん"がボソッとそう呟く。確かに名前ぐらいは聞いたことがある。ベルゼブブは"蠅の王"と呼ばれている悪魔だと。
「今から交配種のみんなには、とあるゲームをしてもらいます!」
ベルゼブブと名乗る女性は、長い茶色髪を軽く片手で流し、教卓の上に先生らしく両手を置く。
「ゲーム名は【暴食ゲーム】! 交配種のみんなが一致団結して、たくさーんの"モノ"を食べるゲームです!」
「うわっ…?!!」
そう説明をしつつ、右手を振り上げれば、窓を突き破って大量の"蠅"たちがなだれ込んでくる。窓際の席に座っていた私たちはその場に立ち上がり、廊下側へと避難をした。
「ゲームは"三ラウンド"。一ラウンドごとの制限時間は"三十分"です。それまでに運ばれてきた"モノ"をすべて食べ切ってください!」
黒板を覆うほどの蠅がなだれ込み、そのまま廊下側へと突き抜けていく。説明を聞き終え、やっと黒板が見えてきた頃には、
「…何あれ」
コンビニでよく見かける菓子パンやお菓子類が、教室の天井に届くほど山となり積み重なっていた。しかもその山は、二つ分もある。
「もし制限時間以内に食べ切れなかった場合は――」
「おい」
更に付け加えて説明をしようとしたベルゼブブに、不良の宮本宗介が睨みながら詰め寄った。
「さっきから聞いてればよぉ…。何なんだよテメェは? そういうドッキリか何かか?」
「先生の話は最後まできちんと聞きましょうね。質問があれば、ちゃーんと手を挙げ――」
その返答にカチンときた宮本宗介は、ベルゼブブの胸倉を左手で掴み上げる。
「るせぇんだよ!! テメェのごっこ遊びに付き合ってやれるほど、オレは暇じゃねぇんだ!!」
「"手を挙げる"っていうのは、そういうことじゃありません」
ベルゼブブは宮本宗介の左手を自身の右手でがっしりと掴み、難なく引き剥がしていく。生粋の不良で、力自慢。そんな宮本が抵抗をしているというのに、まったく抗えない。
「先生は荒っぽいことが苦手だけど…。みんなにも分かってほしいから…」
そしてベルゼブブが哀れみの視線を宮本に送った、その刹那、
「――は」
宮本宗介の左手首から先が、ベルゼブブによって引きちぎられた。
「ぅあぁあぁぁぁああーーッッ!!?」
「それでは続きの話をします。もし制限時間以内に、運ばれてきた"モノ"を食べ切れなかったら――こうなるよ」
断面図から噴水のごとく流血する宮本の左手首。床の上でのたうち回る彼を他所に、ベルゼブブは引き千切った左手を宙に放り投げる。
「蠅が…」
そこへ寄ってきたのは先ほどの蠅たち。エサを喰らおうと、宮本の左手に密集し、教室内に黒色の球が浮かび上がった。
「食べられなかったら、交配種のみんながこうやって"この子たち"に食べられちゃいます」
床へと落下したのは、肉や皮をすべて貪られた後の左手を象る"骨"のみ。蠅たちは名残惜しそうに、しばらく辺りを右往左往し、瞬く間にその場から飛び去っていく。
「それじゃあ、始めよっか」
全員のスマートフォンから単調な電子音が鳴り響き、各々その画面へと視線を向ける。私もまた、鞄に放り込んであったスマホを覗き込んでみれば、
「時間が、進み始めてる…」
"三十分"という数字が大きく表示され、刻一刻と一秒ずつ減り始めていた。
「……」
そこから一分経過したが、どの生徒もその場に立ち尽くし、動こうとはしない。ああそうか、どうすればいいのか分からないんだ。
だって私も、動くことができないのだから。
「っ…!」
そんな状況下で動き出したのは級長。自身のブレザーを投げ捨てて、のたうち回る宮本宗介の元へと駆け寄った。
「皆さん! ここにあるものを全力で食べ切りましょう…!」
そしてその下に着ているカッターシャツを強引に破り、宮本宗介の手首にきつく縛り付けて、応急処置を施す。
「生き延びたいのなら、行動を起こしてください!!」
級長の叫びにより、呆然としていた生徒たちが必死になって、積み重なる菓子パンやらお菓子やらを手に取る。
「オレの、オレの左手がぁあぁ…!!」
「出血が酷い…。このままでは、いつか血液が足りなくなって…」
その惨状に、私は動けない。というより血生臭い教室で、食べ物を口にすること自体が間違っている。しかも、あのあり得ない量をすべて完食しなければならない。そう考えただけで、胃液が逆流しかけ――
「…朱音!」
勢いよく背中を叩かれたことで私は我に返り、込み上げてくる胃液がそこで止まった。
「由香…」
「サボっちゃだめだよ! これはみんなで乗り越えないといけない"ゲーム"なんだから!」
「それも、そうだけど…」
どうしても現実を受け止めきれない私に、由香は両肩にその手を置いて、
「私だってまだ混乱してるよ…! でもあの人が本気だってことぐらい、朱音にも分かるでしょ…!?」
「……」
「残り時間はもう二十分もない! みんなで協力しなきゃ、みんなで死ぬだけなんだよ!!」
何度も大きく揺さぶった。私は親友の言葉で少しだけ目が覚め、真っ直ぐに由香の瞳を見つめる。
「そうだよね。私だって死にたくないし、今はアレを食べ切ることだけ考えてみる」
こちらを見つめるのは、ベルゼブブと名乗った女性。その視線はまるで教師が生徒の成長を見守るかのようなモノ。
(ほんっと、五三…)
私は嫌な奴だとベルゼブブを睨み返してやり、由香と共に積み上げられた"食べ物"たちを口にすることにした。