第一話「終わった日常」
朝起きた。顔を洗って、歯を磨いた。電子レンジで温めた昨晩の夕食を手に取り、椅子に座った。机に並べた箸は、箸置きがないから取りにくい。そのせいで一本だけ床に落とし、それを洗いにキッチンへ向かった。
「五三…」
吐き捨てるようにそう呟く私の名前は九条 朱音。この赤羽町に遥々一人でやってきた高校二年生。
両親の元から独り立ちする決意を元に、この町に建立している赤羽高等学校に去年入学した。
「うわぁ、今日小テストあるじゃん。ほんと五三」
独り立ちをした理由は、両親が嫌いだったから。何があっても、自分らで勝手に組み立てた常識を私に押し付けようとするおこがましさ。それに嫌気が差し、田舎の町から都会の赤羽町へとやってきた。
「おまけにバイトもある…。ほんっとに五三」
ちなみに先ほどから口走っている五三というのは、そのまま『ゴミ』という意味で使っている。
これなら汚い言葉を吐いていることが、大抵相手にバレない。そのうえ、数字のおかげで少しだけ博識に見えるでしょう。
「あーあ、毎日つまんないねぇ…」
制服に着替え、スクールバッグを片手に持つ。玄関前に飾られた鏡で髪型をチェックし、重い足取りで外へと出てみれば、
「あ」
「おー」
アパートの隣人とちょうど鉢合わせした。男性にしてはやや長めの白髪。恰好はジャージにサンダル、片手に財布を持っている。私はコイツに言わなければならないことがあった。
「あのさぁ!? 毎晩毎晩、ほんっとにうるさいんだけど!?! ほんっとに警察に通報するよ?!」
そう。コイツは毎晩毎晩、隣の部屋で訳の分からないことを叫んでいるのだ。「クソゲー!」だとか「無理ゲー!」だとか、人様の迷惑などを考えずに叫んでいる。
「おいおいー、勘弁してくれよなー? こっちは生活が懸かってるんだからさー」
「"配信業"ってやつでしょ!! 知ってるけど、こっちのことも考えろっつーの!」
コイツの職業は"配信者"というもの。ゲーム実況や雑談を定期的にオンラインで公開し、視聴者からの投げ銭を糧に生きているらしい。二十代半ばの癖して、自分の事をみっともないと思わないのだろうか。
「夕飯の余りものを寄付してやるから、今は大目に見てくれよなー。防音室が届くまで後少しなんだよー」
「はぁ…。なんでそんなよく分からない職に就いてて、料理の腕は一人前なのか…」
悔しいことに、コイツは私の数倍も料理の腕が立つ。残り物のカレーやら、肉じゃがやらをよく寄付してくれるが、どれも美味なものばかりなのだ。
「オレよりも"料理が上手いヤツ"に教えてもらってたからなー。そこらへんの飲食店顔負けの美味さだぜー」
「はいはい。いつもおいしゅうございますー」
私よりもコイツの方が女子力高いのは流石に腹が立つ。適当な返答をしつつ、さっさと学校へ向かうことにした。
「おいおい、どうせ友達いないんだろー? コンビニまでは、オレが一緒に付いてってやるよー」
「余計なお世話だ!」
「照れんなよなー」
なぜだらしない恰好をしたコイツと共に、横並びで歩かなければならないのか。断っても隣に並ぶコイツに私は溜息を吐き、
「五三…」
自分自身の不運を呪った。コイツと変に会話をしたくないので、私は小テストの勉強をしようと、鞄から歴史の教科書を取り出す。
「勉強とかめんどいよなー」
「……」
「オレも前は嫌いだったぜー」
「……」
何千年も前、現ノ世界とユメノ世界の戦争が終結した。二つに分裂していた世界を、一つの世界。要は"今の世界"に戻した人物は『白金昴』という男性。
「オレの通ってた高校はロクなところじゃなかったからなー」
「……」
「頭も身体も、フルに使うことが多くて大変だったぜ――」
「あの、うるさいんで黙っててもらえます?」
無視しているのに、それでも話を続けようとするので、私はキツイ言葉でコイツを黙らせる。
(へー、『Noel Project』ねぇ…)
これが白金昴という男性が完遂させた計画の名称らしい。その他にも重要っぽい単語が散らばっている。取り敢えず、これらをすべて覚えておけば大丈夫でしょう。
「ちなみによー。その教科書の制作に携わったヤツと、オレは知り合いだぜー」
「はぁ…」
「一番最後のページに『雨氷千鶴』って書かれてるだろー。ソイツは高校の頃からの友人でさー」
「それ、大して自慢にならないでしょ」
確かに製作者一覧に、その名前が記載されている。だがそこまで有名人でもないうえ、これはただの教科書だから、まったく興味が湧かない。
だから私は、歴史の教科書をすぐに鞄へ放り込む。
「おいおいー。もう少し興味を持てよなー?」
「いや、どうでもいいでしょこんなこと」
コンビニの前まで到着すれば、コイツは「可愛げのないやつだなー」と去っていく。その後ろ姿を横目に、
(ああ、またアイツの名前を聞くのを忘れてた)
名前を聞いていなかったこと思い出す。前から聞こう聞こうとしていたのだが、出会う時にはふと忘れてしまっていた。今回もまた聞けなかったようだ。
「まっいいや」
また今度聞けばいい。私は学校までの通学路を再び歩き始める。
「おはよう朱音ー!」
「おはよ"由香"」
十字路まで歩いてこれば、背後から松平由香が飛びついてきた。髪型は外ハネしている茶髪のボブカット。とても陽気で、ポジティブで、私にとって唯一の"親友"。
「小テストの勉強はした?」
「ううん。してないから、無理ぽよかもぉ…」
「何でしないのあんたは…」
高校生になったら新しい自分へと生まれ変わる。その一心で黒髪で統一していた長髪に、赤色のメッシュを入れた。そのせいか、誰にも声を掛けられず、孤独に苛まれてしまう。
「でも大丈夫! "白金昴"って単語だけは覚えてるから!」
「それだと一点しか取れないじゃない…」
そんな時に由香は声を掛けてくれた。第一声は「赤羽高等学校だから、赤のメッシュなの?」というもの。あほらしい一言だったが、その一言に私は救われた。
「ねぇねぇ。今日の宮本くんカッコよくない?」
「あー、そうなの」
二年三組の教室に顔を出せば、由香は真っ先に宮本宗介に視線を移す。アイツは生粋の不良。短い金髪の見た目通り、性格もひん曲がっている。
「由香って男を見る目ないんじゃない?」
「えぇ!? そんなことないよぉ!」
反論する由香に「どうだか」と返答して、窓際の自席へと向かい、鞄を机の横に掛けた。私の席は一番窓際の後ろから二番目。由香は私とは対称の席だ。
(いつでも本を読んでるなコイツは)
私の後ろの席では御剣奈緒斗という男子生徒が、ブックカバーを付けた本を読んでいる。鞄に飾り付けているアニメキャラのストラップが痛々しい。だから誰とも関われない。
貧相な身体に、陰気臭いノーマルな黒髪。私も一歩間違っていれば、コイツみたいになっていた。そう考えると、今でも寒気がする。
「九条さん。今日の日直は貴方ですよ」
「はいはい。分かった分かった」
私に面倒事を伝えに来たのはこのクラスの学級長、陰山陽和だ。黒髪のハーフアップに、白のカチューシャ。赤ぶちの眼鏡を掛けている。
「自身の務めは、しっかりと果たしてくださいね」
「きちんとやりますよーだ」
成績優秀、容姿端麗、カリスマ性の三拍子が揃っている女子生徒。しかしコイツは持ち合わせた力が大きすぎる影響で、周囲の女子から妬まれ、友人がいない。私もコイツのことを妬んでいる節はある。
「あっ…」
ポケットから滑り落ちた級長のスマートフォンが、私の足元に転がってきた。
「……?」
それを私が仕方なく拾い上げた時、誰かと『PINE』というSNSでやり取りをしている画面が目に入る。
「ありがとうございます」
「その相手、誰なの?」
「あぁ、これですか」
友達のいない級長が誰と会話しているのかが気になり、スマホを手渡す際に私は尋ねてみる。
「九条さんは、"青葉高等学校"をご存知ですか?」
「あーはいはい。確かあの"真白町"の近くにある"青葉町"の高校でしょ」
「その通りです。そこに通う"幼馴染"と連絡を取り合っていました」
「へぇー」
級長に幼馴染なんていたのか。初耳の情報に、大きく興味を示してしまった。
「向こうも私と同じく、クラスの学級委員を務めていると聞いています」
「ふーん」
「お互いに苦しい時期ですが、共に頑張ろうとも励まし合ったりも…」
級長はハッと我に返ると持っていたスマートフォンをポケットにしまい、
「すみません、無駄話が過ぎましたね。授業も始まりますし、これで失礼します」
一礼すると私の前から去っていった。遠目で由香が何をしているのかを確認してみれば、必死になって歴史の教科書を読み漁っている。
(あーつまらない。人生五三ー)
始まるはずの朝のホームルーム。私たちは十分以上待たされた。待たされたのにも関わらず、担任の"吉田先生"はやってこない。
「ちょーきゅー! 先生来ないよー!」
「おかしいですね。いつもならこの時間には必ず…」
由香の声に、級長は小首を傾げる。徐々にざわざわと教室内の雑音も高まっていく。
「…え?」
ガラッ…と静かに引き戸が開かれれば、スタイルの良い茶髪の女性が教室内に足を踏み入れる。その服装は花が飾られ、この国を象徴する色鮮やかな和服姿だった。
「…どちら様で?」
「……」
「もしや、吉田先生に何かあって…。その代理の先生でしょうか?」
級長に返答をしないまま、女性はゆっくりと教卓の前に立ち、私たちへこう告げる。
「初めまして。交配種のみんな」
「…交配種?」
「あなたたち"交配種"には、今からステキなステキな"ゲーム"をしてもらいます」
優しそうな瞳と顔つき。その口から飛び出してきたのは、"ゲーム"という単語と、"交配種"という単語だった。