第3話 「博愛ゲーム」前篇
「一ゲーム前の話し合い、スタートで~す」
博愛ゲームが開始すれば、まず意見を述べたのは人気者の村上勇馬。アイツはクラスの学級長の方へこう声を掛ける。
「級長。前に立って指揮してくれよ」
「俺が?」
「正直、今起きていることの実感が全然湧かねぇけどさ…。オレも、みんなも死にたくない。だからこの場は、いつもみたいに級長に任せた方がいいと思ったんだ」
妥当な判断といえば、妥当な判断だ。誰か一人が指揮する人物となり、この博愛ゲームを全員で生き残るための話し合いをした方が効率はいい。
「…分かった」
級長は頷きながら了承し、席を立って教卓の前にいるミカエルへこう尋ねる。
「話し合いの十分間。何か禁止行為はありますか?」
「ん~。教室の外に出ることぐらいですね~」
「なら、黒板を使わせてもらいます」
俺たちに背を向け、黒板に白色のチョークで一~三十までの数字を円状に書き記していく。ミカエルは教師用の椅子に腰を掛け、笑顔のまま様子を見ていた。
「この博愛ゲームは、全員が同じラブポイントを毎回与えられれば、必ずゲーム終了時まで全員生き残れる。だから俺はこの作戦を提案するよ」
級長はチョークを握りつつ、黒板に生徒たちを注目させる。そこには数字が順に並べられた丸い円が書かれている。
「教室内にいる者たちの数は三十人。取り敢えず廊下側に近い生徒から、この番号を振り分けていこう」
その振り分け方ならば、人気者の村上勇馬は"四番"。級長は"十八番"。犬山由紀は"二十二番"。高峰鈴は"二十九番"。そして俺は"三十番"となる。
「各自、番号を与えられたと思う。ここからすべきことが最も大事なことだ」
そう言いながら、級長は一という番号から二という番号へ、白のチョークで矢印を付けた。
「投票が始まったら、次の番号の者へと一点投票する。三十番の一条は、一番の河井に投票してくれ」
「あ、あぁ分かった」
「最後には、全員ラブポイントが平等に五点付与され、所持しているラブポイントも五点となる。これでこの博愛ゲームは死人を出さず、完封できるはずだ」
単純明快な策だ。これなら難しい事を考えずとも、博愛ゲームで全員が生き残れる。
「俺たちは、全員で必ず生き残るぞ」
「んだよきゅーちょー! なんか、かっけぇじゃん!」
「囃し立てるな村上」
このやり取りで、少しだけ教室内の空気が軽くなった。全員で生き残るという一つの目標が、生徒たちの意識を向上させたからかもしれない。
「…これは禁止行為ではないですよね?」
「はい。先ほど述べた行為以外は、好きにしてもらっても構いませんよ~。それで"上手くいく"と思うのであれば~」
級長がそう視線を送れば、ミカエルは変わらず笑顔のまま意味深な返答をする。まるで"結末が見えている"かのような言葉の返し方だ。
「ではでは、もう投票を始めてもよろしいですか~?」
「大丈夫です」
「は~い! それではお手元のスマートフォンから、ラブポイントを投票してくださ~い!」
画面に表示された名簿表から"一番"の河井を選択すれば、『何ポイント投票しますか?』という文字が記される。
(一ポイント、だったよな…)
毎ゲームごとに一ポイントを投票してくれ、と級長から指示を受けた。だから俺は言われた通り、河井にラブポイントを一ポイントだけ投票する。
「ただいま集計中で~す」
スマホの画面には『集計中』と表示され、しばし教室内に静寂が訪れた。息を呑む生徒や、瞼を何度も瞬きする生徒。級長の作戦が上手くいくように、と祈っている生徒もいた。
「結果が出ました。交配種共、画面に注目してくださいね~」
名簿表の横にあった『0』という表記から、『1』へと変わる。流し見ではどの生徒たちも、『1』という数字が記されていたのだが、
「…え?」
「お、おい…! これはどういうことだよ!?」
一番という数字を与えられた河井だけが、唯一『2』とカウントされていた。俺はその予想外の数字を見て、呆気に取られてしまう。
「一条…!! てめぇ、俺に二ポイント投票したのかよ!?」
「ち、違う! 俺はお前に一ポイントだけしか投票していない!」
声を荒げる河井に、俺は自身の潔白を証明しようと反論する。しかし俺の弁解など河井の耳には届いていないようで、こちらに詰め寄り、胸倉を掴み上げてきた。
「落ち着け河井…!」
「んだよ級長…!! お前か?! お前が俺に投票したのか!?! それとも勇馬か?! てめぇが俺に入れたのか?!」
「俺じゃねぇよ!」
止めに入った級長に対しても、河井は牙を剥く。周囲にいる生徒たちもその状況を見兼ねて、河井を落ち着かせようと試みるが、
「あれぇ~? 一人だけ愛を貰い過ぎている交配種がいますね~」
自身のスマートフォンを見せつけるようにして、ミカエルが俺たちへ笑顔を向けてきた。河井は青ざめた顔で、俺から手を離す。
「"平等愛"を保てない交配種は…。約束通り、ここで消えてもらいますよ~」
「い、いやだぁ"ぁ"ぁ"あ"あ"あ"あ"あ"!!!」
「待て河井!」
河井はそう叫びながら、ミカエルから逃げるように、すぐさま教室を飛び出した。級長は河井の後を追いかけるために、教室を出ようとする。
「ダメだ級長…! 教室の外に出ることは禁止行為になるぞ!」
「…ッ」
それを村上が級長の腕を掴んで止めてみせた。引き戸の向こう側に続く廊下を級長はしばらく眺め、ミカエルの方へ振り返る。
「開いた扉は、閉めておいた方がいいですよ~」
「そんなことはどうでもいいんです。禁止行為を犯した河井は、どうなるんですか?」
「もう一度言いますね~。開いた扉は、閉めておくべきですよ~」
「だからそんなことはどうでもいいって…!」
平静を保てなくなった級長の代わりに、隣に立っていた村上が引き戸の扉をドンッと力強く閉める。その衝撃音が級長の声を遮り、再び教室内は静寂に包まれた。
「…おい。河井はどうなるんだよ?」
「どうなるんでしょうね~?」
「ふざけんな…! 禁止行為だって言ったのはお前だろ!? さっきみたいに河井を殺すつもりか?!」
空気が、重苦しいものに変わりつつある。俺は二人がミカエルに意見を述べる姿を、黙って自分の席で傍観することにした。
「私があの"交配種"を消すわけではないので、それは分かりませんね~」
「は…? どういうことだよ?」
「そのままの意味ですよ~。殺され方なんて、殺す本人にしか分からないことです~」
理解ができない村上は、戸惑いを隠せない。頭の良い級長も、こればっかりは察することも無理なようで、その場で俯く。
「お、おい! あ、開けてくれぇ!!」
「…河井?」
誰もが口を閉ざしていれば、村上と級長が立っている引き戸の扉が、勢いよく叩かれた。扉の向こうから聞こえてくる声は、先ほど教室から出て行った河井だ。
「良かった。戻ってきてくれたんだな」
「早く、早く開けてくれぇぇ!!!」
自分で開けばいいものを、河井は数秒経ってもその扉を開く様子がない。村上は「大袈裟な演技すんなよ」と、半笑いで引き戸に手を掛ける。
「待て」
「んだよ級長?」
「何か、聞こえないか…?」
村上が耳を澄ますと同時に、俺たちも廊下へと耳を傾けてみる。すると河井の声とは別に、獣の唸り声のようなものが聞こえてきた。
「開けろ、開けろ、開けろぉぉぉ!!!」
「言い忘れていましたが~。その扉はこの教室からじゃないと開きませんからね~」
聞こえてくるのは、獣の唸り声だけじゃない。老人が嗚咽を漏らすような声。子供がすすり泣く声。若い女性の溜息。それらが、何度も何度もループして俺たちの耳に聞こえてくる。
「はやくはやくはやくはやくゥゥゥッ!!!」
「……」
「開けてく――ぁ"ぁ"あ"ぁ"あ"ぁ"ぁ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"ぁ"ぁ"あ"あ"あ"!!!」
村上も級長も、扉から後退りをしてしまう。河井の断末魔と共に、身震いするほど"不快な音"が教室内に響き渡る。
「ううでがあ"ぁ"ぁ"あ"あ"あ"あ"しがあ"ぁあ"ぁぁぁかぁぁあ"あ"ーーッ!!!」
これは"人肉の裂ける音"と、"人骨が砕ける音"だ。そう判別ができたのは、河井の断末魔の中に"腕"と"脚"という単語があったから。俺は思わず口を押さえ、机に突っ伏してしまう。
「……」
「う、うそだろ…」
級長も村上も、教室を出ていく前の河井のように、顔が青ざめていた。すぐ向こうで、クラスメイトが得体のしれない"ナニカ"に殺されている。その事実が、二人の思考回路を停止させてしまったのかもしれない。
「――村上、級長」
「…河井なのか?」
「そう俺だよ河井だよ。戻ってきたから扉を開けてくれ」
しばらくすれば断末魔の代わりに、普段通りの河井の声が聞こえてくる。呆気にとられた村上がそう問いかけると、河井は扉を開けて欲しいと言葉を返してきた。
「…よ、よかった。生きてたんだな河井。今すぐ開けて――」
「待って、ください…!」
引き戸を開こうとした村上。それを目にした犬山由紀が突然席を立ち上がり、震えた声で呼び止める。
「…んだよ犬山。何か言いたいことでもあんのか?」
「あ、あります…! 少し、お、おかしいと思うんです…!」
「どこがだよ? いつも通りの河井だろうが」
「だ、だって…。いつも河井くんは、村上くんのことを――"勇馬"って呼び捨てにしてちゃ…していたじゃないですか…!」
人前で喋ることにやはり慣れていない。まるで呂律が回っていない口調だ。しかし訴えかけたその矛盾点は、的確なものだった。
「確かに河井は、お前のことを『勇馬』と呼んでいた。犬山の意見は間違っていない」
「……」
「それによく考えてみてくれ。俺たちはこの場で、河井の断末魔を聞いた。それ以外も、しっかりと聞いてしまった。あの状況で、河井が生きていると思うか?」
級長が犬山の意見に賛同し、村上を冷静に諭し始める。
「な、なら向こうにいるのは誰なんだよ…? どう聞いたって河井の声だろ」
「俺にも、俺たちにも分からない。けど河井の声をした――"ナニカ"だ」
村上が引き戸に掛けていた手を、徐々に遠ざけようとしたその時、
「なぁ村上。なぁ級長。ここを開けてくれよ」
「……!」
「俺たちのクラスメイトだよな? このゲームを全員で生き残って、また馬鹿をやるって約束したんだよな?」
再び河井の声が、扉の向こうから聞こえてきた。
「そうだ! どこかで俺を見なかったか? 俺がどこかに消えちゃったんだよ。村上、級長。どこか知らないか?」
「……」
「どこかに隠したのか? どこかに捨てたのか? どこかに走ったのか? どこかに食われたのか? どこかに死体のか? どこかに、どこかに、どこかに――」
河井の言葉は支離滅裂。何を伝えようとしているのか、解読不能だった。
「…お前は、誰なんだよ?」
「俺は河井だ。河井は俺だ。開けてくれ、開けてくれ、開けてくれ。河井で、河井が、河井に、河井と、河井の、河井は、開けてくれ」
「誰なんだよッ!?!」
「――俺は河井だよ、村上。クッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッ!!!」
最後に聞こえてきた声は、決して河井のものじゃない。恐らくは河井を殺した"ナニカ"。そのナニカは俺たちに、狂った笑い声を届けてくる。
「それでは第二ゲームを始めましょうか~」
和やかな雰囲気などはどこかへ消え去り、ミカエルが告げるは二ゲーム目の開始宣言。これが、クラス崩壊の予兆だった。




