第1話 「日常の終焉」
俺は一条蒼衣。青葉高等学校に通う高校二年生。誕生日は八月十一日。趣味は特になし。夢は安定した収入を稼げる職業に就くこと。こんなありきたりな高校生は、マンションの部屋を借りて、妹と二人で暮らしていた。
「にーちゃん。今日は何時ごろに帰ってくんの?」
「んー。気分かな」
「なんそれ」
二人で食卓を囲み、バターで焼いたトーストにかぶりつく。妹の名前は一条紫。髪型は黒髪のボブカット。歳は確か、二つぐらい下の中学三年生。今は受験生として、志望校を決める時期に入っていた…はず。
「紫。お前の志望校ってどこなんだ?」
「教えない」
「なんだよそれ」
妹との関係は良好ではない。それもそのはずで、俺は幼い頃に紫の面倒を見ていなかった。ウザったいと追っ払っていたのが大半。こんな兄のことを好いてくれるはずもない。
「今日、帰り遅いから」
「遅いって…。夜遊びは危険――」
「心配されなくても大丈夫でーす。ほんじゃあ、家の鍵ちゃんと閉めといてねー」
そしてこの始末。ならばどうして二人で暮らしているのか。それはたまたま妹が志望した中学が"青葉中学校"。"青葉大学"の付属となる中学だったからだ。これによって、両親から「お金もかかるから、二人で暮らしなさい」と言われ、お互いに渋々了承した。
(ほんっと可愛げのないヤツ…)
世話をしてやらなかった俺の自業自得。にしても、少しぐらい情報共有はしておきたい。俺だって通っているのは"青葉高等学校"。青葉大学の付属校だ。力になれることだってある。
(ま、そのうち向こうから聞いてくるだろ…)
玄関に鍵をかけ、靴を履き直す。今日もまた変わりようのない日常が始まる。そう考えた途端、思わず溜息をついてしまった。
「おはよう」
「あぁ、おはようございます」
そんな俺に青色の長髪を持つ女性が、普段通り挨拶をしてくれる。
「まだ妹と打ち解けられないの?」
「はい…。俺、嫌われてるみたいで…」
この人は隣に住んでいる女性。俺が引っ越してくる前から、このマンションに住んでいるらしい。
「…そう」
女性から名前も歳も聞いていない。けれど俺が見た限りでは、おそらく二十代半ばだ。印象はやや無愛想で、クールビューティーという言葉が似合う大人の女性。
「それじゃ、行ってきます」
「…行ってらっしゃい」
部屋の前でこの女性としか出会わないことから、"独り身"で暮らしている可能性が高い。なんて下らないことを考えながらも、青葉高等学校までの通学路を歩き始める。
(そういや、歴史の授業で小テストがあったな)
歴史の教科書をスクールバッグから取り出し、前回の授業で進めたページを開く。
(戦争に…。救世主と教皇か…)
何百年も前、この世界は救世主が統率する現ノ世界と、教皇が統率するユメノ世界に分裂していた。それが原因で、二つの世界は数千年と戦争を繰り返していたらしい。
(能力で戦っていたなんて、あり得ないだろ…)
しかもその時代は"創造力"と呼ばれる力と、"キャパシティ"と呼ばれる力がすべてだった。その力を使って、人間たちが殺し合っていた…と記載されている。
(エデンの園が終戦のキッカケ…)
何千年と続いた戦争が終わりを告げたキッカケ。それは"エデンの園"という孤島で、それぞれの世界で選ばれし"高校生"たちを殺し合わせたこと。与えられた目的は、誰よりもその島で多くの命を奪うこと。
その目的に従わなかった者たちは――"赤の果実"と呼ばれていた。
(赤の果実はエデンの園で誰一人として殺さず生き延び、世界に和解の意を訴え続ける…)
結果として、赤の果実の意志がそれぞれの世界に伝わり、二つの世界は"世界を守る"という決意の元、手を組んだことで、クラーケンによる世界破滅の危機を免れた。
(世界の危機に大きく貢献した者は、初代救世主と初代教皇。二人は永遠と戦い続け、最期は戦死した…っと)
初代救世主は『Noah』と、初代教皇は【Luna】と呼ばれていたと記されたこの文。これは小テストには出題されるべき重要な点だろう。
「…よし。これでおおよそは大丈夫」
この歴史はイマイチ信用ならない。今の時代では世界各国で、「この一連の歴史は偽装なのではないか」と議論されている。それもそのはずで、あまりにも"おとぎ話"に近いものだからだ。俺も覚える努力はするが、一切この話を信用していない。
「一条。今日の日直当番は君だぞ」
「分かってるって"級長"」
二年三組の教室に顔を出せば、クラスの学級長篠塚 寛貴が声を掛けてくる。黒紙に、黒縁の眼鏡を掛け、優等生を気取っている嫌なヤツだ。腹が立つのはいつもいつもテストで、学年トップの座を守り通していること。
「……」
「何だよ?」
「いや、何でもない。とにかく仕事を忘れないようにな」
周囲からは名前ではなく、"級長"と呼ばれている。何かあるたびに話を振られる役目を負わされて、人気者のように見えるが、昼食の時間はいつも一人で食べている。クラスメイトたちからは、都合のいい相手としか思われていない。
「おっはー。村上くん!」
「おはよ! もしかしてメイク変えた?」
そんな級長とは違って、真の人気者は金髪の村上 勇馬。サッカー部のエースで、テストの順位も十位以内を常にキープしている。文武両道で、人望もある男子生徒。
「犬山。今日は君と一条が日直の当番だ」
「……」
「…返事ぐらいしてくれ」
級長が相手にして困り果てる女子生徒、犬山 由紀。いつも寡黙で、本を読んでばかりいる根暗。黒色の前髪で両目が隠れているせいで、目が合わない不気味さもある。そんなヤツと二人で日直当番なんて、本当に救いようのない日常だ。
「……」
俺の前の席で不機嫌そうにスマホを弄るのは、桃色のツインテールを持つ高峰 鈴。学校サボりは上等。誰も近寄ることのできない"トラ"のような顔つき。
「何ジロジロ見てんの?」
「な、なんでもないです…」
あの人気者の村上でさえ、敬語を使うほどの威圧感。だから誰もコイツに声を掛けない。このクラスの"級長"以外は。
「高峰。今日は歴史の授業で小テストがある。きちんと受けていけよ」
「どうせ点数取れないし。受ける意味ないから」
「点数は取れなくてもいい。受けたことに意味があるんだ」
高峰に臆することなく、声を掛けられる唯一無二の存在。学校をサボろうとするとそれを引き止め、身だしなみの面で校則を破っていれば厳しく注意する。肝が備わっているのか、単にお節介焼きなのか。
「何それ。ちょーうざ…」
「…とにかく、きちんと受けるんだぞ」
朝のチャイムが鳴れば、各々自分の席に戻っていく。いつもの一日が始まる合図。楽しくも辛くもない高校生活が――始まる合図。
「先生遅くね?」
「きゅーちょー! 職員室いって呼んで来いよ!」
「村上。俺は雑用じゃないぞ」
担任の先生が姿を見せない。俺たちの担任は"田中先生"。この青葉高等学校で随一の厳しい教師として有名だ。そんな田中先生が遅れてくることは、まずあり得ない。
「……?」
「え、誰あの女の人…?」
ガラガラッと引き戸が開いたと思えば、姿を見せたのは田中先生ではなく、眩しいほどの長い金髪を持つ女性。第一印象は"とにかく優雅"という言葉に尽きる。
「…あの、どちら様ですか?」
「……」
「僕たちの担任の田中先生では、ないですよね…?」
級長が呆気にとられた表情で、その女性に質問を投げかけた。一秒、二秒、三秒…。何秒経っても、女性の視線が教室を何度も右左と往復するだけで、返答はない。
「はい注目してください」
そしてやっと口を開き、述べた言葉は、
「"交配種共"の皆さんには、今からこの教室で"命"を懸けた"心理戦"をしてもらいます」
あまりにも現実味の無い一言だった。