第4話「大地の女神」
「…っ」
千鶴の暴行によって気絶してしまった朱音は、医務室のベッドの上で目を覚ましす。彼女の胴体には包帯が巻かれており、無理をして動かせば、やや痛みが生じた。
「目を覚ましたか」
ベッドの側に置かれた椅子。
そこに腰を掛けているのは、赤と黒を基調とした衣服を纏う白髪の女性。朱音はまったく見覚えのない女性を前に、なんと声を掛けたらいいのか戸惑っていると、
「私は大地の女神"レイア"。クロノスの協力者だよ」
彼女は自身をレイアと名乗り、体力テストで朱音が書いた記録表をまじまじと眺める。
「君は実に平凡だ。雨と月の名前を持つあの二人が規格外だとしても、君も君で平凡すぎないか?」
「んなこと言われても…。私だって手を抜いたわけじゃないのに、あそこまで言葉と武力でボコボコにする必要ないと思わない?」
「……呼ばれたことに、何か心当たりはないのか?」
非現実を何度も目の当たりにしたことで、朱音は新手の女神を前にしても、驚く素振りは見せなかった。むしろ愚痴をこぼす始末。
「…知るわけないでしょ。私はふつーに暮らしてた高校生なんだし」
「……それは真実か?」
「嘘なんかついてない! あんたも女神なら、私がただの人間だってことぐらい見れば分かるんじゃないの…!?」
レイアは朱音の記録表を机にゆっくりと置き、吐息を漏らしつつ彼女と目線を合わせた。
「どうやら、"ラビット"を君に送って正解だったようだ」
「ラビット…?」
朱音は思い出す。
頭のおかしい暴食ゲームの最中、周囲の時が停止し、ラビットと自称する少女が現れたこと。そして少女が「我が主神」と誰かを崇めていたことを。
「あんたがアイツを私に寄越したの?」
「あぁ私だよ。私が"君たち"に"あの二人"を送った」
「君たち…ってことは、私ともう一人いるの?」
「もう一人いたはずだ。君と似たような境遇の人間が」
その人物はきっと"一条蒼衣"だ。
朱音はすぐに誰の事を述べているか理解した。
「千春って子と終夜ってやつには送ってないの?」
「送っていない」
「え、じゃあどうして私たちだけ…?」
レイアはその質問に対して、朱音が身に着けている"コントロールリング"を指差しこう述べる。
「私は君たち二人がその指輪を最も上手く扱えると予測した。雨と月の名を持つあの二人よりも、君たちはコントロールリングを上手く扱えるだろう」
「あんた、本当にそう思って……」
「以上を踏まえ、君たち二人を選抜したのは――この私だ」
「……は?」
朱音はレイアの返答を耳にして、呆気にとられる。
「クロノスが選抜したわけじゃない。私が君たちを推薦し、この場に呼び寄せた」
「……」
「クロノスは君たちに期待していない。期待しているのは雨と月の名を持つあの二人だけだ。自分が劣っているなどと考える必要は――」
悪びれた様子も見せず、軽快に喋り続けるレイアの胸倉を朱音は掴み上げる。
「あんたか…?!! あんたが私をここに呼んで、こんな目に遭わせて…!!」
「九条朱音。話を最後まで聞け」
レイアは朱音の両手を抑え、話を聞くように促した。
朱音も身体に痛みを走ったのか、顔をしかめながら胸倉から手を離す。
「よく聞け。私は君たちが"ネメシス"を討ち取る鍵だと考えている」
「…千春と終夜じゃなくて、私たちが"ネメシス"を倒すとでも言いたいの?」
「その通りだよ」
彼女を落ち着かせるため、レイアは朱音の左肩に手を置きながら、聞き取りやすいようにゆっくりと話をこう続ける。
「クロノスや他の者は君たちを認められず、力を信じてもいないだろう。それは先ほどの一件で、明確になったはずだ」
「……」
「だが私は君たちを信じている。認められるように、私が君たちを率いてみせよう」
朱音はレイアの言葉を聞くと、肩の力を抜いた。
「私を信じてくれるのなら、ここで共に戦ってほしい」
「……それを断ったら、私はどうなるの?」
「ここで永遠に生き続けるか。それとも"冥府"へと送られるかのどちらかを選ぶことになる」
この誘いを断ることで、考えられる選択肢は二つ。
歳を取らずに滅びゆく世界を眺めながらこの場所で"永遠に生き続けるか"、本当の意味で"死ぬことを選ぶか"。朱音はすぐに答えを出せなかった。
「一つ聞きたいんだけど…」
「可能な限り答えよう」
「私は"九条"でもう一人のやつは"一条"って名前でしょ? もしかして私たちも名前が関係してるの?」
朱音はそのことに気が付いた。
雨と月は対とはならないが、一と九はある意味では対となっている。それが関係しているのかとレイアに尋ねる。
「雨と月の名を持つ者たちは、三千年以上も前から存在する」
「三千年も前から世界を救ってきたってこと?」
「クロノスはそう語っていた。だが実際は違う」
レイアは机の引き出しから一冊の本を取り出し、一枚ずつページを捲り始めた。
「雨と月の名を持つ者は、本来は世界を滅ぼす者たちだった」
「世界を…滅ぼす…?」
「例えるのならば"災厄の象徴"だ。雨と月の名を持つ者たちは、世界に不幸を持たらし続ける行いだけをしてきた」
「……」
朱音は黙り込む。
彼女からすれば千春と終夜の二人を見て、災厄の象徴と呼ばれるような人物には見えなかったからだ。
「じゃあどうして今は"世界を救う"…みたいな英雄扱いされてんの?」
「それは――」
「ちょっといいすか?」
レイアが彼女に答えようとすれば、朱音を運んだ人物が話を遮るように医務室に姿を見せた。
「何用だ?」
「その人、怪我大丈夫なんすか?」
「私に掴みかかるほどだ。心配しなくてもいい」
男性か女性か判別できないその人物は「そうなんすね」と朱音のベッドまで歩み寄る。
「そういえば…この人は誰なの?」
「君の面倒を見てくれる者だ。名前は――」
「"如月"でいいっすよ」
レイアは自ら名乗った如月にしばし視線を送ると、
「何かあれば如月を頼るといい」
「頼られるの苦手なんすけどねぇ…」
「お前の役目だ。九条朱音の件、後は頼むぞ」
この場を如月に任せ、レイアは医務室から出て行った。
「…あんたも大変っすねー。よく分からない場所に連れて来られて、選ばれし者だー…とか言われちゃって」
「ほんとに…そう…」
「で、どうするんすか? あんだけ惨めな姿を見せても、まだ戦おうと思うんすか?」
如月に意志を聞かれた朱音は、何も答えられないまま静かに俯く。
「逃げてもいいんじゃないすかね?」
「……」
「現にもう一人は精神的にズタボロ。あれが戦えるようになると思わないんすよねー」
朱音を"逃げる"という選択肢へ誘導する如月。
「そうやって逃げるように仕向けんのは…。本当は私の世話するのが面倒なだけじゃないの?」
「あー…どうなんすかね?」
「そうでしょ? 私は平凡で優秀な人間じゃない。こんな弱くて惨めで、意気地なしの私が、強くなんてなれるはずが…」
ぶつぶつとネガティブな発言を呟いている朱音を他所に、如月は机に置かれた記録表の数値を確認すると、
「いいじゃないすか。平凡で」
「えっ?」
朱音の方へ顔を向け、そう断言した。
「自分、あんた以下の人間沢山見てきましたから。優秀一割以下で平凡が三割。後は全員どうしようもない屑ばかりっすよ」
「……」
「それに逃げても悪くないと思うんすけど。あんたの人生なんすから、始まりも終わりも誰かが決める権利はないっす」
慰めるというよりは、客観的な意見を述べる如月。
朱音はそれを黙って聞いていた。
「あんたはさ、私に戦ってほしい?」
彼女は真剣な眼差しを送りながら、如月に「戦ってほしいかほしくないか」を尋ねたが、
「どっちでもいいっす」
「どっちでもいいんかい…!!」
"どちらでもいい"という答えを返されたことで、朱音はベッドの上でずっこける素振りをした。
「あー…言い忘れていたんすけど」
「……ん?」
「あんまり千鶴さんとは関わらな――」
如月はそう言いかけ、ゆっくりと天井の壁を見上げる。
「…どうしたの?」
「あーヤバいっすね」
「ヤバい?」
「なんか来ます」
その瞬間、部屋全体が大きく上下に震動し、激しい轟音が鳴り響いた。




