第2話「雨と月」
「……何それ? 何百年も生きているって、どういうこと?」
「言葉のままです。この二人はあなたたちが生まれる何百年も前から、今の時代まで生き続けています」
朱音は雨氷千鶴と月影雅人を交互に見比べる。視線の先の二人は、よぼよぼの老人や老婆ではない。どこからどう見ても、二十代半ばの人間だった。
「復讐の女神――"ネメシス"を止めるために」
「ネメシス?」
「今回の首謀者みたいなもんだなー。お前たちの日常を奪い取った趣味の悪い"女神"だぜー」
復讐の女神ネメシス。
その名を耳にした朱音に、月影雅人がヘラヘラとした態度で説明をする。
「そんなやつが、どうして私たちを?」
「……人間を憎んでいるから」
雨氷千鶴は冷たい眼差しを向けながら、朱音にそう伝えた。人間を憎んでいる女神。ワケが分からず、彼女は呆然としてしまう。
「女神が、人間を憎んでいるなんて意味わかんない。私たち人間を創り出したのは女神とかなんでしょ!? それなのにどうして憎まれて――」
「その理由は、此方たちにも分かりません」
人間が神を憎むのではなく、神が人間を憎むという理解し難いワケ。クロノスも詳細を答えられないようだったが、
「……」
(あいつ、何か知って…)
月影雅人だけがわざとらしく視線を大きく逸らしていた。九条朱音はそれに勘付いて、彼に言及しようとする。
「ですがネメシスに話し合いは通じないのは確かなことです。あの女神を討ち取らなければ、人間は死滅することになります」
しかしクロノスがやや威圧感のある声色で、九条朱音に呼び掛けたため、そちらへと反応せざるを得なかった。
「そんなの、もう終わりじゃん……」
「いいえ終わりではありません」
クロノスは一冊の本をどこかから呼び寄せると、浮遊させたままとあるページを九条朱音に見せる。
「これはなに?」
「"回想の書"です。そこに記された文章をよく見てください」
朱音がそのページを見つめていると、とある文章が青白く光り出す。彼女は光を灯した文章だけを読んでみることにした。
「『世界の均衡が崩れ去るとき、"雨"の名を持つ者と"月"の名を持つ者が均衡を正すであろう』…って書いてあるけど?」
「…何か思い当たる節はありませんか?」
「何かって…あぁ!?!」
あることに気が付いた朱音は雨氷千鶴と月影雅人の二人を交互に指差す。
「雨氷と月影…!! これって、あんたたちのこと…!?」
「おいおい、呼び捨てかよ」
雨氷千鶴には"雨"の名が与えられ、月影雅人には"月"の名が与えられていた。九条朱音はその事実を知り、静かに胸を撫で下ろす。
「じゃあ、その二人がどうにかしてくれるってわけね。私と隣のコイツは別に戦わなくとも、ここで待っていれば――」
「…そこに書かれているのは、私たちのことじゃない」
千鶴は安堵する朱音にそう告げた。
「指しているのは、この世界で"正式に生まれた者"。"人工的に生み出された者"は含まない」
「は? 人口的に生み出されたってどういう――」
「とにかく、オレたちじゃないってことだぜー! 期待させて悪かったなー?」
納得がいかない朱音はその場でしばらく項垂れていたが、雨氷千鶴は彼女を納得させないまま話をこう進めた。
「あの世界に生まれた"雨"と"月"の名を持つ者。私たちにとって、その二人が希望になる。ネメシスを止めるためのカギ」
「…てかさ、隣のコイツは知らないけど私の名前には雨も月も付いてないけど? それなのにどうして呼ばれたの?」
九条朱音という名前には、追憶の書に記されていた『雨』と『月』という文字は含まれていない。それは一条蒼衣も一緒だった。
「私は知らない」
「……はい?」
「オレも知らないぜー。お前たち二人を呼んだのは、コイツだからなー」
二人は間に挟んでいるクロノスへ視線を向ける。朱音もまた、その答えを求めて少女に視線を送った。
「それは…言えません」
「…は? 何で言えないの?」
「まだ告げるときではないからです」
まったく納得のいかない理由。
九条朱音は頬を引き攣らせながら、小刻みに肩を震わせると、
「ふっっざけんじゃないわよッ!!!」
「うおっ?! 声デカすぎだろ」
再びクロノスに対してブチ切れた。月影雅人はその声量に、思わず身体をビクッと震わせる。
「なーにが女神よ!? ワケの分からない一人称使って、意味の分からない本見せてきて! あんた本当に女神?! 私たちを呼んだ理由が言えないのも、単なるミスなんじゃないの?!」
「……」
「ねぇ、おい、あんた聞いてんの!?」
クロノスは朱音から視線を逸らし、何とも言えぬ表情で虚空を見つめた。少女の顔が訴えかけてくるのは「何なんだコイツは」という呆れだけだ。
「まぁまぁ落ち着けよなー? 怒鳴り散らしても未来は変わらないぜー」
「それは、そうだけど……」
「それにあなたたちを呼んだだけじゃない。雨と月の名を持つ者も、既にここへ呼んでいるから」
千鶴は左肘でクロノスの脇腹を軽く突いて、話を進行させるよう促す。
「今のままではネメシスたちに抵抗すら出来ません。なので戦えるようになるまで、あなたたちを育成します」
「戦えるようにって、私たちがあんな化け物を倒せると?」
「先ほども言いましたが……。ネメシスと戦わなければ、あなたたちに未来はありません。倒せるか倒せないかではなく、倒さなければならないのです」
理不尽な宿命を押し付けられ、九条朱音は納得できないまま項垂れてしまう。
「…後はお願いします」
「はいよー」
九条朱音の隣には月影雅人が、一条蒼衣の隣には雨氷千鶴が立ち、二人をクロノスのいる部屋から廊下へと連れていく。
「――"始まり"と"終わり"」
「……え?」
扉が閉まるその瞬間、クロノスが何かを呟いたような気がし、朱音は後ろを振り返ったが、
「おいまた怒鳴り散らすつもりかー? 心臓に悪いからやめてくれよなー」
「そうじゃなくて……」
既に部屋から閉め出されていたため、事実確認はできなかった。朱音と蒼衣はそのまま廊下をしばらく歩き、角部屋の前に立たされる。
「この中に"仲間"がいる」
「仲間?」
「さっき話した"雨と月の名前"を持つ奴らだぜー」
千鶴と雅人は「先に入っててくれ」と朱音たちに伝え、回れ右をしてどこかへ去っていく。残された朱音は隣の蒼衣へ視線を送るが、未だに暗い顔で俯いていた。
「はぁ…。五三」
朱音は憂鬱な気分で目の前の扉を開く。部屋の中には、雨と月の名前を持つ"勇者"のような存在がいる。
「あっ、誰か来たみたい」
おそるおそる部屋の中へと踏み入れば、一人の女子生徒が朱音たちを見つめる。ワンピース型の青い制服。青色のリボンに長い金髪。第一印象は包容力溢れる女子生徒だ。
「見れば分かる」
もう一人の人物は黒色の制服を着崩し、男性にしては長い白髪を持つ男子生徒。第一印象はただの不良。
「貴方たちもこの場所に呼ばれたの?」
「そ、そうだけど…」
どもりながら返答すれば、包容力溢れる女子生徒はすぐさま朱音の元へと駆け寄り、
「やっぱり…! 私は雨風千春だよ! よろしくね!」
「あ、えっと、九条朱音…です…」
「よろしくね朱音ちゃん!」
彼女の両手を優しく包み込み、自己紹介を始めた。包容力だけでなく、コミュ力も備わっていることで、朱音は引き気味に対応する。
「俺は月橋 終夜だ。お前の隣に立っているコイツは?」
「あぁ、話しかけても無駄。完全に精神逝ってるっぽいから」
不良らしき男子生徒は自身を『月橋 終夜』と名乗った。朱音はそんな二人を相手にしながら心の奥底で、
("イケメン"と"美人"とか…。何それ、名前に雨と月が入っているから? あまりにも不公平じゃない?)
千春と終夜の容姿の良さを妬んだ。
「そっかぁ…。早く立ち直れるといいね。私たちは一緒に戦っていく仲間だから」
「同感だ。一人でも仲間が多くいれば、アイツらを倒せる可能性も高まるしな」
しかしすぐに妬みは不信感に変わる。
(なんでこいつら…。こんなに落ち着いていられるの?)
二人はあまりにも落ち着いていた。
"同じ境遇"ということは、現実世界で過酷な結末を辿ったはず。にも関わらず、既に戦う決意は固まり、黒幕であるネメシスに立ち向かおうとしているのだ。
「ねぇ…」
「ん、どうした?」
「あんたたちは、怖くないの? あんなやつらと戦うなんて、普通に考えて無理じゃない?」
朱音に尋ねられた千春と終夜は、お互いに顔を見合わせこう答えた。
「生身の俺でも一撃は食らわることができた。つまりはアイツらも無敵じゃない。戦い方さえ学べば、俺たちでも勝てる」
「……は?」
「私もほんのちょっとだけ奮闘したよ。今よりももっと強くなれれば、私だってあの人たちに太刀打ちできる」
あの人外たちに怖気づいていない。むしろ勝利をもぎ取ろうとしている。朱音は返答を聞いて、呆気に取られてしまった。
「…仲が良さそうで何より」
そんな彼女の背後から聞こえてきたのは、雨氷千鶴の声。朱音は振り返り、すぐに扉の前から退く。
「四人共、私に付いてきて」
「付いてきてって…。どこに行くのよ?」
千春と終夜は行き先を知っているようだったが、朱音は何も知らない。だからこそ雨氷千鶴に行き先を尋ねたのだが、
「――"修練場"」
朱音に向けられた視線は、非常に冷めたものだった。




