第1話「時の女神」
「……」
一条蒼衣はベッドの上で目を覚ます。辺りを見渡しても、そこは見知らぬ部屋。しばらく呆然としていたが、
「っ…!!」
自分自身が喰い殺された記憶がフラッシュバックし、身体の芯から震え始めた。呼吸が乱れ、歯をガタガタと揺らし、思考がグチャグチャになる。
――ドタドタドタッ
一条が取り乱していれば、扉の向こうから誰かが駆けてくる足音が聞こえ、
「おっはー! もう起きたー?」
部屋の扉が勢いよく開かれる。
その向こう側には橙色の長髪を前で二つ結びした女性が立っていた。頭には猫耳が付いた帽子を被っている。
「どうして震えてるの?」
「……」
「あっ、なるほどね! この部屋が寒いんだ! 今すぐ暖房を入れるね!」
見当違いな考察を見出すと部屋中を駆け回って、暖房のスイッチを探す。
「ありゃあー。この部屋に暖房はありませんでした!」
「……」
「よぉーし! こうなったら…」
女性は決心したようにゆっくりゆっくりと一条蒼衣へ歩み寄り、
「ぎゅーっ!」
飛びかかるようにして抱き着いた。
「これで温かくなったよねー!!」
彼女は「これは名案だった」と自画自賛しつつも、一条の様子を窺う。しかし彼の震えは一向に止まる気配はなかった。
「……あれ? もしかして温度関係ない?」
「……」
「もすもーす! 聞こえてますかー!?」
耳元で呼びかけるが、まるで反応を示さない。
「もぉー! 仕方なさげなんだからー!」
「……!」
彼女はキリがないと、彼の身体をひょいと持ち上げる。そして右脇に抱え、駆け足で部屋の扉を飛び出した。
「恐怖心ぐらい"コントロール"してよねー!?」
曲がり角が多い廊下を直線で疾走する彼女。右脇に一条蒼衣を抱えているというのに、速度が減速する様子も無かった。
「そこの右角を曲っ――」
ドリフト走行のように靴底を滑らせながら、角を曲がろうとした瞬間、
「えっ」
「あっぶなぁぁーーい!!!」
曲がり角の先には青髪のボブカットを持つ人物が立っており、衝突寸前で彼女は大きくジャンプをする。
「めんごめんごー! 先に"クロクロ"のとこまで行ってるからー!」
「いや、そっちに"あの人"はいないんすけど……」
「え?」
そう言われた彼女は両脚で急ブレーキをかけて、飛び越えた人物の方へと振り返った。
「ていうか、いい加減ルート覚えてくれません? "焔"さんのせいで、毎回あの人に怒られるんすから……」
「"ラギラギ"は気にしすぎなの! 怒られてもへこまない!」
「いや怒られるのはあんたのせいっすから」
二人が言葉を交わしているとき、"ラギラギ"と呼ばれる人物の隣に立つ者が一人。飛び降り自殺をした九条朱音だ。
彼女はソワソワとした様子で、辺りを見渡していた。
「はぁ、とにかく焔さんは自分に付いてきてください。目を離すとまた面倒なことになりそうなんで」
「りょっ!」
左手で軽く敬礼をする彼女は、"ラギラギ"と呼ばれる人物と共に数分ほど廊下を歩き、二メートルは優に超える扉を通り抜けた。
「…来ましたね」
扉の先は宮殿の王室。
ステンドグラスから光が漏れ、辺りを神々しく照らしていた。片隅には透明な水が流れる水路が作られている。
「言われた通り、この二人を連れてきたんすけど……」
そんな王室に佇むのは一人の少女。床に触れてしまうほど長い白髪に、紅い薔薇の花が装飾されている真っ白なドレス。
その無気力な瞳はどこか儚さを醸し出していた。
「ありがとうございます。"此方"はそこの二人に話がありますので、あなたたちは下がっていなさい」
「りょっ!」
「さっきからなんなんすかその返事?」
二人は九条朱音と一条蒼衣を残し、王室から出て行ってしまう。
「さて、まず気分の方はいかがですか? 体調が優れないなどがあれば、遠慮せず此方に伝え――」
「最悪に決まってるでしょ!? そもそもここはどこなの?! 私は死んだはずでしょ!!」
九条朱音は今まで何とか保ってきた冷静さを失い、少女に向かって声を荒げた。一条蒼衣は俯いた状態で、その場に座り込んでいる。
「確かに、あなたは死にましたね」
「ならどうして――」
「それはあなたがまだ生きているからです」
少女は虚ろな瞳を朱音に向ける。
「正確には"死ぬ前のあなた"。別の言い方をすれば"生きている時のあなた"」
「は?」
「此方は時の女神"クロノス"。あなたたちをここへ呼んだ張本人でもあります」
朱音は"クロノス"という言葉を耳にし、自身の頭が狂っているのかと何度も額を叩いた。
「は、はははっ…。あんた、頭おかしいんじゃないの? なに女神って? なにクロノスって? ほんと意味わかんない」
「信じられない気持ちは分かりますが、これは現実の話です。此方はここに存在し、あなたは生きている」
現実を受け止めきれず、朱音は虚しく笑うことしかできない。少女はそんな彼女へ更に現実をこう突きつけた。
「けれどあなたはいずれ死にます。再びあの未来が訪れて」
「……」
「あの未来を阻止する方法は一つ。あなたたち自身が過酷な未来へ、死への運命に抗うこと――」
そして少女が指差したのは、朱音が左中指に付けているリング。
「――その"コントロールリング"の力を使って」
「こんな、こんなしょぼい指輪で何ができんの? そもそも抗うってなに? 私たちに"あの化け物共"と戦えとでも言いたいの?」
「はい」
少女の即答。
朱音は少女の反応に「バカみたい」と狂ったように笑い声を上げる。
「どうして私たちが…ッ!! もっと他にもいい奴がいたでしょ!? あんたの視線の先には、どうしようもなく笑うことしかできない愚か者と、ビクビク身体を震わせる臆病者しかいないのよ…!!」
「……」
「人選ミス、あんたの人選ミスよ!! こんなクソどうしようもない人間に、あんたは何を見出して――」
怒号を飛ばす朱音。
その最中に彼女の背後の扉が開かれ、
「おいおい、こりゃあ修羅場だなー」
「…本当にね」
青髪の女性と白髪の男性が王室へと姿を見せた。
「あんた、隣に住んでる近所迷惑なニート…!!」
「ニートって呼ぶなよなー」
白髪の男性は隣部屋に住んでいる隣人。顔に見覚えのあった朱音は、すぐにそれに気が付いた。
「もうちょいクールにやれよー。コイツみたいにさー」
「…"雅人"、この二人は私たちとは色々と違う。気性が荒くなるのは仕方ない」
「それもそうだなー」
呑気な様子で青髪の女性と共にクロノスの横に立つ。
「紹介しましょう。彼は"月影 雅人"。彼女は"雨氷 千鶴"。此方の"旧友"です」
「旧友…? そいつらも女神とやらなの?」
「いいえ、この二人は正真正銘の人間です。あなたたちと少し違う点を挙げるとすれば――」
少女は両脇に立つ二人を交互に見つめ、朱音と視線と合わし、
「――何百年も生き続けてきたことです」
無気力な声でそう伝えた。




