第五話「暴食ゲーム」終幕
――私が殺した。
親友の無残な遺体に背を向けて、私は理科室からとぼとぼと出ていく。首筋から出血しているのにも関わらず、痛みなど感じなかった。
「あぁ…あぁぁあ…」
呻き声を上げ、廊下の窓へとへばりつく。外の景色は荒れ果てていた。街並みなどの面影すらない。そこにあるのは瓦礫の山のみ。
「何で、何でこんなことに…」
今更嘆いたところで、何も変わらない。よく分かっているはずなのに、嘆きを止められない。
「私が、私一人が生きている意味なんて…」
死にたくないと心の底から抗っていた。けれど親友を自分の手で殺した今となれば、もはや抗いすらもできない。
私はおぼつかない足取りで、屋上へ続く階段を上り始める。
「喰われて、喰われて死んでやるもんか…」
喰われるぐらいなら、屋上から飛び降りてやる。今の私は生き方を選ぶのではなく――死に方を選ぼうとしていた。
生き方よりも死に方を考えることで、足取りも軽くなったから。
「あれ九条さん。どこに行くの?」
階段の踊り場。
そこに立っていたのはすべてを滅茶苦茶にしたベルゼブブと名乗る女性。私は横目で睨みつけ、階段を一段ずつ登っていく。
「あ、もしかして飛び降り自殺するの?」
ベルゼブブは私の横に並び、共に階段を登り始めた。
「それなら先生も応援してあげる。生徒の最期を見届けないとね」
「……」
「でも先生嬉しいな。九条さんが頑張ってくれるなんて」
愉快犯が私の隣で先生面をする。どの口が言うのか、そもそもお前がすべて悪いじゃないか。
まるで評判の良い先生のように、ひたすら私に語り掛けてくる。ベルゼブブの言葉を聞けば聞くほど、徐々に怒りがこみ上げ、
「そういえば九条さんは――」
「ッ…!!」
屋上まで後少しのところで、私はベルゼブブの胸倉を掴んだ。
「ふざけんなぁぁッ!!! あんたが、あんたが全部悪いのよ!! クラスメイトが全員狂ったのも、由香が私に殺されたのも…!! 全部、あんたのせいだ!!」
「……」
「何がしたいの!? 私たちに殺し合わせて、私たちを苦しめて…あんたは何が目的な――」
顔を上げて目にしたベルゼブブの表情。
私は彼女から手を離して、呆然としてしまった。
「うん、これが生徒の反抗期だね。学級崩壊にならないよう気を付けないと」
とても穏やかで、とてもあっけらかんとしていたのだ。声を荒げる私の方を宥めようと、先生としての対応を考えている。
――ああそうか。コイツは人間じゃないんだ。
怒鳴っても、訴えかけても、人間じゃないんだから常識が通じるはずがない。私はベルゼブブから目を逸らし、屋上へと歩みを進めることにした。
「九条さんはどこから飛び降りるの?」
「あんたには、関係ない」
生徒の自殺に手を貸す先生がどこにいる。
ベルゼブブは先生面をしたまま、生徒の私についてきた。
――もうすぐ、楽になれる。
扉の向こうへと踏み出せば、屋上から瓦礫の山を一望できた。東西南北、炎と煙に包まれた街並みが広がっている。
一歩ずつ一歩ずつ、私は手すりまで歩み寄った。
「死の恐怖を感じないなんて。九条さんは度胸があるんだね」
パチパチと乾いた拍手の音を耳にしながら、私は手すりを乗り越える。この立ち位置は態勢を崩せば、すぐにあの世行きだろう。
「…れ」
「うん?」
「…ばれ」
私は最期に言ってやろうと思っていた言葉を、
「――くたばれゴミ野郎」
振り向きざまに吐き出すと、
「九条さん」
そのまま後方へと倒れ込み、
「さようなら」
私の身体はすぐに自由落下を始めた。
―――――――――
ベルゼブブは手すりに両手を乗せ、落下していった九条朱音を確認する。
「早退だね」
九条の肉体は四肢があらぬ方向へと曲り、頭蓋骨が砕け、中身の大脳がちらりと姿を見せていた。
無残な死体を目にしても尚、ベルゼブブの表情はとても穏やかなものだ。
「終わったんだな」
「あぁ、"ベルフェゴール"くん。そっちも終わったの?」
貯水タンクの上に座り込んでいたのは、十代半ばの目つきが鋭い青年。黒色のローブを纏い、黒髪に赤のメッシュを入れている。
「とっくにな。おまえみたいに時間は掛けてない」
「せっかく好き放題やれるのに、どうして時間を掛けないの?」
「"めんどうだから"だ」
ベルフェゴールは彼女にそう返答し、貯水タンクから飛び降りた。
「面白い"生徒"はいなかったの?」
「交配種を生徒と呼んでいるのはおまえだけだぞ」
「だって生徒だからね」
彼は生徒と呼び続けるベルゼブブに呆れながらも、右の片腕を見せる。そこには青紫色の打撲痕が残されていた。
「月橋 終夜。紫黒高等学校にいる交配種の中で、唯一おれに怪我を負わせた」
「すごいね! 私の生徒になってもらえたりしないかな?」
「悪いな。おれがもう殺したよ」
ベルゼブブは少しだけ残念そうに「そっか…」と呟く。
「"サンダルフォン"の方でも面倒な交配種がいたらしいな」
「えっ、どこの学校で?」
「真白高等学校だろ。アイツが担当していたのは」
東の方角をじっと見つめた後、ベルフェゴールは片腕の打撲痕へと目を移した。
「…おまえの方はいなかったのか? "良い生徒"とやらは」
「頑張ってくれる子は沢山いたけど…。良い生徒はいなかったよ」
「さっきからコソコソ隠れているアイツはどうなんだ?」
二人が同時に見つめた先は、校内へと続く扉。
「おいおい、バレてたのかよー」
バレていたことを悟った何者かは、扉は勢いよく開くとその姿を二人の前に現した。
「…良い生徒じゃないかな。むしろ悪い生徒かもね」
立っていたのは灰色の大剣を背負う白髪の男性。
彼は余裕綽々な笑みを浮かべ、
「まっ、ちょっくら相手してくれよなー」
大剣による強烈な一突きを二人に向けて繰り出し――




