第三話「暴食ゲーム」前編
それからの記憶は薄れている。菓子パンやお菓子を手に取り、ただ食らって食らって、食らっただけの時間。朝食をしっかりと食べてしまったため、途中で嗚咽を漏らしたりもしたが、
「うえぇ…」
他の生徒たちと共に協力したことで、残り"三分"というギリギリの時間で完食することができた。食べることにかなりの体力を消耗し、ほとんどの生徒が床の上にあおむけで倒れている。
「みんな、完食おめでとう! 私はみんなのことを信じていたよ!」
ベルゼブブは拍手しつつも、辺りに散らばる菓子パンなどのビニールへ視線を向けた。級長は腹部を片手で押さえながら、上半身だけ身体を起こす。
「これでいいですよね? 私たちはすべて食べ切りました」
「うん。これで"一ゲーム目"はクリアです!」
「えっ…?」
先ほどと同じ場所から蠅たちがなだれ込み、再び黒板が"黒色の靄"に覆い隠されてしまう。私は嫌な予感がして、スマートフォンの画面へ視線を移した。
「嘘…。時間がまた三十分に戻ってる…」
「なんで…? 私たち、がんばって食べたよね?」
残り"三分"という制限時間が、最初と同じ"三十分"という表記へと戻っている。それに気が付いた私の隣で、由香は手に持っているスマートフォンを真顔で滑り落としてしまった。
「あ、あぁあ…」
それもそのはず。由香の視線の先には、スーパーで売られている肉、魚、野菜が"生"のまま積み重なっているからだ。
「これを、また食べるんですか…?」
「はい! みんななら、きっと二ゲーム目も完食できるよね?」
「う…うわぁあ"ぁぁあ"あ"!!」
その場から逃げ出そうとする生徒たち。教室の引き戸へ手をかけ、廊下へ出ようとする。
「開けろぉぉーーッ!!」
「どうして!? どうして開かないの…!?!」
しかし引き戸は一寸たりとも動かない。男子生徒たちが引き戸に突進を何度も繰り返すが、ビクつきすらしなかった。
「今はゲーム中なので、誰も教室から出られません! みんなで一緒にゲームクリアを目指しましょう!」
晴れやかな笑顔を、生徒たちに送るベルゼブブ。この"暴食ゲーム"からは逃げられない。それを悟り、逃げ出そうとしていた生徒たちは力なく座り込んだ。
「待ってください! これをそのまま食べるのですか…!?」
「はい。調理されていない状態で完食してください」
「そんな無茶な…! "生"のまま食べれば、間違いなく私たちの身体が持たな――」
級長は異議を唱えようとした瞬間、ベルゼブブの顔をハッキリと目にしたことで、その場に硬直してしまう。
「あいつ、本気で…」
冗談を述べているワケでもない。だからといって、私たちを苦しめようと優越感に浸っているワケでもない。ベルゼブブは心の底から私たちに期待をし、応援するような眼差しを送っていたのだ。
「…それじゃあ、二ゲーム目を始めましょうか!」
無慈悲に動き出す"三十分"というカウントダウンに、"生"のまま積まれた肉や魚などの山。それだけでも、私たちを絶望させるのに十分だった。
「っ…!!」
級長はこんな状況でも絶望せず、一人でに生肉やら野菜やらを貪り始める。その姿は食べるのではなく、貪るに近い。
「こんなところでっ…死ぬわけにはっ…いきませんっ…!!」
「私も、やらなきゃ…!」
「由香…?」
由香は腹を括ると、級長と同じように生魚を手に取って、お構いなしに貪りまくる。親友が獣のように貪る光景は、こんなにも滑稽で、笑えてくるものだなんて思わなかった。
「死にたくねぇ…。俺はまだ死にたくねぇよぉぉお!!!」
「私も、私も死にたくないぃッ!!」
それから続々とクラスメイトが"生"の食材に群がっていく。餌を与えられた鯉のように大きく口を開き、食材をとにかく放り込んでいった。
「……」
その最中に、嘔吐してしまう生徒も何人かいる。生の食材は身体が受け付けてはくれないからだろう。しかし無理をしてでもすべてを食べ切ろうと、口の中に詰め込んでいく。
「うっ、うぇぇっ…」
アレに手を付けていないのは、私とオタクの御剣奈緒斗だけ。その場に立ち尽くし、一歩も足を動かせない。御剣奈央斗は私の背後で嗚咽を漏らす。
「キーンコーンカーン!」
御剣の嗚咽の音と同時に、生徒たちの手がピタリと静止した。代わりに聞こえてくるのは、鐘の音を真似する何者かの声。音程という概念を知らないのか、とても"下手くそ"だ。
「おーっす! 間抜けな面してんなぁオマエ!」
両肩に届くほどの金髪。コスプレなのかと思わず目を細める"夢物語"な恰好。何よりも目立つのは、背中から直に生えている"黒色の羽根"。ぱっと見の年代はおそらく十代。
そんな摩訶不思議な少女が、隣から私に声を掛けてきた。
「…あんた、誰なの?」
「私は"ラビット"! 我が主神の命で、オマエの前までやってきたんだ!」
「はぁ…?」
堂々と名乗るラビットという少女。私は何をそんなに誇らしげにしているのかと、苦笑してしまう。
「おいオマエ、私の"スゴさ"を理解していないのか?」
「いや"スゴさ"っていうか…。逆に聞くけど、あんたは今ここで何かしてるの?」
「ったり前だろ! 私が、今ここで、この世界の"時を止めて"やったんだ!」
時を止めた。そう説明をされた私は半信半疑の状態で、もう一度辺りをよく見渡してみる。確かに、咀嚼音どころか呼吸音一つすら聞こえてこない。言葉に言い表すのなら、時が止まっていると言えるだろう。
「百歩譲ってあんたが時を止めたとして…。私に何の用なの?」
「ふっふっふっ…光栄に思え! "ラビット先生"が直々にコレを渡しに来たんだ!」
自信満々に投げ渡してきたモノは、朱色の装飾が施された指輪。
「悪いんだけど…」
「何だよ?」
「私、同性は対象外だから」
その場でずっこけるラビット。私は指輪を返そうと、ラビットの側まで歩み寄ったが、
「んなわけねぇだろ! ソレは"コントロールリング"だっつぅの!」
私の手を払い、大声で指輪の名前を伝えてきた。
「コントロールリング?」
「万象や事象とかを操れる優れものだ!」
「万象や事象って何なの?」
「そ、それはー…」
言葉を詰まらせるラビット。偉そうに立ち振る舞っている割には、あまりお頭が良くないのかもしれない。
「と、とにかくだな? お前はこれから"チョイス"をするんだよ!」
「何それ? チョリーッスみたいな挨拶かなにか?」
「ちげぇ…! "くたばるか"、"くたばらないか"を決める運命の選択のことだ!」
要は死ぬか生きるかを決める選択。それを"チョイス"と呼ぶらしい。
「ラビット先生がオマエの為に顔を出してやった…ってことはだ。今がその"チョイス"をする時だぞ!」
「…はぁ」
「何でそんなにやる気がねぇんだよ!? もっとこう『ラビット先生、主神様、ありがとうございますぅ!』…みたいな反応しろ!」
あり得ない現象が目の前で起きた。が、このラビットのせいで雰囲気が崩壊し、イマイチ驚けない。
「そもそもさ、あんたは味方なの? 主神主神って、あそこにいるイカれた女性と一緒のこと言ってるけど…」
「バーカ! 私たちの主神はもっと偉くて、もっと賢いんだよ!」
「だったらわざわざチョイスをしろ…とかじゃなくて、あんたの主神が私を助けてくれればよくない?」
その手があったか、と間抜けな表情を浮かべるラビット。こいつ、本当に大丈夫なのか。
「ダメだダメだ! 我が主神はオマエの可能性を信じて、そのコントロールリングを渡したからな」
「…で、私は今からそのチョイスをするんでしょ?」
「おう!」
何でも聞いてくれと言わんばかりに胸を張っているが、ラビットには頼らない方が良さそうだ。自分で考えて、行動を起こそう。
「…っと、そろそろ時間だな。アイツの方も話が終わったみたいだ。後はラビット先生の顔に泥を塗ることなく、頑張れよ!」
(五三…)
やり切った感を醸し出し、ラビットはその場から消え失せる。
「…っ」
と同時に止められていた時間が動き出したようで、耳障りな咀嚼音が鼓膜に揺らしてきた。
「あれは現実、ってこと…?」
左手の中指にはめられた赤色の指輪。ラビットという少女が実在したことを理解し、今更ながら身震いしてしまう。
「うっ…うぶぶっ…」
そんな私の背後では、御剣奈央斗が嗚咽をする。咀嚼音と嗚咽音に加え、前方の視界には、クラスメイトたちが生肉やらを貪っている光景。
「みんな、頑張ってね!」
その光景をベルゼブブは、微笑みながら見守っていた。




