扉を開けて
いつもは静寂に包まれた礼拝堂だが、今日は騒めき立つ声が耳に入る。
「クロム。準備はできているか?」
礼拝堂に続く扉の手すりに手をかけた神官長が、首だけ振り向き問いかけて来る。
「はい。いつでも あ、いや。やっぱり一回深呼吸を...」
「そうか、大丈夫そうだな。ではいくぞ。」
「えっ?話し聞いてました?」
そういうと神官長は扉を開け、講壇へと歩みを進めた。私は慌てつつも、なんとか平静を装い神官長の後に続く。
先ほどまでは話し声や咳払いの音聞こえていたが、私達が講壇に近づくにつれ、徐々に静けさを取り戻していき、今では2人分のコツコツという靴底が大理石の床を叩く音だけが響いている。
神官長が講壇の前にたどり着くのと同時に、私も彼の斜め後ろで歩を止める。礼拝堂に緊張感が走る。王族、貴族、兵士みな祈るような目で神官長をじっと見つめる。神官長はアメジアの福音書を胸に抱き、祈りを捧げる。
私達が信仰しているのは3神教と呼ばれるもので、【女神 ルヴィア】 【女神 サフィア】 【女神 アメジア】の3柱を信仰している。主神はなく、3柱の女神が同一の立場である所謂、多神教というものだ。それ以外に神はなく各地に神から恩恵を賜った聖獣や精霊が祀られている。
また、この宗教は私達が住むエアル王国の国教であり、更にはエアル王国を内包するセイリム大陸の8割以上が信仰する巨大宗教だ。
聞きなれた説教に入ったところでクロムはこれからのことを考えて憂鬱になる。
今日は、礼拝が終わると月に一度の来賓を招いてのパーティーが迎賓館で開かれる。正直、あの手の催しは苦手だ。まず、好きでもない酒を飲まなけれないけないこと。この国では15歳から飲酒が許される。今年で齢16になるクロムは酒を飲んでも問題ないのだが、如何せん酒の美味さというのが未だに解らない。乾杯をすると決まって度数の弱い葡萄酒をチロチロと舐めるだけだった。
それに、集まるのは貴族や豪商が中心なので金の話や下世話な話が会場を飛び交う。人の醜い部分を見るのは如何しても慣れない。聖職者である以上懺悔に来た者の罪を許し、その者に寄り添わなければいけないというのに。
極めつけは、シャル様についてだ。シャル様が見ず知らずの貴族たちの息子と舞踏会で踊ったり、口説かれるというのが耐えられない。金にモノを言わせ高価な貢物をする者や、自作の詩を歌う輩などもいる。その光景を見る度に私の心はぎゅっと締め付けられる。
だが、それも王女の責務だという事も理解している。シャル様は一人娘だ、すでに次期女王の座は決まっている。だからこそ、彼らも余計に激しいアプローチをするのだろう。
この時に限っては彼らが羨ましくなる。臣下であり、聖職者である私ではこの胸の思いを吐露することは許されない。もし、自分が貴族の息子であったなら、シャル様が王女ではなく別の立場だったなら。と、邪な思いを抱いてしまう。こんなことを考える者がシャル様にふさわしい訳がない。
こんな自分が本当に嫌いだ。
ばつが悪くなり、視線を神官長の背中から背ける。すると、最前列に座っていたシャル様と目が合う。ニコっと笑い、膝の上で小さく手を振っている。あまりの可愛さに「ウグッ」という声が出てしまった。
神官長がわざとらしく「ゴホンゴホン」と大きく咳払いをする。すると先ほどまでの静謐な空間が嘘のようにクスクスと笑いに包まれる。ペコリと軽く一礼し、襟元を正すが、恥ずかしさのあまり身体が火照ってしまい汗が止まらない。額の汗をハンカチで拭いながら信徒席のほうを見ると、顔を真っ赤にして俯いているシャル様と苦笑いをしている国王陛下が見えた。
これは後で説教コースだなと顔を引きつらせてしまう。
その後は恙なく式は進み、皆で神への祈りを捧げる。
「「女神ルヴィア 女神サフィア 女神アメジア我々に神の御加護があら」」
その瞬間、出入口である扉がギィと軋むような音を立てて開かれた。
「誰だ!今は式の最中だぞ!」
信徒席から貴族然とした男が立ち上がりながら怒鳴った。それに釣られ他の信徒たちも立ち上がり振り返る。もう式どころではない。神官たちが宥めるのも聞かず、どんな無礼者が来たのか皆そんなことしか頭に無いようだ。
そんな中扉を開けた張本人は意に介さず、身廊を悠然と進む。燃えるような緋色の髪、切れ長で全てを見透かしたような目、腰には見たことのない武器を携えた男。礼拝堂にいる全員にとって未知の存在だった。
誰も動くことも、声を出すことができない。決して見とれているわけではないが、その一挙手一投足から目が離せないのだ。
そして、講壇の前まで来た男は振り返り高らかに名乗りを上げた。
「僕の名前はカナエ・ヒサキ。女神アメジア様より魔王を討ち、世界を救えとの命を受けました。こことは別の世界【チキュウ】から召喚された、勇者です。」
あぁ、神よ。私は平穏な日になるようにと願いましたが、あなた方には届いていなかったようですね。