Step0 始まりの日
私が今いるのは、ロココ調なのかヴィクトリアン調なのかもわからない、なにやらインテリア様式の入り混じった豪奢な部屋だ。日本人女性が何となく想像する、マリー・アントワネットが住んでそうな部屋、と言えばわかりやすいかもしれない。暖炉がぱちぱちと音を立てる部屋は、不思議と隅々まで暖かな空気に満ちていた。
ここは乙女ゲームの世界なのだと、恐らく私だけが知っている。『世界の沙汰も君次第』、略して沙汰君というタイトルのインディーズゲーム。システム、キャラクター性共にありがちな内容のそれが、なぜ私のような乙ゲー初心者にも知れ渡っていたのかには、ちゃんとした理由があった。
まず特徴的なのが、ルート分岐の仕様。最近のアーティストがよく正義と悪の境目は曖昧だと曲中で叫ぶように、このゲームも善悪の定義をつけないものだったのだ。具体的に説明しよう。
ファンタジー、特に身分制の出てくる乙ゲーは、ライバルキャラとして悪役令嬢が登場することがある。彼女たちはいわゆる当て馬というやつで、中には正当な権利を主張しているのに振られてしまう、不憫な女性もいる。このゲームもその例に漏れず何人かのライバルが登場するのだが、最大の特徴は大義が主人公にない事だった。
主人公はまず、異世界──現代日本からやってきた女性だ。ゲーム内で容姿やスペックが一切登場せず、能力や周りからの評価は作中のミニゲームで決定されるため、シビアなまでにプレイヤーの手腕に依存する。しかもやり直しが利かない。ゲームが苦手な人はひぃひぃ言わされるが、得意な人はパーフェクトな淑女を作り上げることも可能なのである。
プレイヤーはこの世界で攻略対象を一人に搾ってゲームを進めていくことになる。その途中でライバルが登場するのだが、こちらのスペックや選択肢によっては主人公が悪役側として断罪されてしまうのだ!
もちろんスペックが高ければいいという訳では無い。これには『知力』『体力』『愛嬌』『気品』『芸事』『武術』の6つのパラメーターとそれらを総合した値の『カリスマ』があり、攻略対象によってどれを伸ばすべきかが変わる。全部上げれば安心なのかと言われればそうでもなく、対象が必要としないパラメーターを上げてしまうとフラれる可能性が上がってしまうという、インディーズの割にやり込み要素がかなり強いゲームだった。
エンディングは3種類。ノーマルα、ノーマルβ、ノーマルγの3つだ。初めはハァ? と思うことだろう。しかしコンセプトの通り、主人公は悪にも善にもなれるのでこれでいいのだ。バッドでもハッピーでもなく、それが運命。悪役として裁かれるか、正妻に収まるか、ライバルと共に仲良くフラれるかの3択なわけである。
さて、長々と説明した訳だが、多くの同士諸君はここまでの内容で既にお察しのことだろう。冒頭で告げたように、私は今恐らく、サタキミの主人公枠としてここに立ってしまっているのだ。呆然と、混乱の最中といった感じで。傍から見たら廃人同然の様子で、きらびやかな部屋の真ん中で立ちつくす。それが今、私に唯一できることだった。
私は普通の女子高生だった。それはもう、陳腐で使い古されたモノローグのような自己紹介しか出来ないほどに。どこにでもいると、そう定型文のような独白しか許されていないほどに。
期末試験が近づき、校内が忙しない雰囲気を纏いだす頃。本格的に夜の空気が冷え込む冬の夜、家路を急ぐ私は、住宅街のただ中で巨大な魔法陣を見つけた。象形文字のような、子供の落書きのような紋様が書き込まれたファンタジーっぽい感じのあれだ。イタズラにしては時間がかかりそうで、かなり本格的。地面にでかでかと書かれたそれは、ビビットピンクの蛍光塗料で塗りたくったように毒々しく光っていた。
わーこれ、異世界転生でよくあるやつだ知ってる。だれかそっち系のオタクのイタズラだな。そう判断した私は、様式美に沿って魔法陣に踏み込む──ことはせず、道の端を飛び越えて陣を踏まないようにした。オタクの端くれとして、そういうものをちょっとばかし信じたい子供心が残っていたのだ。おふざけ半分。ふん、お見通しよ! とばかりにドヤ顔で陣を飛び越えたその瞬間。
辺り一面に眩い光が溢れ、私はその奔流に飲み込まれたのだった。後になって思い返してみれば、魔法陣を踏まなかったのに発動するなんてせこいと思う。私がただの間抜けな人みたいになっているじゃないか。
混乱と酩酊感。光に焼かれてぼやける視界に、場違いな白と黒のローブが沢山。頭上から明るい午後の陽光が降り注ぎ、耳に入ってくるのは大量の知らない言葉。
暗所から明所に急に引きずり出されたせいで、目が慣れるのには少し時間がかかった。地に座り込んではてなを飛ばしまくる私の耳は、突然聞きなれた言語だけを拾うようになる。
「成功した」
「成功したぞ」
「我が王に知らせねば」
「これで国に更なる発展が」
ざわめきはどれも喜色を孕んだものだったが、突然のことを受け止められそうにない。説明を求めて思わず目の前の老爺を縋るように見つめた時、辺りに響く声があった。
「何をしている!」
は??
えっ待って推し声優様の声がした。確かにした。彼のデビュー当時から聞いてるんだ間違いない。あやつは八割儂が育てたのじゃからな。ふぉっふぉっふぉ。
ふざけるもう一人の自分を思い切り脳内でぶん殴って、キョロキョロと首を動かした。
なにやら教会のような場所だ。前に写真で見た、アーディナータ寺院の方が近いかもしれない。荘厳な雰囲気と繊細な細工が美しい。
「これは皇太子殿下、ご機嫌麗しく」
「麗しいだと? 貴様ら、召喚魔術は父上が禁じたはずだぞ」
「お言葉ですが殿下、我々は祖国の為を思って…」
「…父上の政を愚弄する気か…?」
「め、滅相もございませぬ! しかし!」
堂々巡りの喧嘩が広い空間に響く。その声の半分は、麗しき推しの声で繰り広げられる怒声なわけで。私は期待を抑えきれずに、ローブの男たちの背後から声の主を覗き見た。
腰に響く低音で男たちを叱責するのは、まだ歳若い男だ。長い黒髪を無造作に括り、紅い虹彩と涼やかな目元の美丈夫である。とりわけ、その美しいかんばせの右頬に走る大きな傷跡が目を引く、やたらと存在感のある人物だった。
ここまで認識して、私は唐突に理解する。
声といい、容姿といい、そしてさっきから飛び交う単語といい。ここ、サタキミの世界じゃない? でもってあの怒ってるイケメン、我が推したるレグルス・コル・レオニス皇太子殿下では?
アイデアロール成功。代わりに大幅なSAN値の減少。一時的狂気発動、気絶。流れるようにそう考えて、オーバーヒートした私はその場で気を失ったのだった。
「…CV推しィ!!」
目を覚ました第一声がこれである。枕元に立っていた女性が、きゃあ、と可愛らしい声で悲鳴をあげて尻もちを着いた。あっごめん、悲鳴可愛いね? 私だったらオ"ア"ア"っておっさんじみた声で叫ぶに違いない。
「…しーぶい…? あの、お、お目覚めでしょうか」
「アッハイオキテマス」
奇行っぷりを他人に見せつけてしまった気まずさから、条件反射で片言の返事を返す。答えてから気づいた。私が今身を起こしているのは、天蓋付きのお上品すぎるキングサイズベッドだということに。
「えっどこ…あれっ、夢? どういうこと!?」
レグレグが出てくる幸せな夢を見たんだけど…まだ醒めていないのだろうか。だとしたら彼女にまだ寝てますと返事をすべきでは?
さっきから奇声しか上げない私に、ロング丈の清楚なメイド服を着た女性がおずおずと声をかける。怖がらせてしまったのかもしれない、失敗失敗。
「…お加減がよろしいようで何よりです、異邦の御方」
「おはようございます…? あの、ここって一体」
「はい、こちらはレオニス・エンパイア第三宮殿の客室でございます」
………出、出た~wwwよくある異世界転移奴~wwwとか言ってる場合じゃない。これが盛大なドッキリとかでなければ、私は今乙ゲーの世界に来てしまっていることになるのだ。しかも主人公枠で!
呆然とする私に、女性はレグルス皇太子殿下にお目覚めを報告してまいりますと告げ、そそくさと部屋を出ていってしまった。
そして冒頭に戻る。
しばらくの間、私の脳内を渦巻いていたのは疑念だった。ドッキリ。もしくは夢。その二つが脳をよぎる。だってそんな…小説のような話、実際にあってたまるものか。ありえない、ゲームはゲームだ、画面の向こうになど行けない。
定まらない思考のまま、フラフラと扉へ向かって足を進め、磨きあげられた真鍮のドアノブを回して廊下へさまよい出る。
ドアの外はスタジオやハリボテの裏側なんかじゃなかった。赤い絨毯の敷かれた廊下は遥か遠くまで伸び、目の前の壁には等間隔に窓が並んでいる。その向こうは燦々と太陽の光が降り注ぐ広大な庭園が広がっていて、私は思わず窓辺に駆け寄り窓を押し開けた。
風が新緑の匂いを運び込んできて実に気持ちがいい。まさに絶好のお昼寝日和というやつだ。天高く登った太陽に寄り添うように昼間の白い月が二つ出ていて、ああ、ここは異世界なんだ、と思う。理解と納得、それから順応が早いのは私の美徳であり欠点でもあると、周りから散々言われてきた。
世界の沙汰も君次第。三つのノーマルエンドは全て異世界の中で完結するものであり、地球へ、日本へ帰れるエンディングはたった一つ。
条件がかなり厳しく、乙女ゲームの割に甘さもないエンディングで、プレイヤーからの人気がない隠されたトゥルーエンド。正しい物語の終わり。
それは、主人公が戦場で自死を選ぶことで見れるエンディングだった。